投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『はじめてのDIY』

毛利嘉孝『はじめてのDIY:何でもお金で買えると思うなよ!』(ブルース・インターアクションズ 2008)を読む。
「DIY」といっても、家の修理や車の整備ではない。「DIY」について筆者は次のように説明する。

まずは、じぶんでやってみよう!

あっ、でもj人を追い立てようというものではありません。似たようなメッセージの広告に、Just Do it なんていうのがありますが、あれはどこかで追い立てられている感じですよね。

やるしかない→がんばるしかない→戦うしかない→勝つしかない→(なぜか)買うしかない。
という図式が背後に見え隠れします。
でも、DIYは、そんな競争はくだらないから降りよう、という思想です。
やんなくてもいいし、がんばらなくてもいいし、戦わなくてもいいし、勝たなくてもいいし、(もちろん)買わなくてもいい。
けれども、そんなことしなくても、別の、とっても豊かな生活がじつは存在するんだ、ということに気づかせてくれるのがDIYなのです。
もっといえば、そんなことしないから、そしてお金なんか使わないからこそ、豊かになるんだ、ということをDIY的な実践が教えてくれるのです。
お金を使わないことーー商品が支配する世界に従属しないことが、DIYの精神なのです。

後半では、高円寺商店街でリサイクルショップを展開する「素人の乱」が取り上げられている。まさに、筆者のいうDIYをそのまま体現化したお店である。

代々木公園には、九〇年代の中頃から住む場所を失ったひとたちが流れ込んできました。バブル景気の崩壊のあと、仕事にあぶれ、住む場所も失ったひとたちは、九〇年代は駅周辺に生活していたのですが、それも行政によって追い出され、しかたなしに公園で生活するようになったのです。彼らは、ブルーシートやテントの家を作り一種の村、コミュニティを形成しました。
エノアール(野宿者による野宿者のための交流の場)は、しばしば孤立しがちな公園生活者のためのゆるやかな共通の場を提供してきました。物物交換といい、絵を描く営みといい、そうした交流を促進するためのしかけなのです。

そういえば、社会学者のユルゲン・ハーバーマスは、だれであれ自由に意見を交換するカフェやサロンを「公共圏」と呼び、民主主義の発達の重要な場として定義しました。エノアールはそうした意味で現在数少なくなった「公共圏」という感じがします。ハーバーマスが議論した一九世紀の「公共圏」は、あくまでも特権的なブルジョワ階級しかアクセスできないものでしたが、それと対比して、このエノアールカフェは「ホームレスの公共圏」とでも呼ぶべきかもしれません。

『山田村の行進曲はインターネット』

倉田勇雄『山田村の行進曲はインターネット』(くまざさ社 1997)を読む。
かつてはパソコン普及率日本一を誇り、現在は富山市に吸収合併されてしまった山田村でのインターネットの普及の奮闘記である。

『新型インフルエンザが日本を襲う!』

大西正夫『新型インフルエンザが日本を襲う!:恐るべき強毒性ウイルス』(ランダムハウス 2009)を読む。
15年前の本であるが、近い将来、中国発祥のインフルエンザが爆発的に流行し、スペイン風邪(インフルエンザ)を超える死者が出る危険性があると警鐘を発している。そして当時進められていたタミフルの備蓄やワクチン接種、在宅勤務などの行動計画が紹介されている。

著者は初期行動が大切であるとし、「転ばぬ先の杖」の対策を早急に進めるべきだと述べる。しかし、事態は想定を軽々と超えてくるので、臨機応変に判断・対処できる国民を育てていくことが大事ではないかと思う。

『草食系男子の恋愛学』

森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー 2008)を読む。
若い時に読んでおきたい本であった。恋愛の初手は女性の安心感であり、次の一手は共感である。そうした安心感を得るための話し方や振る舞い、そして共感を得るためのコミュニケーションが丁寧に説明されている。そして最後は恋愛の最後の決め手は人間的魅力であるという。人間的魅力といっても肩肘張ったものではなく、自身の弱さや夢に向かって進むこと、優しさであると述べる。
最後に筆者は次のように述べる。

いまから振り返ってみれば、あの暗黒の青春時代(親友も恋人もおらず、留年したため親との関係も悪化し、図書館で借りたレコードと名画座での映画三昧の日々)に食い入るように観続けた映画の体験こそが、現在の私の感受性の根本を形作っているということに気づくのである。あのときの映画体験がなかったなら、いまの私はなかったであろう。
10代から20代にかけての感受性の強い時期に、何の目的もなく観続けたがゆえに、それはいまになって私の感じ方や考え方の血肉となり、私の精神生活を深いところから支えていると言えるのである。
そのときに知らず知らずのうちに身についた感受性は、私のかけがえのない財産である。だから私はいま確信を持って言える。大学の授業に行かなくてよかった、映画ばかり観ていてよかった、暗い青春でよかった、と。

『色彩』

大井義雄・川崎秀昭『色彩:カラーコーディネーター入門』(日本色研事業 2002)をパラパラと読む。
大学や短大、美術系の専門学校で使用されているテキストで、現在も版を重ねている。著者の一人の川崎氏は桑沢デザイン研究所を卒業し、女子美術大学の教授も務めている。

最後のJIS慣用色名の一覧が目を引いた。山吹色や鴇色、紅梅色、錆浅葱色などの和名と、オリーブグリーンやマルーン、ライラックなどのカタカナ名が入り混じっている。えんじ色は漢字で書くと「臙脂」であり、カイガラ虫を原料とする染料で染められた色ということだ。「四十八茶百鼠」という諺にみられるように、利休鼠色や藍鼠色、銀鼠色などの色名もみられる。