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「戦わないために闘う」

本日の東京新聞朝刊に、名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続ける横田チヨ子さんの話が載っていた。サイパン島で機銃掃射の中で駆けずり回った経験のある横田さんは次のように述べる。

 ウチナンチューはサイパン島でだまされてのたれ死んだ。また沖縄は騙されるのか—。戦火をくぐり抜け、生かされている私の使命は、サイパン島の悲劇を繰り返させないこと。基地がなければ、沖縄は攻撃されない。それが私の最後の仕事。
 どんな時間がかかっても、話し合いを続けなければいけない。それが民主主義。私たちの闘いは戦争を起こさない、戦わないための闘いです。

戦わないための闘い、つまり話し合いを続けることが民主主義だと横田さんは強調する。数の力で話し合いを拒否するどこかの首相に聞かせたい話である。

「子は宝。産むことは罪なのか」

本日の東京新聞朝刊に、中国の「一人っ子政策」全廃に関する特集記事が掲載されていた。身につまされるような話だったので、全文引用してみたい。この話は決して他所の国の過去の政策として済まされる話ではないと思う。他山の石としたい。

中国当局は、長年続けた「一人っ子政策」の全面廃止を決めたが、既に二人目以降を出産した親が罰金が払えないために「黒孩子」(闇の子)と呼ばれる無戸籍層に恩恵はない。二人の娘を持つ北京市の母親(41)が苦悩を吐露した。

九歳の長女と六歳の次女がいます。次女は戸籍がありません。中国では何をするにも「市民身分証」のカードが必要です。身分証のない次女は飛行機にも乗れず、医療保険もない。このままでは将来、普通の就職もできません。
二人目の妊娠がわかった時、中絶するか悩んだ末に産みました。北京市に届け出ると、平均年収の六年分の二十四万元(約四百五十万円)を社会扶養費(罰金)として請求されました。家財道具を売って払おうと考えましたが、ネットで調べたら、一人っ子政策に抗議して異議申し立てをする親がいると知りました。
彼らと交流するうちに、「自分は国策に逆らった」と洗脳されていたことに気づきました。子どもを産むことは天から授けられた権利。それがなぜ罪なのか。国が権利を奪うことはできない。私たちも異議申し立てをしました。
次女は三歳のころ、自分に戸籍がないことに気づきました。でも身分証は買えると思っているようで、缶に小銭を入れて貯金もしています。私がつい「もうじき身分証がもらえるよ」と言ってしまったことがあります。娘は興奮して喜び、「(身分証の)写真を撮る時、これを着るの」と洋服も用意しています。いたたまれない気持ちになります。
政府は以前、「無戸籍の子どもは千三百万人」と発表しました。実際はその何倍もいるでしょう。中国では、役人は一人っ子政策を徹底しないと出世できません。地方では罰金を払わない家庭の家財道具を押収したり、暴力を加えていると聞きます。北京に住む私たちは恵まれている方です。
「黒孩子」という言葉には抵抗がありますが、まだ我慢できます。でも「超生的」(余分の子)という言葉もあり、それは許せない。子どもはみんな宝物。余分な子なんていません!
一人っ子政策の廃止は遅すぎました。既に多くの家庭が罰金を払っている以上、私たちの罰金もなくならない。戸籍がなくとも義務教育は受けられるので、次女も小学校に通っています。でも高校、大学は無理。いずれ罰金を払うことも考えています。
姉妹が仲良く遊ぶ姿を見ると、本当に幸せを感じます。周りの人に「二人目を産んで後悔していない?」と尋ねられます。でも夫といつも話すんです。「あの時、中絶していたら、こんなかわいい子と出会えなかった。その方がずっと後悔していただろうね」って。

中国では一人っ子政策を突き進めた結果、親が一人の子どもに財力をつぎ込む生活様式に変わり、条件のよい進学、就職のために幼稚園選びから競争が始まるというギスギスした雰囲気が蔓延するようになった。無戸籍層は公式統計では国内で1300万人に達すると言われるが、二人目を産んで罰金が払えずに国外へ移住せざるを得ない例もかつてあったように思う。中国の内政問題ではなく、外交問題だと言ってもよい側面がある。
人口が多いからと抑制し、今度は一転人口が増えないからと緩和策に踏み切ったわけだが、日本の猫の目政策とも重なるところが多い。
今後とも影響を及ぼす問題であり、注目していきたい。

一人っ子性格
中国が人口抑制策として1979年に導入。違反者から高額の罰金徴収や拘束、強制中絶などの措置を取ってきた。この結果、昨年の0歳~14歳人口は全体の16.5%(世界平均27%)に。2013年には夫婦の一方が一人っ子の場合、2人目を認める緩和策を始めたが、出生数は大きく伸びなかった。政策緩和は来年から。

