「出没!アド街ック天国」というテレビ東京の番組を観た。
今週は春日部の特集であった。普段の生活圏がテレビで紹介されるというのも不思議な感じがした。ロビンソン百貨店やら島忠、春日部温泉など普段利用している場所がベストテンに挙げられた。これらの場所を改めて画面を通して見ると、日常目にする景色とテレビで見る非日常の光景が脳裏にオーバーラップして、春日部を宣伝してくれて誇らしい気持ちと普段の生活が暴露されるような恥ずかしさを同時に感じた。ゲストで出演していた春日部出身のビビる大木の「まさか(春日部文化劇場が)テレビで紹介されるなんて思いもしませんでしたよ」といった発言が象徴的であった。
「テレビ」カテゴリーアーカイブ
貴ノ花引退
先程ニュースステーションで貴ノ花の引退会見を見た。右膝の半月板損傷ということであるが、これからの生活にも支障を来し大変であろう。貴ノ花と比べるべくもないが、私自身も右膝半月板に亀裂があり、いつ歩けなくなるのか不安である。特に冬の始めは寝ている途中で膝周辺の筋肉が固まってしまい、あまりの痛さに起きてしまうことがある。そうした際は膝の下にクッションを入れて膝を軽く曲げた状態にして膝の負担を軽くするのだが、これが毎夜続くとさすがに疲れてしまう。今日のテレビを見る限り、現役引退の社会的意味を問うだけで、彼の膝の具合を気遣うコメントはなかった。大相撲人気の復活には何はともあれ相撲人口の拡大しかあるまい。貴ノ花には是非アマチュア相撲の後進の指導を期待したい。
イバン・イリイチ
今月から3か月間だけ朝日新聞をとることになった。今日の夕刊で明大教授栗原彬氏が昨年12月に逝ったイバン・イリイチについて述べたコラムが気になった。
イリイチは何度か来日したが、殊のほか水俣と沖縄の旅を好んだ。そこに現代の極限を見ただけではない。未来を拓く生命系の拠点、「ホーム」(親密な空間)を見いだしたのだ。かれはインドのガンジーの小屋で、癒やしと寛ろぎの訪れの中に、ガンジーの生命共生のメッセージを聞き取って、この空間を「ホーム」と呼んだ。(中略)「ホーム」では、私やあなたや隣人たち、つまり人間の複数性を前提に、身体と簡素な道具で世界に働きかける生の営みが行われ、身体と身体の間に、体温をもった文化が生まれる。
イリイチは現代文明を批判してやまなかった。私たちはとっくに分水嶺を左から右へ越えてしまった。峯を右から左へ逆方向に越え直そう、そのために文明のただ中で、至る所で「プラグを抜こう」と呼びかけた。彼への内発的な応答として、私たちは越境の構想を練らねばならないだろう。
栗原氏はイリイチの思想を受け継いで、「共生のガバナンス」と題してNPO、NGO、国家、企業など多元的な行為体の連携を呼びかける。そして具体的な実践例ととしてドイツの脱原発や「障害者差別禁止法」の立法化を挙げる。ドイツやフランスなどでは、国家・企業を巻き込んだ社会民主主義(修正主義と批判されようが)が具体的にイメージ出来るが、日本ではどうしても「プラグを抜く」ような共生的な価値観に基づいた社会像の青写真が描けない。生活レベルでの小さいスケールでの実践がまず問われてくるのであろう。
少々話は変わるが、昨日あたり日テレやフジテレビを中心に、北朝鮮の正月番組を例のごとく「金正日によって洗脳された薄気味悪い国家」という視点で再編集し放映していた。偏向報道をさらに偏向しているので、実情は不明であるが、国家によって行動規範のイロハの全てを押し付けられてしまう人民の悲惨な生活レベルは垣間見えた。
しかしあれほど社会・教育の全体に渉って金体制崇拝が押し付けられ、個人の思考が歪められてしまう現実をどう変えていけばよいのだろうか。特殊北朝鮮だけの問題でなく、国家と個人の一般問題としてどう考えていけばよいのだろうか。一つ考えられる突破口は”恋愛”であろう。「恋は盲目」という。恋愛ほど外部の価値観が入り込まないものはない。うまくまとまらないが、米軍による爆撃に代わるポジとして、激しい恋愛の小説や歌、映画を北朝鮮に送り込むというのはどうだろうか。北朝鮮の人々がどのような過程で結婚しているのか不明であるが、体制が厳しくなればなるほど、「LOVE&PEACE」といったように、自由恋愛から平和を希求せんとするジョンレノン的なメッセージが力を持つ。
『風の盆から』
先月放映されて録画しておいたNHKドラマ『風の盆から』(松本幸四郎・倍賞美津子出演 市川森一原作)を観た。
富山県八尾町の「おわら風の盆」という祭りを舞台にした、死んだ娘と父との交流を描いた作品だ。観光地としてはあまり有名ではないが、八尾町の美しさが印象的であった。盂蘭盆会をモチーフとして用いたいかにもNHK的な正統派ドラマといった趣だった。
『新巨人の星』
今日は早く帰ってきたので、夕方埼玉テレビで梶原一騎原作『新巨人の星』(1977~1978)を観た。
左肘を壊した星飛雄馬がオールスター戦にて守備固めで外野に入り、南海の角田が打ったライトフライを右グローブを飛ばして、右投げでホームに全力投球をするという、まさに「新巨人の星」の序章的展開の場面であった。昔のアニメは動きが少ないため、登場人物が「凍りついて」いると、ついこちら側で登場人物の心理を深読みしてしまう。星飛雄馬の野球トラウマに囚われた神経質な人物像もアニメのセル画数の少なさに起因するのであろう。