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生活保護 150万世帯に

本日の東京新聞夕刊に、厚生労働省が全国で生活保護を受給している世帯が150万2320世帯が過去最多を更新したと発表したとの記事が掲載されていた。昨年7月時点で60年ぶりに最多を更新して以来、受給世帯・人数ともに増加が続いている。
世帯類型別の内訳では、最も多いのが「高齢者世帯」63万5367世帯、続いて「傷病者世帯」32万1712世帯、次いで、働ける年齢層を含む「その他世帯」が25万4841世帯だった。

この統計の中には、働いているにも関わらず生活保護支給水準よりも低い生活を強いられているワーキングプアは含まれていないので、潜在的な貧困層はかなり多いと思われる。国内の総世帯数が5000万弱なので、生活保護だけで約3%、生活保護水準の貧困層を含めれば凡そ5%は苦しい生活を強いられていることになる。生活保護が最低限度生活の保障という側面を考えると、市町村にはよりフレキシブルな対応が求められるであろう。

一方、本日の東京新聞朝刊には、「防げ貧困の連鎖・下」と題して、埼玉県の生活保護世帯の支援事業現場の記事が掲載されていた。埼玉県では生活保護受給者を支援する「アスポート事業」が昨年9月より実施されている。この「アスポート事業」とは、「職業訓練支援員」「住宅ソーシャルワーカー」「教育支援員」の3事業からなっている。このうち「教育支援員」は塾に通えない生活保護世帯の中学生を対象とした大学生などのボランティア事業である。
「職業訓練支援員」事業において、県内4カ所に事務所が置かれ、昨年11月末時点で、575人が介護や清掃、パソコン操作などの就職訓練につながり、613人の就労が決定し、81人が生活保護から自立してる。

「アスポート川口」で職業訓練支援事業員を務める高橋氏は、仕事を失い自信を失っている人の心を開き、生活環境を整え、悩みや働けなくなっている理由をともに考え、自信を回復することが大切だと述べる。

こうした中学校の担任の先生のような地道な支援が、生活保護からの脱却には必要である。生活保護の量的な拡充は必要であるが、一方で、生活保護に陥らない、生活保護から自立する働きかけの二つの歯車が、地方行政の施策のレベルでかみ合っていくことが大切である。一方を国に丸抱えだったり、一方を民間に丸投げしたりでは、いつまでも無責任行政が罷り通ってしまう。

死刑執行ゼロ 19年ぶり

本日の東京新聞朝刊に、1992年以来19年ぶりに、今年の死刑執行がゼロであったとの記事が掲載されていた。未執行のまま拘置所に収容されている死刑確定囚は129人いるが、今年に入り法相を務めた三人が、執行に必要な大臣命令を出していない。
現法相の平岡法相は「命令しないのにはさまざまな要因がある」と会見で述べている。刑事訴訟法では、死刑判決確定から原則6ヶ月以内に法相が執行命令を出すよう定めている。しかし、民主党政権下での執行は昨年7月、千葉元法相が2人だけ行っただけで、以後2ヶ月兼務した仙谷由人官房長官、7ヶ月在任した江田五月前法相も執行に慎重な態度を見せていた。

私は国家権力のもとでの死刑執行には反対である。「国民主権」の現憲法においては、国民の一人一人が死刑執行に責任を負うことになる。経済格差や地域・家庭の希薄化、情報の濫造が死刑に至るような重大犯罪を誘発するのであって、100%個人の責任に帰することは危険である。私はそうした社会状況が生み出した犯罪に対する刑罰としての死刑に、主権者として賛成できない。また、検察の捏造や冤罪が後を絶たない現状を鑑みても死刑制度そのものを即時廃止すべきである。

しかし、一方、法相の個人的な哲学で死刑執行が延期されるのも問題である。法治国家である以上、行政府は法律に縛られなくてはならない。行政府は法律の定める範囲内で出来るだけ思いやりを持ち、かつ粛々と仕事を行うべきである。それ以上については法律そのものの改正に期するべきである。死刑制度には反対であるが、刑事訴訟法の執行は厳粛に行っていくべきである。また天皇個人の結婚や就任に伴う恩赦も法制度を根幹から揺るがすものである。個人的な見解や行事で法治国家の原則は曲げてはならない。

「梯子のような橋になりたい

本日の東京新聞に夕刊の文化欄に、『ピョンヤンの夏休み』を刊行した作家柳美里さんのインタビュー記事が掲載されていた。
柳さんは、ここ数年で3回北朝鮮に渡り、北朝鮮に暮らす普通の人々の生活の様子を本に著している。そして、今回の金正日総書記に死去の報道で日朝関係に変化が生じることについて、次のように語る。

国同士の関係は、人の流れができなければなにも変わらないと思いますね。(中略)今回の訃報で、特定のレッテルや感情的な偏見がぶり返すようなことになってほしくないです。