「核燃料サイクルに12兆円」

20151117東京新聞より

本日の東京新聞朝刊一面は、廃炉が取りざたされている高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を中核に進められてきた核燃料サイクル事業にかかったコストが、少なくとも12兆円にのぼり、今後も毎年1600億円ずつ増えていくことが判明したとの記事であった。
先日大騒ぎした国立競技場の建設費が千数百億円から三千数百億円と言われている中で、この12兆円の馬鹿らしさは一体なんなんだ。しかも青森県六ケ所村の再処理工場すら完成の見込みも立っておらず、全く実績ゼロなのに、今後も毎年国立競技場なみの建設費が消えていくという。国立競技場のデザイン決定に至る瑕疵は報道の中でかなり明らかになったが、この「もんじゅ」も見通しの甘さと、惰性に任せ見直しを避けてきた体制に是非ともメスを入れてもらいたいものだ。東京新聞の良心に期待したい。

小6女子が特許 磁力で缶自動分別ごみ箱

ケチを付ける訳ではないが、本日の東京新聞夕刊にスチール缶とアルミ缶を磁石の力で自動的に分別するごみ箱を開発した小学生が特許を取得したとの記事が載っていた。記事の文面だけを読むと向学心あふれる子どもの微笑ましいニュースなのだが、実際に作られたごみ箱の設計図を見ると、驚きというよりもがっかり感でいっぱいとなった。言葉は悪いが、こんな代物で特許が取れてしまうなら、これまでのモノづくり現場での絶え間ない製品の改良やアイデアをどう評価すれば良いのか。
子どもに阿るあまり、著しい不公平感を与える特許庁の判断は首を傾げざるを得ない。

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(以下、東京新聞の記事より)
愛知県安城市の丈山小学校六年が、磁石の力を利用してスチール缶とアルミ缶を自動的に分別するごみ箱を開発し、特許を取得した。公益社団法人発明協会(東京)によると、小学生の特許取得は非常に珍しい。◇◇さんも「特許が取れるなんてびっくりした」と喜ぶ。
ごみ箱はプラスチック板などを組み合わせた直方体で高さ約九十センチ。内部に仕切りがあり、スチール缶入れとアルミ缶入れに分かれている。
投入口はアルミ缶入れの真上に設けた。アルミ缶はそのまま真下に落ちるが、スチール缶は磁石の力で反対側に落ちる仕組み。全てホームセンターで手に入る安価なもので作った。
◇◇さんがごみ箱を作ったきっかけは、昨年の夏休みの課題として出された自由研究。祖父がスーパーを営んでおり、自動販売機のごみ箱のスチール缶とアルミ缶を仕分けするのを見て、着想を得た。
父と協力して作製に取り掛かり、約三週間かけて完成した。磁石は投入口の下にある小さなプラスチック板に張り付けたが、当初はスチール缶が磁石にくっつき、うまく仕分けられなかった。試行錯誤を重ね板の大きさや形を調整。昨年十二月に出願、ことし八月に認められた。

「伝わらぬものなら映画にしてでも」

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本日の東京新聞朝刊に、脱原発訴訟の弁護士を務めている河合弘之氏のインタビュー記事が掲載されていた。
河合氏は、脱原発運動をしていた核化学者の高木仁三郎氏に「弟子入り」し、20年前から電力会社相手に原発の危険性を訴える訴訟を続けている。負け続けながらも諦めずにチャレンジし続ける河合氏の次のコメントが印象に残った。

 (九州電力川内原発の仮処分が認められず、ことし8月に再稼動したことについて)
川内原発の仮処分が認められなかったことは、冷静に受け止めています。目の前のことに一喜一憂し、ここで負けたらすべて終わりではない。一つでも多くの原発の再稼動を阻止し、時期を遅らせ、基数を減らす。そうして再稼動を抑え込んでいくんです。
手段は訴訟や仮処分だけではない。脱原発のデモや集会をやったり、首長に働き掛けたり、署名運動をやったり、総力戦ですよ。

何気ない言葉であるが、策略家ならではの考えが表れている。得てして凡人なるものは、「これが勝負だ」「ここは必ず勝たなくてはならない」「ここで負けたらおしまいだ」と、一つのメルクマールに拘り過ぎる傾向が強い。そして、目の前のことに一度負けたらすべてを諦めてしまう。しかし、何度負けても諦めず、ただ同じことを繰り返すのではなく、その都度作戦を練り直して勝ちに行く戦略が必要なのである。

私自身も日常の生活や仕事の中で、一度思い込んだらそれが全てだと拡大的に考えてしまうことが度々ある。また、それを他人に押し付けるようなこともなきにしもあらずである。一度や二度の失敗や負けは勉強材料なのである。脱原発運動だけでなく、何事においても達磨大師の精神を大切にしたい。
インタビューの最後を河合氏は次の言葉で締めくくっている。いつかは私も口にしてみたい。

 ぼくはビジネス弁護士としてやることはやった。残りの人生は、脱原発と自然エネルギー普及にかけます。ぼくらの闘いは決して負けません。なぜなら、勝つまでやり続けるからです。