河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第3版』(慶應義塾大学出版会 2002)を読む。
大学の通信教育のレポート添削指導の経験を踏まえて、構成の仕方や参考文献の書き方、注の付け方など、社会科学のレポート作成のハウツー本となっている。特に接続詞や接続表現のまとめが良かった。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
『下水のリン 肥料に』
本日の東京新聞朝刊に、東京都の下水処理施設で、汚泥から肥料に用いられるリンを取り出す実証実験が始まるとの記事が掲載されていた。リンはトマトやナス、キュウリなどの果菜類の生育に欠かせない肥料である。ちょうど国内で栽培・消費されている野菜なので、肥料の自給化は食料安全保障の観点からも、今回の実験は成功してほしい。
昭和30年代までは、日本全国で肥溜めを活用していた。日本人のリサイクルの根底を成す部分である。リンや窒素が海洋に流れ込むと、富栄養化で植物プランクトンが大量に発生し、赤潮や青潮、アオコの原因ともなる。日本の漁業は沿岸部での養殖漁業が支えている。今回の取り組みは農業だけでなく、漁業にとっても福音となるであろう。
『ドクトルマンボウ途中下車』
北杜夫『ドクトルマンボウ途中下車』(中央公論社 1966)を読む。
今から50年以上前のエッセーで、開通したばかりの新幹線に乗った体験や、日本復帰前の沖縄旅行、戦前の信州登山など、ド昭和な時代を感じる内容が多かった。ただ、1966年当時でさえ、高速道路や観光施設など、最近の便利な世の中に対する恨み節が多く、戦後の20年の変化と21世紀に入ってからの20年の変化の違いに驚く。果たして現在は成長しているのか、衰退しているのか。
岐阜〜名古屋
子どもを連れて、岐阜、京都までドライブ旅行に出かけた。
初日は起きてからダラダラしていて、出発したのが11時過ぎになってしまった。
そこからアテもなく高速に乗って、岐阜の長良川のホテルで一泊した。
2日目は関ヶ原古戦場、安土城跡、近江八幡の旧市街地の新町通りを訪れた。関ヶ原は10年ぶり2度目であったが、博物館ができていたりして観光地化していた。徳川家康の陣地跡や石田三成との合戦場などの石碑はよく見ると、昭和10年前後に作られていた。韓国併合などの帝国主義化を進む中で、国民の統合の象徴として使われてきたのであろうか。
安土城はあまりの急階段で、入り口で引き返した。安土城建設の際に土砂崩れによって数百人が命を落としたらしいが、納得の傾斜であった。
近江八幡駅近くのイオンで子どもがゲームをしている間に、少しだけ仮眠をとった。その間に陽が落ちてしまい、近江八幡の旧市街はほぼ通過しただけだった。京都に行く途中に比叡山延暦寺を通ろうとしたが、途中の有料道路が営業時間外であった。
3日目は自転車を借りて市内を回ろうとしたが、雨予報だったので、車で清水寺だけ行った。
帰りはよく調べていないまま、知多半島から渥美半島へ抜けようと高速を飛ばした。フェリー乗り場に着いたが、渥美半島までのカーフェリーは運航されていなかった。仕方なく、そこから一気に高速で帰ってきた。