『太陽のない街』

徳永直『太陽のない街』(新潮文庫 1953)を少しだけ読む。
1929年6月号から11月号の『戦旗』に5回に分けて発表された作品である。小林多喜二の『蟹工船』や中野重治の『鉄の話』などと同時期に掲載され、プロレタリア文学黄金時代を飾った作品である。
東京小石川区の共同印刷会社の大ストライキに参加した作者が、自身の体験をもとに、労働争議に敗れる若者たちの姿や権力側に対するストレートな怒りを描く。
最後に経営側や警察に切り崩しを掛けられ紛糾した争議団の大会で、運動を担ってきた若者が次のように叫ぶ。

場内の喧騒は益々甚しくなった。そのとき、ふるぼけた黒い帽子を阿弥陀に冠ったままの青年が、壇上に飛び上った。左側から拍手が起った。
−諸君!
青年は、顔を赭らめて、咽喉いっぱいに声を出した。
−俺達は、今日までまる三ヶ月間、血みどろになって戦いつづけて来た。
旱天に喘ぐ魚のように、彼は怒鳴った。
−或る者は獄中に呻き、或る者は病死し、或る者は狂人になった。技巧もなく、満身の力を込めて、阿弥陀帽の青年は、一句一句をハンマで棒杭を打つようにたたき込んだ。
−しかし、そうした犠牲は、こんな屈辱的な解決条項を、受取ろうがためではなかったんだ!
「そうだッ」聴衆は、丸薬のように、言葉を呑みこんで答えた。青年は彼等の中では有名ではなかった。彼のガッシリした体格に、彼のいま喋べっている−吾々の最も重大な時機が、その両方の肩にのしかかっているように、頼もしく見えた。青年は、片手で自分の帽子を引っ掴むと、縦横無尽に打ち振った。
−俺達は、いま、最後のとどめを刺されようとしている−この太刀を撥ね返すか、でなきゃ、そいつで斃ばるかというときだ!
右側に、敏感な警戒と沈黙が蔽いかぶさった。青年は声を激ました。
−俺達は、モ一度、この屈辱案を撥ね返して闘おうじゃないかッ。
左側が喝采して降壇する青年を迎えた。(中略)
言葉が終らぬうちに、左側の青年達が演壇に飛び上って、金東を突き飛ばした。婦人達の中から、金切声が起り、場内は沸騰した。
−退場しろ! 退場しちまえッ。
−団旗は俺達のものだ。
青年達は、団旗に飛び掛った。休戦派の者達が怒って奪い返そうとした。団旗は揉まれて、穂先の鞘がはじけ飛んだ。
−団旗を護れッ。
先刻の阿弥陀帽の青年が、壇上から旗をめがけて飛び降りると、素早く相手を突き飛ばして、団旗を持ったまま、脱兎のように、場外へ走り出した。
−退場しろ!
青年達につづいて、婦人達も場外へ出てしまった。阿弥陀帽の青年は、団旗を両手にしっかと抱きながら叫んだ。
−旗を護れ。
−旗を!!

「旗」という運動の象徴にかける青年の思いが伝わってくるシーンである。

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