漫画」カテゴリーアーカイブ

『弱虫ペダル』

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渡辺航『弱虫ペダル』(秋田書店 2008~2012)の第1巻から22巻までを一気に読んだ。
週刊少年チャンピオンに現在も連載されている、高校の自転車競技部を題材とした少年漫画である。
少年向けの漫画を読むのは、いったい何年ぶりであろうか。

インターハイのロード種目というあまり聞き慣れないスポーツを扱っているが、少年漫画の王道を行くような内容となっている。
ちょっと落ちこぼれのアニメおたくの主人公小野田坂道くんがひょんなきっかけで、自転車ロードレースで全国1位を目指すことになるのだが、ライバルと争いや仲間との友情、努力と根性を丸出しにしながら、わずか数時間の試合の中で驚異的に速くなっていく。ママチャリからロードレーサーへ、ビンディングやドラフティングを覚え、限界を超えて「進化」していく姿も興味深い。わずか10数秒のシーンなのに、心理描写のコマや回想の場面が2週、3週に渡って続く。

40代のおっさんにとっても、昔懐かしい『キン肉マン』や『キャプテン翼』、『ドラゴンボール』、『魁!!男塾』などの漫画に夢中になった小・中学生時代を思い出す

『チンギス・ハーン』

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横山光輝『チンギス・ハーン』(秋田書店 1992)を読む。
全5巻セット漫画で、チンギス・ハーンの誕生から戦争に明け暮れる晩年までが描かれる。
モンゴル帝国の騎馬軍の活躍は世界史の教科書で学ぶところであるが、モンゴル族統一以前に、度重なる部族内や親族内の争いがあったことは知らなかった。謎に包まれた人物なので、多分に脚色が加えられていることは差し引いても、チンギス・ハーンの度胸の強さと度量の大きさが伝わってきた。

『虹色のトロツキー』

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安彦良和『虹色のトロツキー』全8巻(潮出版 1997)を読む。
あまり漫画を読み慣れていないのだが、実在の人物も登場するので、話の背景は掴みやすかった。
日本人とモンゴル人の間に生まれ、満州事変の余波により父を殺され、記憶を失ったウムボルトが、五族協和を目指す満州の建国大学に入るというところから話は始まる。やがて彼は抗日聯軍の戦士となったり、関東軍の指示で満州軍の少尉となったりと当地の複雑な利害関係に翻弄され、最後は満州国内のモンゴル人を率いて、ロシアをバックにしたモンゴル人民共和國軍との壮絶な戦いに身を梃する数奇な運命をたどる。
フィクションではあるが、単純には語れない戦争の現実の一端を垣間見ることができた。

石原莞爾というと、「世界最終戦争」というトンデモない発想をする頭の悪い軍人だと思っていたが、この『虹色のトロツキー』では、一歩高みに立って政界情勢を見渡すことができる人物として描かれている。
また、当時の満州国が内モンゴル自治区やロシア領土内のユダヤ自治州と国境を接しており、政治的な駆け引きが跳梁跋扈したという歴史的事実は興味深かった。

安彦良和氏の作品は、中学校時代に『アリオン』や、『ヴィナス戦記』のアニメ映画と漫画を読んで以来である。『アリオン』や『ヴィナス〜』も、単純ではない人間関係と、ハリウッド映画とは異なるすっきりしない終わり方が印象的であった。

『空手バカ一代』

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梶原一騎原作、つのだじろう漫画『空手バカ一代』(講談社漫画文庫 1999)第1巻から4巻までを読む。
1970年代に週刊少年マガジンで連載され、スポ根ブームの代名詞とも言える作品である。
敗戦直後の池袋の街頭で佇む大山倍達が、数々の喧嘩や山籠りを経て、牛や馬と対決し、さらには、力道山やグレート東郷、遠藤幸吉などと全米各地をプロレス興行で回るまでの波乱万丈な数年間が描かれている。もちろん漫画ゆえの作り物なのだが、小さい日本人がお大きい米国人をバッタバッタと倒していく胸をすくような爽快感を味わうことができた。

主人公のマス大山がクマと対決するために柔道を学ぶシーンがあるのだが、その時の彼の台詞が印象に残った。
スポーツや武道の世界では「初心に返る」ことの大切さが重んじられるが、フィクションとは言え、日本一を極めてからも虚心坦懐に道を教わろうとする姿勢は素晴らしい。
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『マンガ 聖書物語〈新約編〉』

樋口雅一『マンガ 聖書物語〈新約編〉』(講談社+α文庫 1998)を読む。
イエス・キリストの誕生から、十字架の磔刑までと、復活してからの使徒の活躍、パウロのローマ到達までが一冊のマンガ文庫に収められている。
パウロの伝道の旅を地図で確認しながら読んだ。イスラエルやシリア、ギリシャ国内は当時の地名の名残が残っているが、トルコ国内では全く別の地名となっており、伝道の道筋を辿るのに少し戸惑った。

私の知識だと、キリスト教とローマ帝国は水と油であり、ローマ帝国はキリスト教の拡大を徹底して迫害したというイメージが強かった。キリスト教はローマ帝国の執拗な弾圧から逃れながら、庶民に浸透していった宗教であり、その点から、勝手に小林多喜二の『党生活者』のような、コミンテルン時代の共産主義と似たイメージを持っていた。しかし、イエス・キリストや使徒たちの裁判の様子を読んでいるうちに、キリスト教は時の政府を打倒することのみを目的としておらず、当時、ギリシャや西アジア、北アフリカ全域を支配していたローマ帝国の威光を背景にして伸張していったことが分かった。パウロ自身もローマ市民権を武器にして鞭打ちに刑の不当性を訴えている。
また、キリスト教は、誕生当時から外国人への伝道についての議論があり、生まれながらにして国際性を持っていたということが理解できた。