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「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、特別支援学校高等部の卒業生が、障害者採用の枠によって正社員として内定が決まり、家族が救われるという 話であった。障害者を抱えた家族は貧困に陥りやすく、障害者採用の枠は単に障害者自身の生活だけでなく、家族の支援にも繋がっていくため、より一層の充実 が求められる。
以下、新聞記事の引用である。

国は障害者雇用率制度で、民間企業や公共団体に全社員、職員のうち一定の割合で障害者を雇用するよう義務づけている。
愛知県教委の調査によると、公立特別支援学校高等部卒業生の就職内定率は近年95%前後を維持している。だが、県内のある特別支援学校教諭は「毎年、卒 業生の2割は1年を持たず、半数は3年を持たずに会社をやめてしまう」と指摘。「障害者が自分に合う仕事や職場を選べるだけの環境はまだ整備されていな い」と、課題を挙げている。

「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、

以下、新聞記事の引用です。

公立小中学校では給食費の未納問題が深刻化している。文部科学省によると、2009年度の給食費未納総額は約26億円(推計)とされ、前回の05年度調査より約4億円増えた。学校側が挙げた一番の理由は「保護者の責任感や規範意識の欠如」だ。
修学援助と生活保護の家庭が7割にも達する名古屋市内の小学校で勤務経験のある事務職員は「計画的にお金を使うことが不得手だったり、気が回らなかったりというケースが多い。一概にモンスターペアレントと片付けるのは乱暴だ」と指摘する。

本日の夜、人気の雨上がり決死隊が司会を務める「アメトーーーーーーク3時間スペシャル」を観た。
お馴染みとなった「運動神経悪い芸人」や、「家電芸人」などの「括り」でトークが展開されたのだが、最後の「売れていないのに子供がいる芸人」の回で、久しぶりに涙腺が緩んでしまった。まさにタイトルそのままの内容で
、収入が安定しない苦労話や「あるある」話がぽんぽんと展開された。最後に「もし自分が子どもだったら、自分にどんな声をかけるか」というコーナーで、話 している本人や司会、観客まで涙ぐんでいたので、わたしも「もらい泣き」をしてしまった。正月からちょうど「子どもの貧困」という新聞記事を追っていたこ とも関係しているのかもしれない。

秋葉原事件

本日の東京新聞夕刊に、雑誌『ロスジェネ』元編集長の浅尾大輔氏の文章が掲載されていた。浅尾氏は、秋葉原事件の公判傍聴を続けており、村上春樹氏の『アンダーグラウンド』や大岡昇平の『事件』などの小説を紹介しつつ、あるべき労働文学について次のように述べる。

 作家は、つかんだ真実の痛みを跳躍台として物語へと昇華する。ならば今、新しい労働文学を描くポイントは、働く人間の物語を「やったらやり返せ」式の文脈から切り離すこと。私の取材では、若い殺人者(秋葉原事件の加害者)は「派遣切り」の最中、自動車ボディーの検査ラインの休憩所で、「トラックを借りて、工場ゲートの正面に横付けして、営業妨害してぇなァ!」と口走っている。彼の幼稚なファンタジーは、どこからきたのか。労働組合は、何をしていたのか。
 私が自動車に心を奪われたのは、ひとつに彼が偏愛したものだから。ふたつに無遅刻無欠席でつくっていたものだから。そして彼が「我を忘れるような怒り」と表現した暴力の息の根を、新しい労働文学を描くことで止めたいからだ。

もう十数年前になったが、私自身が学生時代に卒業論文を書き始める際に考えたことは、戦前の機関車の操業に携わる労働者の心理を中野重治の文学を通 して研究したいということであった。大陸の植民地支配の切り札であり、働く者を苦しめる機関車に魅せられる若者の心理に迫ることで、当時の国労闘争の

「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、児童養護施設で暮らす小学校2年生の男子児童が、たまの外泊で父親と「ニンテンドーDS」で楽しんでいる という内容である。子どもを取り巻く「貧困」は、かつてとは様相を異にしており、DSやiPod(アイポッド)などの最先端の電子機器は”必需品”。継ぎ はぎだらけの服のかわいそうな子どもたちは、過去の話で、施設の中堅職員は「公園で遊んでいても、誰も貧しいとは気付かない」と語る。
見た目が普通であれば、貧困に気付かないというのは、功罪両方あると感じる。日本は安くて高品質な服が広く流通しており、それなりの格好をしておれば貧困が分かりにくいというのは良いことでもある。しかし、身なりや持ち物だけで判断してしまうのは危険である。
私たち日本人は、昔のアニメやドラマのような分かりやすい貧しさに慣れ親しんでいるためか、どうしても普通の身なりをしていると「中流」だと決め込んでしまう節がある。そうした内なる常識を打破していくことが求められる。
以下、記事の引用である。しかし、何が言いたいのか一読した限りでは良く分からない。

国立社会保障・人口問題研究所部長の阿部彩氏は著書「子どもの貧困」で、日本人の「貧相な貧困観」を指摘する。子どもにとって の必需品を調査した先進国間のデータの比較では、英国では84%がおもちゃを必需品と回答したのに対して日本では12.4%、自転車は英国で55%、日本 が20.9%など、いずれの項目でも大きな差があった。
阿部氏は日本人の心理の根底にある「総中流」や「貧しくても幸せな家庭」といった「神話」が、子どもの貧困問題に対する日本人の鈍感さにつながっているとみる。

貧困を考える

今日の東京新聞朝刊の連載記事「子ども貧困」は、母子家庭の母親が手作りの弁当を作るという内容であった。失業した夫の暴力に堪えきれずに「母子生活支援施設」に入所した母親が、生まれて初めてお弁当を作ったところ、子どもが目を輝かせて幼稚園に出かけたということだ。
園児にとって手作りのお弁当というのは、味以上に親の愛情を身近に感じるものだ。そうした手作りのお弁当を作る時間と環境は「健康で文化的な最低限度の生活保障」に該当するであろう。
以下、新聞記事からの引用である。

働いても働いてもぎりぎりの生活を強いられているのが、123万世帯(2003年調査)いる母子家庭だ。厚生労働省によると、 07年の時点で、母子家庭・父子家庭の半数以上は貧困状態にある。現在の生活について「苦しい」と答えた母子家庭は約9割だった。07年国民生活基礎調査 では、全世帯の平均所得は566万円なのに対し、母子家庭は236万円。全国の母子生活支援施設に入所する母親の8割が非正規雇用で、その半数の毎月の就 労収入は10万円未満とのデータもある。

また、同じ日の朝刊に、看護師宮子あずささんの「深夜労働を問う年に」と題したコラムが目を引いた。宮子さんは、日本の看護師の多くが深夜労働を強いられる現状を紹介した上で次のように述べる。

大事なのは、有害業務である夜勤を減らし、休日休める人を増やすことだ。そのためには、私たちひとりひとりが、ある程度の不便を受け入れねばならないだろう。
まずはコンビニをはじめとする小売店の営業時間は、あんなに長い必要があるだろうか? 正月や夜中くらい、休んではどうだろう。生産が追いつかないくらい売れる商品とて、これからはそうそう出るまい。ならば工場のラインも、夜は休ませればよいのである。
「夜中働くのは、よほどのこと」。この認識が根付けば、やむなく夜勤に就く人の待遇も改善するだろう。自分が休みたい時は、誰もが休みたいはず-。その想像力があれば、多少の不便は辛抱できないものか。便利に慣れた自分自身にも、あらためて問いかける年にしたい。