『永徳と山楽』

土居次義『永徳と山楽:桃山絵画の精華』(清水書院 1972)を少しだけ読む。
狩野永徳は、室町時代に大和絵の技法を取り入れ狩野派を大成した狩野元信の孫にあたり、日本美術史を代表する人物である。唐獅子図屏風』や『洛中洛外図屏風』『聚光院障壁画』などで知られる。しかし、永徳がその生涯において最も精魂を傾けて制作にあたっと思われる安土城、大阪城、聚楽第の諸城の障壁画はみな不幸にして隠滅してしまっている。
狩野永徳の功績は弟子である狩野山楽の作品によるところが大きい。狩野山楽は永徳と血が繋がっているわけではなく、永徳に弟子入りしてから、永徳の画法を忠実に学び、多くの作品を遺している。漢文の抑揚形のように、「山楽でさえあれだけの素晴らしい作品を描いたのだから、まして師である永徳はなおさらだ」という評価がなされているようだ。