一昨日は五木寛之の『野火子』(講談社 1990)という小説を読んだ。
作品自体は「青春の門」の亜流に過ぎないものだ。その中で登場人物アキラのセリフに「人間とは他人の不幸があって自分の不幸がわかる。(中略)快楽とはつきつめると他人と自分の間の差を実感することに過ぎない」とある。この作品が1968年に発表されたものであるが、現在の五木寛之の「生きるヒント」に代表される「記号論的中庸宗教論」がかいま見える気がする。その解説にある五木の言「人間には、航海者と、漂流者の二つのタイプがあるように思う。はっきりした目標を持って、天測を重ねつつ未知の大陸をつきすすむ航海者。潮流にまかせて、膝小僧をかかえながらぼんやり流れて行く漂流者」に懐かしみを感じた。
『野火子』
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