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「憲法身近に 市民の映画」

本日の東京新聞夕刊より。
ちょうど日本国憲法の成立に至る歴史的な流れをどうやって問題にしようかと頭の中でぐるぐると回していたところだったので,どんぴしゃりのタイミングの記事であった。授業でも板書こそしなかったが,教科書のページを遡ってもらって,記事にもある千葉卓三郎の五日市憲法や植木枝盛の東洋大日本国国憲按などの私擬憲法について説明している。この点は私の授業の肝でもある。そして,松本烝治国務大臣が中心となってまとめた憲法改正要項とも,連合軍GHQの押し付けとも違う,明治時代から連綿と続いた自由民権運動の流れの中から日本国憲法が生まれたという点は生徒の皆さんに感得してもらいたい点である。

記事によると映画はちょうど40分弱と,授業時間サイズになっているようだ。無償で借りることができるのなら,2学期の授業で扱ってみたい。


 

☆時間がある時に,以下のページの動画をご覧ください。
日本史に強い関心があれば,現在の上皇が五日市憲法を評価しているという点に,社会思想的な興味というか,歴史の面白みを感じてくれると思います。
是非,皆さんの感想を頂ければ幸いです。


http://www.news24.jp/articles/2017/01/14/07351527.html

「旧満州の朝鮮人 苦難の足跡」

本日の東京新聞朝刊に,1945年の敗戦当時,旧満州に暮らしていた200万人超にのぼった朝鮮人の方への丁寧な聞き取り調査をまとめた李光平氏へのインタビュー記事が掲載されていた。
満州というと,石原莞爾や板垣征四郎(A級戦犯で絞首刑)らが主導した満洲事変以後,日本人の農民の集団入植が続いた土地である。「耕作できる良い土地という触れ込みで来たら,何もない荒れ地だった」という記事中の言葉にある通り,日本人も陸軍の「満蒙開拓団」の宣伝文句に騙され,160万人近くが満州に渡っている。

敗戦時,満州に取り残された日本人の悲惨な逃亡劇やシベリア抑留などはよく知られたところであるが,日本人以上に苦しい生活を送った朝鮮人の家族や,満州で慰安婦を強いられた女性のことは,歴史の教科書にもほとんど書かれていない。日本人の被害者としての側面は小説や映画,資料館などで注目が集まるが,加害者としての側面は意識して学ぼうとしないと気付かないままになってしまう。歴史評価に伴う両面性について注意を払っていきたい。

「激戦インパール 物語る」

本日の東京新聞朝刊に,インド北東部マニプール州に戦時中の「無謀の代名詞」ともなっているインパール作戦(1944)の平和資料館が開館したとの記事が載っていた。

インパール作戦とは,日中戦争で重慶の蒋介石を後方から支援する「援蒋ルート」を遮断するため,ビルマの山岳地帯からインドのインパールを攻略するも日本兵3万人以上が犠牲になり,ビルマ防衛の全面的崩壊もたらした愚策として知られる。ちなみに,その後のビルマからの全面撤退は,小説や映画にもなった『ビルマの竪琴』で描かれている。

記事によると,「悲しい戦争の記憶を心にとどめ,平和な世の中を次世代につなげる架け橋」として,資料館が建設されたとのこと。しかし,この資料館の建設に際しては,A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに入獄した笹川良一氏(1899−1995)が設立した日本財団が資金を出している。財団側のあいさつにある美辞麗句を鵜呑みにすることなく,どういう文脈で資料が展示されているのかを精査する必要がある。日本兵の慰霊を狙った,日本財団の考え方に近い展示方法では,日本の東南アジア政策の是非を見誤ってしまう。

カッコいい言い方をするならば,歴史学は歴史の「事実」から時代の「真実」をしかと見定める学問である。「平和や和解のシンボル」といった口当たりの良い言葉にだまされない歴史の見方を大事にしていきたい。

「『道徳に教育勅語』募る憂い」

1面に続く,27面では教育勅語再評価に関する内容となっている。記事にもある通り,国民を戦争に駆り立てた教育勅語は,1948年森戸文部大臣の時に排除・失効が決定している。それに代わって1947年に「平和主義・国民主権・基本的人権の尊重」の考え方に基づいた教育基本法が成立している。しかし,柴山昌彦文部科学相は昨秋の就任会見で,教育勅語を「道徳に使えるという意味で普遍性がある」と発言している。

近現代の歴史を学ぶ上で大切なことは,偏差値を上げることでも歴史用語の暗記でもない。「平和=善,戦争=悪」といった単純思考から一歩脱し,無謀な戦争へと突っ込んでいき,失敗に気づいても引き返せなかった過程や,戦争に巻き込まれなくても済む安定な国家の準備段階の流れを丁寧に掘り起こしていくことである。ちょうど先週あたりから,財閥解体や農地改革など担当する教員も辟易してしまう内容が続くが,用語の穴埋めや説明ではない授業を心掛けていきたい。

「生存権揺るがす格差」

本日の東京新聞朝刊一面に,年金問題に絡めて,1947年片山哲内閣,芦田均内閣で文部大臣を務めた森戸辰男氏に関する記事が掲載されていた。
森戸辰男氏は戦後,憲法学者の鈴木安蔵や杉森孝次郎らと,「憲法研究会」を組織し,「憲法草案要綱」を発表している。GHQの憲法草案に森戸氏らの「憲法草案要綱」の多くが採用されたのはよく知られたところである。記事にもある通り,憲法25条の生存権は1946年に日本社会党から立候補し衆院議員となった森戸氏が強く主張したものである。

東京経済大学名誉教授で,「五日市憲法草案」を発見した色川大吉氏は,著書『自由民権』(岩波新書 1981)の中で次のように語る。ちなみにこの『自由民権』は板垣退助らの自由民権運動からGHQ草案ができるまでの過程が丁寧にまとめられており,日本史受験者におすすめしたい一冊である。

(敗戦直後、GHQから日本国憲法を「押しつけられた」という意見に対して)もちろん、本来なら日本人民の手で旧権力を打倒し、みずからの政府を組織し、そのうえでみずからの憲法を創造すべきであったが、敗戦直後の日本国民には、その力が決定的に足りなかった。そのために生じた不幸な事態である。しかし決して、明治憲法のように反動勢力によって人民が押しつけられたものとは性質が違う。たとえ、ささやかな流れであったとはいえ、自由民権以来の伝統が、敗戦後の民間草案などを通して現憲法に生かされ、しかも、その後35年、主権者たる国民の大多数から一貫して支持されてきたということの中に、現日本国憲法の正当性の根拠があるのであって、いつまでも成立事情などによって左右されるものではない。