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本日の新聞から

12月4日付けの東京新聞の朝刊に愛知万博を礼賛する社説が載っていた。「愛知万博が国家プロジェクトである以上、地元はもちろんオール日本での盛り上げが重要である。万博協会は基本計画を手に、企業に出展要請するため全国行脚をすべきだ」と協賛企業根性丸出しの論である。この辺りに中日新聞の意向から逃れられないブロック紙の限界を感じざるを得ない。読売グループに対する批判的記事や微に入った文化評論、科学記事の解説など読むに値する記事も多いだけに残念である。

また今日の東京新聞の夕刊に「原爆ドームに落書き」という記事が載っていた。
7日の朝に世界遺産「原爆ドーム」の外壁に「NO MORE RACIZM(人種差別をやめよう)」と書かれていたのを事務所の職員が発見し、110番したというのだ。記事ではコメントを控えていたが、読み方によってはかなり興味深い記事である。日本人の原爆ドームに対する捉え方は得てして被害者側の感情が一般的である。日帝によるアジアへの侵略戦争の終止符となったという認識は薄い。文学においても井伏鱒二の『黒い雨』や、中沢啓治『はだしのゲン』など、一応反戦の体を成しているが、そこに日本人としての加害者意識は伺うことはできない。また原爆投下後の広島において在日朝鮮・韓国人に対する虐待も教科書から消えてしまっている。原爆ドームに対するこうした落書きこそ後世に残していくべきものではないか。

今日の夕刊より

今日の夕刊で自治労本部の脱税容疑が報道された。関連会社を使っての共済事業の運営で得た金は使途不明になっているというものだ。自治労などの労働組合は「人格なき社団」に当たり、組合員から集めた組合費などの収入は非課税だが、収益事業は課税対象で申告義務があるのだ。学生時代に友人と自治労本部に就職して、自治労本部内で戦闘的な組合を作ろうと冗談で語っていたことをふと思い出してしまった。しかしこのような脱税は今後増えていくことが予想される。小泉内閣は「聖域なき構造改革」を掲げて、石原行政改革担当大臣先頭に、これまでの行政の外郭団体や特殊法人を原則独立・民営化させていくことを第一に掲げている。その過程で収支についても公と民のあいまいな部分が出てくるであろう。そのためには正確な監査が欠かせないであろう。

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□ 第百五十三回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説

「『こころの不良債権』いやす”情”の復活を」

東京新聞夕刊(2001.08.21)の文化欄の五木寛之インタビュー「『こころの不良債権』いやす”情”の復活を」を読んだ。
その中の一節が気になった。五木氏は最近若者の茶髪が気になるという。自らの黒髪を茶や金に染める若者の心情に「日本人であることの嫌悪感」を見てとるからだ。高級な車や化粧品のコマーシャルには外国人が出演しているのが大半で、バンド名もほとんど外国語で、歌詞も英語で、若い人は日本的なもの、日本語を嫌う傾向にある。そして五木氏はこのような嫌悪感が高じると、他国や他民族への過度な優越感へと逆転し、「過剰なナショナリズム」が生まれる可能性があると論じている。近年の五木氏の社会観・文学観はこの際置いといて、この指摘は興味深い。

本日の夕刊から

栃木県の下都賀地区の教科書採択協議会が扶桑社発行の「新しい歴史教科書」を採択する方針を固めたことに関して、栃木県教職員組合が同県教育委員会に申し入れ書を提出した。これは同教委が教科書選定の際に役立つように作成した資料において、学習指導要領の目標に明記された「国際協調の精神を養う」という観点が対象外とされていた問題の理由を質すというものだ。実際に下都賀地区教科書採択協議会が「新しい歴史教科書」を採択した背景に、「国際協調」の観点がなかったことが有利に働いたという指摘もあるという。

私はこの記事を読むに、議論の方向性はさておいて、議論自体のあり方は正しいことだと考える。かつての家永教科書裁判において眼目のひとつに、教科書を国が決めるのではなく、地域で議論しながら採択をしようということが挙げられていた。確かにまだ検定制度は悪しき形で残っているが、しかしこのように地域レベルで教科書の採択を巡ってもめるというのは10年前に比べ民主的だと考える。

扶桑社の「新しい歴史教科書」を実際に手にしてみたが、神話の話や人物にスポットを当てた記述スタイルは中学生にとって確かに「読みやすい」ものだと思う。扶桑社の教科書の内容如何は個人的には賛同しかねるが、問われるべきは国・地域・教育現場レベルでの歴史観を巡る真摯な運動である。逆に考えれば、平和憲法の歴史的な成立過程、差別・抑圧の構造的理解、闘争から生まれた労働者・女性・児童の人権確立など、教科書の暗記に埋没しない活きた歴史教育が盛り込まれた教科書を、そして教科書運動を創っていけるチャンスだと思うのだ。
韓国の金大中大統領は日本との民間レベルでの交流も凍結する考えをもっているようだが、これを否定的に捉えずに、歴史認識の共同化の第一歩とする取り組みが問われるだろう。

尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書)の最後に次の一節がある。

しかしそのためには植民地支配、そして分断をよぎなくされた朝鮮半島の歴史をふりかえり、とりわけ日本・日本人にとっての朝鮮・朝鮮人の意味を問うことが不可欠ではないでしょうか。そこから、若い人たちが、「過去の清算」のために「戦後責任」という思想をしっかりと身につけていくとき、日本人と朝鮮人がともに生きていく道が大きく開かれていくはずです。それはまた、この地球上のすべての人たちが共生・共存していく道にも、確実につながっていくはずです。「ともに生きる」とは「ともに闘う」ことなのです。

「ハンセン病国家賠償訴訟の判決を読んで」

本日の東京新聞夕刊文化欄に載っていた藤野豊さんの「ハンセン病国家賠償訴訟の判決を読んで」と題したコラムが興味深かった。
記事中で、藤野さんは先日のハンセン病違憲国家賠償の勝訴判決についてその限界性を指摘している。それは判決が国の責任を1960年以降についてのみ認めた点である。ハンセン病の治療法が確立し、「治る病気」になってからも隔離を維持したことを誤りとしているわけであるが、それ以前の「治らない病気」とされていた時代における隔離政策について藤野さんは疑問を投げ掛けている。

ハンセン病患者への隔離は、1907年の「法律癩予防に関する件」に始まる。日本は日露戦争に勝利し、欧米列強と対等の地位を獲得したにも関わらず、国内には3万人を越える植民地なみのハンセン病患者を抱えていた。当時の国家はこれを国辱ととらえ、患者を隠すために隔離を開始した。そして1930年代には医療とは無関係に、国立の「特別病室」と称せられたハンセン病患者のための牢獄が設けられて、反抗的な患者22名が凍死・衰弱死・自殺というかたちで事実上、虐殺された。15年戦争中は、強力な兵力を維持するために、そして国民の一体感高揚のためにハンセン病患者の撲滅が目指された。ちょうどナチスにおけるユダヤ人虐殺と同じ論理である。

現在国会内で超党派のハンセン病の最終決着を目指す議員懇談会があるが、真のハンセン病の最終解決は国家の排外主義政策にまで踏み込んで、議論していかなくてはならないだろう。