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「北朝鮮の有事の危険度」

本日の東京新聞朝刊に「北朝鮮の有事の危険度」と題したコラムが掲載されていた。
日本のマスコミでは、脱北家族の報道などで事あるごとに、北朝鮮の兵力や政治体制の脅威が強調される。しかし、現状は、戦闘機のほとんどが旧世代の代物、実際の戦闘では使い物にならず、兵士も栄養失調や士気の低下が著しいとされている。そして、現在取りざたされている沖縄米軍基地の一番の存在理由として挙げられる北朝鮮有事について次のように述べられている。

(北朝鮮の)核兵器に対しては海兵隊は無力であり、通常兵器での有事の際には 「韓国軍と駐留米軍で防御可能」という。即戦力として投入できる沖縄駐留海兵隊員は約二千人とされ、現実的には「本格的な戦闘は困難。もっぱら韓国や日本、中国などに住む米国人救出部隊となる」といわれる。
北朝鮮に対する「牽制効果」としての海兵隊についても、「牽制効果なら、海兵隊がいなくても日本にいる米陸海空軍の兵力だけで十分」という意見は米国防総省内にもある。

コラムのあとがき、東京新聞記者によるデスクメモが印象に残った。

北朝鮮はミサイルや核を開発し、危機感をあおって食料などの見返りを得てきた。旧態依然とした瀬戸際戦術だが、米国は北東アジア安定のためと称して日韓に長期駐留し、中国は不透明な軍事力増強を続けている。ニワトリと卵の関係ではないが、本当は誰がこの地域を不安定にしているのだろうか。

本日の東京新聞夕刊に、朝刊の疑問に答えるようなコラムが掲載されていた。
名古屋大学特任教授で、外務省の「朝鮮議事録」に関する文書公開に携わった春名幹男氏は次のように述べる。

この(昨秋来の)日米協議で、米側は朝鮮半島有事の際の対応に関して、あらためて佐藤首相の「公約」(朝鮮半島有事の際、在日米軍は事前協議無しに軍事行動 を起こすことを日本政府が当時同意していたという事実)の再確認を求めたようだ。これについて、日本側(鳩山民主党政権)は事前協議に対して「迅速かつ適切に」対応するとの新しい方針示したというのだ。
(中略)また、岡田克也外相自身も米国の「核抑止力」を肯定し、核兵器の存否を「肯定も否定もしない」米政府への支持を表明、米側を安心させた。
密約の相対的重要性は時代とともに変化する。今後は朝鮮有事への対応に関する政策調整が日米の課題となる。

「沖縄から見た密約」

本日の東京新聞夕刊に、沖縄在住の芥川賞作家目取真俊氏の「沖縄から見た密約」と題したコラムが掲載されていた。
目取真氏は、在沖在日米軍の施設や住環境を支え続けている「思いやり予算」の源流が、施政権返還時の財政・経済面での日米間の取り決めにあることを明らかにした上で次のように述べる。
そして、現在の普天間基地の移設について新たな密約を交わすことのないよう警告を発している。

沖縄にとって今回明らかにされた密約問題は、過去の歴史問題として片付けることはできない。米軍基地の沖縄への集中化、固定化を生み出し続ける構造が、施政権返還時の密約から今日まで継続しており、まさに現在的な問題である。

本日の東京新聞朝刊から

毎月末の日曜日の東京新聞の朝刊には、哲学者内山節氏のコラムが掲載される。ちょうど、補習の中で「近代」について扱っているので、自分の文章力の向上も兼ねて、写経ならぬ打経、いや打コラムをしてみたい。

 産業革命が起こり、経済の近代化がはじまると、社会は次第に変化の速さを競うようになっていった。技術開発であれ、新しい市場の確立であれ、速さこそが価値を生み出すという経済社会がつくられていったのである。

