本日の東京新聞夕刊に、大学時代お世話になった早大教授塚原史氏の「すれ違った2つの歴史」と題されたコラムが掲載されていた。
(中略)1970年のその日、昼前だったろうか、大学生の私は、思想書の読書サークルの仲間たちと、神田川に架かる面影橋から、増水した流れを激 しい不安を抱いて見つめていた。前夜、同じサークルの下級生たちが、おそらくまったく個人的な理由で、この橋から身を投げたのだ。当時は水流が速かったか ら、そのあたりに彼が見つかるはずはなく、
本日の東京新聞夕刊に、大学時代お世話になった早大教授塚原史氏の「すれ違った2つの歴史」と題されたコラムが掲載されていた。
(中略)1970年のその日、昼前だったろうか、大学生の私は、思想書の読書サークルの仲間たちと、神田川に架かる面影橋から、増水した流れを激 しい不安を抱いて見つめていた。前夜、同じサークルの下級生たちが、おそらくまったく個人的な理由で、この橋から身を投げたのだ。当時は水流が速かったか ら、そのあたりに彼が見つかるはずはなく、
本日の東京新聞朝刊の一面コラム「筆洗」の文章が心に止まったので、留めておきたい。
子育てを妻任せにせず、積極的にかかわっている父親はイクメンと呼ばれる。仕事を言い訳にして育児は妻に頼りっきりで、いまだに肩身が狭い者としては、自然体で子育てをするイクメンたちはまぶしい存在だ。
休日には夫の家事・育児時間が長いほど第二子が生まれる割合が高いという調査結果もあるという。少子化対策にも効果的なイクメンを増やそうと、自治体の首長から育児休暇を積極的に取る動きが出てきた。
広島県の湯崎英彦知事は「子育て支援の象徴的なメッセージとなる」と第三子の出産に合わせて、今月末から育休を取得する。長男(七つ)、長女(四つ)の世話や家事が必要な時間帯に限り、約一カ月間、一部の公務を休む。これに異を唱えたのが、七人の子どもの父親である橋下徹知事だ。
自治体は組織も大きく、首長が育休を取っても支援を得られやすいが、世間ではそんな人は圧倒的に少ないと橋下知事。「休もうと思っても休めないのが現状。世間が育休をとれる環境をつくってから取るべきだ」と語った。
世間知らずとの苦言に、湯崎知事は「大きなお世話だ」と反論。自らが実践することで、男性が育休を取得しやすい環境づくりに取り組む考えを強調したという。
二人の知事の主張は、それぞれ理解できる。イクメンが当たり前の世の中にしていくためにも、論争の深まりを期待したい。
本日の東京新聞朝刊に、北海道の斜里町の小学校脇の車道に出没したヒグマの写真が掲載されていた。ちょうど先日観た映画『ナイトミュージアム』の一シーンとそっくりだったので、目を見張ってしまった。
今年は異常気象のためか、サルやクマの市街地の出没が相次いでいる。これまでは自然破壊のために餌が不足し、森の動物が下りてきていたのだが、ラジオの ニュースによると今年はどうも様子が違うらしい。異常気象によるものか、人間をからかうためなのか、よく分からないそうだ。
それにしても、今年の猛暑はすでに過去のものになったのであろうか。猛暑が残した傷跡はないのだろうか。数年後、動物や植物の生態系の微妙なバランスの変化が生じないとも限らない。
本日の東京新聞の朝刊の読書欄に、批評家平井玄氏への、著作『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)を巡るインタビュー記事が掲載されていた。
ふと読んでみると、昨日と同じ東京新聞大日方公男記者の文章であった。平井玄氏というと、15年ほど前、学生時代にどこかの飲み屋でとりとめもない話を聞かされたような記憶が無きにしもあらずである。あれは、ロフトプラスワンであったか、顔のよく見えない薄暗い空間であったことはかすかな記憶として残っている。
新宿に生まれ育ち、高校時代に全共闘運動に加わり、大学へ。だが、「引き際を逸して党派の内ゲバに追われ、エネルギーと屈託を抱え込んだまま新宿の街に流れ込んだ。そんな若い連中はたくさんいた。六〇年代がはらんでいた闘争や活動の可能性が舞台を大学から街に移して白熱した文化運動が展開されていたのですね」
(中略)
「家業の洗濯屋で働き、文壇バーやジャズクラブの裏口から出入りし、暗い緊迫感に満ちた様子を眺めたのは面白い経験だった。そんな中で、地方から出てきて学歴もなく仕事も続かず街をうろつく若者たちの姿や、元赤線地帯で育った自分の姿も次第に見えるようになった」
正義や理念を独占する前衛でもなく、利潤に邁進する産業の網の目からも逃れて、民衆の中に紛れこんで自らを媒介者とする〈自営労働者〉という自己規定は、そんな実感の後にたどり着いた。
本日の東京新聞夕刊の文化欄に京都精華大学教授の池田浩士氏のインタビュー記事が掲載されていた。懐かしい名前だと思いながら読んだ。
池田氏のコメントを引用してみたい。
ユダヤ人の虐殺など歴史を被害者の側からだけでなく、加害者の視点も含んで考える必要があると思います。ナチズムは自民族に伝統の力をもたらし、世界史の主流であった国際的な社会主義に異を唱え、それらを超モダンなラジオや映画というメディアを駆使して巧みに情宣した。そういう感性に変える創意の力に人々は抵抗できなかったのです。
ナチズムは失業を解消し、ボランティアや強制労働で国力を盛り返し、現実的な閉塞も取り除いてきました。就職氷河期や外国人労働者に3Kの仕事を任せている今の日本社会とどこか似ているんです。
人間は一所懸命に生きていると、かえって現実がみえなくなることがある。ナチズムの時代に生きて『希望の原理』を書いたブロッホは、不安や陶酔に足をすくわれがちな今という時間の闇ではなく、覚醒した未来を立脚点として歴史や社会を考えました。ホロコーストに行き着くのを避けるためです。
最後に、インタビュアーの大日方公男氏は、池田氏の長年にわたる全体主義批判の研究に触れながら次のように述べる。
国民のなかで文化や伝統の厚みを持ち、多数派の感情を占有し、暗黙の合意とされてきたものに向け、文学の想像力がどこまで拮抗できるか-。ナチズムの歴史や表現にも、死刑制度の問題にも、日本人の無意識までかたちづくる天皇制に関しても、文化の虚構性を解体するという批判が生きている。そうした作業が池田さんの評論活動の中心にある。天皇制については先ごろ、『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(現代企画室)を出している。
「具体的な生活や日常とカイリした借りものの思想や、現実を隠蔽した歴史のなかで批判的想像力が掴まえられてしまうのでは意味がありません」