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「現代史描き出す書簡 「中野重治・堀田善衛 往復書簡 1953-1979」が刊行」

以下、北陸中日新聞のホームページから

「中野重治・堀田善衛往復書簡1953-1979」竹内栄美子・丸山珪一編

 戦後日本文学を代表する作家中野重治(一九〇二~七九年)と堀田善衛(一八~九八年)の往復書簡八十二通を収めた「中野重治・堀田善衛往復書簡 一九五三-一九七九」(影書房)が刊行された。未発表六十一通を含む。

 年齢こそ十六歳離れていたものの、中野は福井県坂井市、堀田は富山県高岡市の出身で、ともに北陸で生まれ育った。それだけでなく、現代史における日本のアジア侵略の事実から目をそらさない姿勢から、互いに厚い信頼関係で結ばれていたことが分かる。戦後の日本現代史においても貴重な資料になる。

 収録した書簡は、冷戦下の一九五三年から七九年の中野の死の直前までのもの。ユダヤ系アメリカ人の電気技術者と妻が旧ソ連に原爆製造の機密情報を流したとして死刑判決を受けて執行されたローゼンバーグ事件、五六年に始まり二人が関わったアジア・アフリカ作家会議、六八年のチェコ事件など、戦後史における国際的にも重要な事件についてもやり取りが交わされている。「発表された文章とはまた異なる肉声が書簡からは聞こえてくる」(竹内栄美子・明大教授『中野重治と堀田善衛-戦後史の中で』)。

 資料として、生前の中野と堀田が互いの文学について記した中野の「堀田善衛小論」(初出一九七四年)と堀田の「墓からの声-中野重治追悼」(同八〇年)を収録。解説編では、編者の竹内教授と丸山珪一・金沢大名誉教授がそれぞれ書簡を読み解いているほか、加藤周一の堀田論、竹内好と鶴見俊輔さんの中野論を掲載。ルポライター鎌田慧さん、フランス文学者の海老坂武さん、編集者・評論家の栗原幸夫さんによる書き下ろしの論考も。三千八百円(税別)。

SAMURAI BLUE(日本代表)監督に森保一氏が就任

昨日、次期ワールドカップ日本代表監督にサンフレッチェ広島の選手・監督として森保一氏が就任した。
その就任挨拶の中で胸を打つコメントがあったので一部を紹介したい。

 また私は現役を引退してからサンフレッチェ広島の育成コーチをしながら、日本サッカー協会でもトレセンコーチとして活動をさせていただきました。その経験は今の私に非常に大きなものとなりました。何かと言えば、地方を回って、グラスルーツのところから、いろいろなカテゴリーの活動を見させていただきました。指導者の方々がプロとして指導で生計を立てている方はごくわずかで、大勢の方々は仕事があり、家庭もあり、そして自チームの選手を見て、さらにトレセン活動に参加している。本当にボランティアの精神で自己犠牲を払って、選手を育ててくれているということ。そういう活動をクラブでも日本サッカー協会でも見させていただきました。

 そういう方々の努力があって、選手が育ち、私が今、仕事をさせていただく日本代表やオリンピック代表に選手を送り込んでいただいているということ。全ての指導者の努力があり、環境を整えてくださる周りの努力があって、我々は素晴らしい選手たちを見ることができる。日本を代表して戦うことができるということを忘れてはいけないと思います。そういう方々の気持ちを背負っていつも戦うということ、そこは肝に銘じて戦ってまいりたい。

少年や中学生、高校生などのアマチュア選手をボランティアで面倒みている指導者とその関係者の方の熱意が、世界で戦う日本代表を支えているとの趣旨である。サッカーに限らずスポーツ界全体を見渡してもほとんど聞かれなかったコメントである。自分の所属するチームや家族への謝意は数多くあったが、「自己犠牲を払って選手を育ててくれる」指導者の方へ配慮する代表監督というのはこれまでいなかったのではなかろうか。これから前途多難であろうが、最後まで応援したい監督である。

ヒキタ [メルマ!:00016703]より

購読しているメールマガジンより

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【ヒキタ解釈のオススメ本(たまに非オススメあり)】

「広域計画と地域の持続可能性」大西隆(編著)学芸出版社

東大まちづくり大学院シリーズの第2作目。私としてはシリーズ5作中、読み始め、もっとも「興味ね~」で始まって、読後にもっとも「こりゃ面白い~」になった作品でありました。
ドイツや英国、フランスなど、それぞれのお国柄に応じて、まったく違った形をとる広域行政例もさることながら(特にフランスの市町村にあたる伝統的地方行政単位“コミューン”の連結ぶりには驚きました)、日本にも「待ったなし」の広域連携例がけっこうあって、それぞれがちゃんと本気。
私ヒキタとしては、ふーん、知らないうちにそんな時代がやってきたたのかと思わざるを得ないわけです。

特に「こりゃスゲ」と思ったのが、三遠南信地域という地域でね。
ご存じあります? 三遠南信地域、ちょっと前まで私しゃ知らんかった。
三・遠・南信、つまり、三河(愛知県東部)と、遠州(静岡県西部)、南信州(長野県南部)は、県境を越えた地域連携を組んでいて、ある意味、県と同等の動きをしてるというんだけど、もはや政令指定都市の浜松をはじめとして、豊橋、豊川、飯田、磐田、蒲郡と、それなりの市町村を抱え、全部で250万人を抱える一大エリアになっている。これ、都道府県の人口ランキングで言うと、14位の宮城県とほぼ変わらんのであります。
その三遠南信地域が、毎年サミットを開き、連携を強化していて、もはや「いつか道州制になるとき、我らを分かつ境界線ができようものなら、必ず拒否し、我々はひとつ、というのをアピールしようぞ」というのを誓い合っている。これ、冗談でも何でもなくて、このアピールは、平成18年(2006年)の三遠南信サミットにおいて、全会一致で決議されたというのだ。
その背景には「県ナンバー2未満」そして「県にとっての端っこ」のルサンチマンがあるとみた。
人口ベースでいうと、豊橋が名古屋、豊田などに次いで愛知県4位、豊川が9位。
飯田も長野、松本などに次いで長野県4位。
静岡県にいたっては、浜松市の方が人口も経済集積も勝っている(つまり静岡県1位)にもかかわらず、県庁所在地の静岡に較べると常に「県下2位」「後まわし」にされてきたという現実。
つまり、県中央から「ないがしろ」にされてきた「本来はスゲーまち」3つと、その周辺が結集して、三遠南信を作ったというわけだ。
こんなことが日本で起きてるんだ。
なんか私ヒキタは、密かにショックというか、感銘を受けたことでありましたよ。

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萌え感情ってクールだね(笑)

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高校生の頃に見ていた『YAWARA!』以来、20数年ぶりに女性が主人公のアニメにハマっているのだが、絵を見てほんわか、ワクワクしてしまう自分自身の感性の若さに驚いている。CDまで借りてきて車の中でサントラを聴いている。アニメやゲームが好きな「オタク」の気持ちが少し分かった気がする。