この社会にはいくつもの欠点も存在した。変化についていけなくなった企業や商店が淘汰され、変化ではなく継承を大事にする伝統産業は苦境にたたされた。変 化に対応できないとみなされた高齢者は障害のある人々などは、社会的な居場所を失っていったし、急速に変わることのできない自然や、自然とともにおこなわ れる農業なども追いつめられていった。そして誰もが時間に余裕のある生活ができなくなり、それが地域社会や家族のあり方まで変えた。
ところが、このようなさまざまな欠点がありながらも、変化の速さが生み出す経済の拡大に、人々がひきつけられていたのもまた事実だったように思う。変化に よって新しい市場が生まれ、それが雇用の拡大をもたらしながらさらなる変化を促す。二十世紀の終盤までは、このような経済的好循環が、先進国では実現して いたのだから。欠点よりも受け取る果実の方が大きいと、多くの人たちが思ったとしても不思議ではない。
ところが今日ではその果実もえられなくなった。そうなった理由のひとつは中国をはじめとする新興国の台頭で、先進国は低賃金国と競争するという、新しい変 化を強要されるようになった。それは先進国から低賃金への工場移転をもたらしたばかりでなく、非正規雇用の増加をももたらし、雇用の危機を生みだしてし まった。
もうひとつの理由は今日の変化が、市場の拡大ではなく、市場内部の淘汰を促進するようになってしまったところにある。たとえばインターネットの広がりは、 既存の小売店の売り上げ減少や出版社の経営を圧迫する方向で働いたし、デジカメの出現がフィルムカメラ市場を縮小させ、次には携帯電話のカメラ機能の向上 がデジカメ市場を圧迫するというように、新しいものの登場が、市場全体の拡大をもたらさなくなってしまったのである。

こうして変化の速さが経済の拡大をもたらすという近代化のモデルが、今日の先進国では通用しなくなってしまった。このモデルを追いかけていると、矛盾ばかりが顕在化する時代が現れたのである。とすると、どうしたらよいのか。
近代以降の社会は、変化のスピードを上げて経済を拡大すれば、社会も人々の暮らしもよくなるという、一種の「予定調和説」を基本に展開してきた。だが先進 国では、この予定調和説が崩れはじめたのである。そしてそうであるなら、すべての経済活動を変化と結んだ競争にさらすことは、社会や暮らしの維持にとっ て、有効な方法ではないだろう。
むしろ社会のや暮らしの維持にとって必要な経済活動の部分を、過激な変化や競争にさらすことなく拡大していった方がよい。
そのためには、地域が主体となった社会が必要になるだろう。なぜなら何が社会や暮らしにとって必要な経済活動のなのかは、地域を主体にして考えなければ、明らかにできないからである。
先進国の人々はいま、産業革命以降の経済・社会モデルが通用しなくなるという、新しい局面に立たされているのだと思う。私たちが大きな想像力をもつことだけが、この現実を解決していくだろう。

本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞朝刊に作家加賀乙彦氏のインタビュー記事が掲載されていた。
加賀氏はインタビューの中で、「日本の不幸の始まりは1952年、日米安全保障条約の発効にあることを確信した」とし、「米軍基地と公共事業は関係があ る。日本は防衛を米国に任せ、公共事業で高度成長を支えた。日本は米軍基地を通じて朝鮮戦争からイラク戦争まで荷担したのだ。つまり日本の高度成長の裏に は戦争がある」と述べている。

そして、「普天間を端緒に米軍基地をすべて撤廃すべきだ。防衛は自衛隊だけで結構。政治家もジャーナリストも 『北朝鮮や中国の軍事的脅威から、米国が日本を守っている』『米国を怒らせたら大変なことになる』というが、全くの幻想だ。むしろ日本に米軍が駐留し続け ているために、北朝鮮も中国も軍備増強に走る。米軍が日本から出ていけば、東アジアは平安になるのではないか」と主張する。
さらに「米軍基地に象徴されるように、誰かに全部任せっきりにして、『分からない』『興味がない』と考えることを放棄したり、『どうせ何も変わらない』と行動する前からあきらめる習慣から脱却しよう。これからは自分たちで考え、自分自身の意見を持とう」と呼びかける。

いかにも医者らしい高踏的な見解で、右や左に与することなく、個人の判断、個々の責任を主張する。あまり目新しい意見ではないが、時々は目にしたい内容である。

本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞朝刊一面に、沖縄返還交渉中の1969年、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と有事の際に沖縄への核持ち込みに関する密約を交わしていたとの記事が掲載されていた。佐藤栄作というと、首相在任7年8ヶ月の長期政権記録を作った政治家として知られ、在任当時から「官僚政治」「対米依存」と非難されつつも、単独与党、絶対多数の政局安定を持続し、さらには「非核三原則」の宣伝文句でノーベル平和賞まで受賞している。
しかし、今回のこの密約の確定で、「二枚舌外交」のごまかしが明らかになった。また、佐藤栄作氏の次男で元運輸相の信二氏も影響が大きいことを危惧して隠しており、自民党政権は否定を続けてきた。しかし、これは過去の事件として片づけてしまう問題ではない。現在の日本政府も非核政策を掲げているが、果たしてこの密約は今も生きているのであろうか。今後の日本の外交政策の基本は環境と核なき平和である。その足元はクリアーであってほしい。