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『小児科医が見たタバコ病』

井埜利博『小児科医が見たタバコ病』(最新医学新書 2004)をパラパラと読む。
要はタバコは吸っている人も副流煙を吸う周囲の人にとっても有害なものであると断定した上で、喫煙人口が欧米に比べて高い割合で推移している懸念や、ニコチン中毒を治す具体的な治療方法などが説明されている。

最新の疫学調査調査によると、乳幼児突然死症候群(SIDS)の危険因子として、人工栄養児、うつ伏せ寝などなどと並び母親の喫煙による小児の受動喫煙が最大の危険因子であるとされている。

また禁煙補助剤として、ニコチネルTTS(ニコチンパッチ)やニコレット(ニコチンガム)の具体的な効能や使用法など、知らない世界の話だったので興味深かった。

『天職』

秋元康・鈴木おさむ『天職』(朝日新聞社 2013)を読む。
業界を代表する放送作家の二人の対談集である。当時55歳の秋元氏と41歳の鈴木氏が、手がけてきた仕事に自身の年齢や感性を重ね合わせて、作家としての仕事の勘や遣り甲斐について語っている。二人とも「仕事に対する楽しさ」や「好奇心」を持ち続けることが大切だと述べる。

『細菌の逆襲』

吉川昌之介『細菌の逆襲:ヒトと細菌の生存競争』(中公新書 1995)をパラパラと読む。
話の中心である結核菌や赤痢菌、コレラ、サルモネラといった細菌とウイルスは全く別物であるが、新型コロナウイルス対応で後手後手に回った日本の感染症対策の貧困具合を案じる一文が印象に残った。

かつて人類の最大の病苦は感染症であった。伝染病の猛威の前に大きな都市が廃墟と化することもあった。結核に罹ることは死の宣告を意味した。大病院に列をなす患者の大半は、感染症に悩む人たちであった。人類の偉大な努力は、今こういう姿をすっかり変えてしまったように見える。もはや伝染病や結核サナトリウムは、その歴史的使命を終えた。大学では伝染病の講義などおざなりになりつつある。日本では、病原細菌学者が一人もいない医科大学や医学部が出現している。腸チフスや赤痢の患者すら診たことのない医師が生まれてくる。彼らはもはや細菌感染症などに学問的情熱を示さないし、ヒューマニズムの対象を求めようとはしない。

このひょうな傾向は、一面において慶賀すべきことかも知れない。しかし、この地球上から病原菌は姿を消してはいない。結核感染症の数は、コッホが結核菌を発見したときよりも今の方がはるかに多い。コレラの流行は、その規模において歴史の記録を書き変えている。今、発展途上国の惨状は言うに及ばず、先進国にすら細菌感染症の復活の兆しがみえる。(中略)日本のような国では、長い間伝染病が発生しなかったゆえに、多分、ヒトと細菌の戦いの歴史において、人類がかつて経験したことのない無防備な時代がやってくる。

『解決されていない科学のテーマ』

飛岡健『解決されていない科学のテーマ』(東京書籍 2000)を読む。
参考文献の焼き直しのような内容で、イラストや写真がほとんどなく、面白くない本であった。
唯一参考になったのが、世界中の赤ん坊は「a→u→i」ん順に発生するという話であった。なるほどと思った。

『どうころんでも社会科』

清水義範『どうころんでも社会科』(講談社 1998)を読む。
「小説現代」の1997年1月号から1998年の8月号に掲載された内容である。色々と勉強になることが多かった。いくつかまとめておきたい。

かつて東海道で、唯一陸路ではなく海路になっていたのは、名古屋市内の東部にある熱田神宮から三重県の桑名までであった。濃尾三川(木曽川、長良川、揖斐川)の流れが強く、渡れなかった場所だったからである。そして知多半島は伊勢神宮と熱田神宮の間の中継地となっていたのである。

志摩半島はリアス海岸で有名だが、リアスとはスペイン北西部のガリシア地方にある地名で、入江の多い地方(Costa de Rias Altas)が由来となっている。志摩スペイン村があるのも、その点に関係があるのだろうか。

富山平野は3000メートル級の高山に囲まれているため、洪水が起きやすく、藩の財政は苦しかった。富山で薬売りが有名になったのは、立山で古くから修験道が行われ、立山御師と呼ばれる山伏が薬草に通じていて、薬を作る技術を持っていたことに始まる。そこで、人々が自由に移動できない江戸時代において、富山の薬売りだけが全国へ出向くことが許されていた。

江戸時代昆布は北海道でしか採れなかった。しかし、関東のうどんがカツオだしで黒いのに対し関西のうどんつゆはは昆布だしで薄口となっているのは、江戸時代に日本海を繋いでいた北前船のためである。京都のにしんそばや沖縄の料理に昆布が使われているのも同じ理由である。