適菜収編『世界一退屈な授業』(星海社新書 2011)を読む。
内村鑑三、新渡戸稲造、福沢諭吉、柳田國男、西田幾多郎の5人の明治後半から大正期にかけての講演録をまとめている。
尻込みしてしまうような面々だが、現代語で注釈を入れて分かりやすい文体に書き直されており、気軽に読むことができた。ただし編者の上からの物言いが癪に触るが。
特に新渡戸稲造と柳田國男の講演内容が面白かった。1920〜30年代の講演出会ったが、現代でも当たり前のように通用する哲学や世界観を持っていたことに驚いた。新渡戸稲造は読書のあり方に触れ、良い文章には赤い線を引き、良い思想には青い線を引き、パラグラフごとに趣意を書き加えておく方法を指南する。柳田國男も『遠野物語』の印象が強く、民俗学に没頭した学徒という印象が強かったが、意外にも当時の世界情勢に通じており、西洋列強の進出の中で、オセアニアやアジア地域での独自の文化や文明を発見し、発信していくことが大事だと述べている。一部を引用しておきたい。
日本は、国が近世化したのは最近で、今もって一つの村里、一つの家のうちにさえ昔が共棲している。えらい速力をもって空に散じつつあるが、まだ民間芸術の花は萎まない。それを、その間に生まれた者が母語の親しい感覚をもって、学び知ることができる国である。
ゆえに、単なる蒐集採録をもって能事了るとせず、集まった材料をしずかに書斎において整頓し、またその経験を携えてふたたび出て、捜索し、観測するならば、その収穫は当然に外国に倍加すべきで、ゆくゆくはひとり、同胞日本平民の前代について、より精確なる理解を得るにとどまらず、さらにこれを他の比隣民族の生活と比較して、のちはじめて日本人の極東、特に太平洋における地位、いわゆる有色人種の互いの関係などが、明白に誰にでもわかることであろう。
(中略)小さな島々には助けに乏しい住民がいること、彼らを苦しめ滅ぼそうとする粗暴な文明力は、西から来ようとする東から来ようと、またわれわれの中から現れようと、かならず抑制しなければならないことを感じてくる。
また、これと同時に、民族の弱点がどこにあり、強味がいずれにあるかもわかって、国として結合しなければならない程度や方法も明らかになる。
子弟同胞を本当に幸福にする手段も見出される。
これを要するに、将来世界の日本人としての支度ができるのである。