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「子ども貧困」

今日の東京新聞の「子ども貧困」は、新聞奨学生となって専門学校に通うも、家庭の経済状況で中退せざるを得ない若者の背景に迫っている。特に専門学校では 奨学制度が充実していないため、授業を払えないとすぐに中退に追い込まれてしまう。学費の高騰により、バイト代で学費を稼ぐというのが夢物語となってし まった以上、働きながら夢を追う若者の何らかのサポートが必要となってくるであろう。
以下、新聞記事の引用です。
国が「学校教育の最も重要な調査」と位置付ける学校基本調査は、その対象を在学・卒業者に限っている。中退者の実数すらつかめていないのが現状だ。文部科学省調査企画課は「大学や専門学校の担当部署から依頼がない」と素っ気ない。
東京都専修学校各種学校協会の2008年度の調査によると、都内の専門学校中退者は約6500人に上った。「資格を目指す目的意識の高い学生が多いだけに、経済的な理由が与えた影響は大きいのでは」と危機感を募らせる。

「子ども貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子ども貧困」は、一見普通の暮らしをしていながら、借金まみれになっているケースを紹介している。特に田舎では横並び意識から教育 費などを無理し、子育てを終えるころに限界が来るという。公教育を充実させ、「学校で勉強していれば大丈夫」という信頼、引いてはそういう社会を作ってい くことが求められる。
以下、新聞記事の引用です。
多重債務問題に取り組む全国の約90団体が加盟する「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」によると、2009年に寄せられた相談件数は計約 8200件。相談者は40、50代で半数近くを占め、借金の主な原因は「家計費の補助」が40%超。「年齢的に給料は最も多くなる時期だが、子どもの養育 費も多く掛かるころ」と同会の本多良男事務局長は指摘する。

「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、特別支援学校高等部の卒業生が、障害者採用の枠によって正社員として内定が決まり、家族が救われるという 話であった。障害者を抱えた家族は貧困に陥りやすく、障害者採用の枠は単に障害者自身の生活だけでなく、家族の支援にも繋がっていくため、より一層の充実 が求められる。
以下、新聞記事の引用である。

国は障害者雇用率制度で、民間企業や公共団体に全社員、職員のうち一定の割合で障害者を雇用するよう義務づけている。
愛知県教委の調査によると、公立特別支援学校高等部卒業生の就職内定率は近年95%前後を維持している。だが、県内のある特別支援学校教諭は「毎年、卒 業生の2割は1年を持たず、半数は3年を持たずに会社をやめてしまう」と指摘。「障害者が自分に合う仕事や職場を選べるだけの環境はまだ整備されていな い」と、課題を挙げている。

「子どもの貧困」

本日の東京新聞朝刊の「子どもの貧困」は、

以下、新聞記事の引用です。

公立小中学校では給食費の未納問題が深刻化している。文部科学省によると、2009年度の給食費未納総額は約26億円(推計)とされ、前回の05年度調査より約4億円増えた。学校側が挙げた一番の理由は「保護者の責任感や規範意識の欠如」だ。
修学援助と生活保護の家庭が7割にも達する名古屋市内の小学校で勤務経験のある事務職員は「計画的にお金を使うことが不得手だったり、気が回らなかったりというケースが多い。一概にモンスターペアレントと片付けるのは乱暴だ」と指摘する。

本日の夜、人気の雨上がり決死隊が司会を務める「アメトーーーーーーク3時間スペシャル」を観た。
お馴染みとなった「運動神経悪い芸人」や、「家電芸人」などの「括り」でトークが展開されたのだが、最後の「売れていないのに子供がいる芸人」の回で、久しぶりに涙腺が緩んでしまった。まさにタイトルそのままの内容で
、収入が安定しない苦労話や「あるある」話がぽんぽんと展開された。最後に「もし自分が子どもだったら、自分にどんな声をかけるか」というコーナーで、話 している本人や司会、観客まで涙ぐんでいたので、わたしも「もらい泣き」をしてしまった。正月からちょうど「子どもの貧困」という新聞記事を追っていたこ とも関係しているのかもしれない。

秋葉原事件

本日の東京新聞夕刊に、雑誌『ロスジェネ』元編集長の浅尾大輔氏の文章が掲載されていた。浅尾氏は、秋葉原事件の公判傍聴を続けており、村上春樹氏の『アンダーグラウンド』や大岡昇平の『事件』などの小説を紹介しつつ、あるべき労働文学について次のように述べる。

 作家は、つかんだ真実の痛みを跳躍台として物語へと昇華する。ならば今、新しい労働文学を描くポイントは、働く人間の物語を「やったらやり返せ」式の文脈から切り離すこと。私の取材では、若い殺人者(秋葉原事件の加害者)は「派遣切り」の最中、自動車ボディーの検査ラインの休憩所で、「トラックを借りて、工場ゲートの正面に横付けして、営業妨害してぇなァ!」と口走っている。彼の幼稚なファンタジーは、どこからきたのか。労働組合は、何をしていたのか。
 私が自動車に心を奪われたのは、ひとつに彼が偏愛したものだから。ふたつに無遅刻無欠席でつくっていたものだから。そして彼が「我を忘れるような怒り」と表現した暴力の息の根を、新しい労働文学を描くことで止めたいからだ。

もう十数年前になったが、私自身が学生時代に卒業論文を書き始める際に考えたことは、戦前の機関車の操業に携わる労働者の心理を中野重治の文学を通 して研究したいということであった。大陸の植民地支配の切り札であり、働く者を苦しめる機関車に魅せられる若者の心理に迫ることで、当時の国労闘争の