そして、歴史の流れに沿って考える姿勢が必要だというスタンスで次のようにも語る。

例えば、日本が高度成長期だったころの朝鮮半島情勢はどうだったのか。従軍慰安婦問題から拉致問題を時系列で見ると約30年。この間の流れをもっと理解してほしいと思いますね。

確かに1950年代から80年代にかけて、日本はアメリカの核や軍事力の傘下の下で経済成長を突っ走ってきた。しかし、それは朝鮮半島における歪な形での停戦が保たれていたからである。その間の歴史については高校の世界史でも触れることは少ない。
最後に自身のこれからの役割について次のようにまとめる。

堂々たる橋ではなく、梯子みたいな橋のような存在になりたい。橋が固定されて大きくなると、そこが一つの”立ち位置”になる。物書きとしてはそれではいけないと私は思っています。梯子を架けて渡って、いったん外してまた架けて次の場所に行く。そういう存在。判で押したようなステレオタイプの北朝鮮議論をいつまで続けるのか。人は自分の立ち位置によって見方や考え方は違いますが、歩いてみれば、見えるものがまた違ってくるだろうと思います。一つの立場にとどまっているより、歩いて、場所を変えて、見方を変えていくということを選びたいんです。

『「郊外」の風景に見る3・11後の未来』

本日の東京新聞夕刊に、甲南大学専任講師の社会学者阿部真大氏の『「郊外」の風景に見る3・11後の未来」と題したコラムが掲載されていた。
その中で、阿部氏は、郊外出身の最近の若者が自分の生まれ育った場所=ジモト志向が強いことを挙げ、三浦展氏の「ファスト風土」で指摘される田舎でもない都会でもない快適さのみを追求した郊外のありようについて、次のように述べている。

田舎のしがらみがなく、都会の喧騒もないその場所は、同時に田舎のコミュニティーもなく、都会のイノベーションもない場所であった。その代わり、その場所は、ひたすらみずから(とその家族)の生活にしか興味のない「私生活主義」が蔓延していった。
田舎や都会と、現代の日本の郊外の最大の違いは「他者への想像力」の有無である。形は違えど、田舎と都会には、自分とは異なる「他者」がおり、彼らとうまくやっていくことが、そこで生きる上での絶対条件であった。しかし、郊外には「他者」がいない。いないというより、むしろそれを「ノイズ」として拝することを目的として、同質的な人々が集まって郊外はかたちづくられてきたのである。
もし、郊外がポスト3・11の時代を生き抜くとするならば、その未来は「他者への想像力」を取り戻せるかどうかにかかっている。復興における「私生活主義」の弊害は明白になりつつある。(中略)

私自身、横浜のニュータウンと称される「郊外」に育ち、現在は国道16号沿いの埼玉の「郊外」で生活をしている。ともに東京まで1時間弱のの利便性の高い地域である。日常、チェーン店で食事や買い物をし、日曜日にはミニバンに乗ってショッピングモールへ家族で繰り出す、まさに「The 郊外者」である。隣近所も概ね同じ世代の同じような家族構成の家庭ばかりである。そうした絵に描いたような郊外者にとって「他者」の定義はとてつもなく広い。独身者や、外国籍、正社員ではない労働者など、郊外の同質性、それに伴う排外主義は強固である。そうしたロジックに気付いた上で、筆者の指摘する「コミュニティーとイノベーションの両者を兼ね備えた公共性」の創出が求められる。

「短編踏破で春樹文学に迫る」

本日の東京新聞の夕刊コラムに、文芸評論家の加藤典洋さんのインタビュー記事が掲載されていた。
新刊評論『村上春樹の短編を英語で読む』(講談社)にまつわる春樹文学への評価が述べられている。その中で加藤氏の評論家の姿勢に関する次の言葉が印象に残った。

 批評家と作家は会わない方がいい。作品が良くないときにはそう言わないといけない。
 相手に申し訳ないという気持ちを忘れてはいけない。だから批評として誠実な対応をしているつもりです。手抜きをしないでしっかりと、何遍も読む。作者から「こんなことは考えてない」と言われても、はかりに載せるとこちらの言葉とつり合わないといけない。
 批評は枠組みの中で考えるのではなく、新しい出来事にショックを受けて一回壊れ、今までの考えにも枠があったと気付かされる経験です。地図のないところからどういう枠組みを自分で提示していけるかが、問われていると思います。

特に、加藤氏の「相手に申し訳ないという気持ちを忘れてはいけない」という言葉が胸に響く。私も授業の中で、浅薄な知識を基に文学作品や作者についてしゃあしゃあと語っているが、果たして不遜な態度で向き合っていなかっただろうか。一つの作品を語る上で、その数倍の作品を読み、作者の経歴と時代状況を調べ、謙虚な姿勢で授業研究に勤しむ姿勢を加藤氏に倣って持ち続けていきたい。