「ハンセン病国家賠償訴訟の判決を読んで」

本日の東京新聞夕刊文化欄に載っていた藤野豊さんの「ハンセン病国家賠償訴訟の判決を読んで」と題したコラムが興味深かった。
記事中で、藤野さんは先日のハンセン病違憲国家賠償の勝訴判決についてその限界性を指摘している。それは判決が国の責任を1960年以降についてのみ認めた点である。ハンセン病の治療法が確立し、「治る病気」になってからも隔離を維持したことを誤りとしているわけであるが、それ以前の「治らない病気」とされていた時代における隔離政策について藤野さんは疑問を投げ掛けている。

ハンセン病患者への隔離は、1907年の「法律癩予防に関する件」に始まる。日本は日露戦争に勝利し、欧米列強と対等の地位を獲得したにも関わらず、国内には3万人を越える植民地なみのハンセン病患者を抱えていた。当時の国家はこれを国辱ととらえ、患者を隠すために隔離を開始した。そして1930年代には医療とは無関係に、国立の「特別病室」と称せられたハンセン病患者のための牢獄が設けられて、反抗的な患者22名が凍死・衰弱死・自殺というかたちで事実上、虐殺された。15年戦争中は、強力な兵力を維持するために、そして国民の一体感高揚のためにハンセン病患者の撲滅が目指された。ちょうどナチスにおけるユダヤ人虐殺と同じ論理である。

現在国会内で超党派のハンセン病の最終決着を目指す議員懇談会があるが、真のハンセン病の最終解決は国家の排外主義政策にまで踏み込んで、議論していかなくてはならないだろう。

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