被災地を巡る|33ヶ月後(飯館村〜浪江町)Part.2
福島駅前のホテルを出発し、国道114号線から県道12号線を経由して飯館村に入った。
飯館村を抜けて、県道12号線を真っ直ぐ東へ進んだ。南相馬市の原町駅の様子。常磐線はこの南相馬市から広野駅までは現在まで復旧の予定は立っていない。また仙台方面も相馬駅から先はJRバスによる代行輸送となっている。
南相馬市原ノ町駅から二駅先の小高駅付近の様子。立ち入りは制限されていないのだが、駅前の銀行や商店も震災直後のままであった。
南相馬市の一番南側にある小高駅から一つ先の桃内駅の様子。3年近く放置されたままの寂寥感を感じる。
浪江町に入ると様子が一変する。国道6号線につながる一般道への侵入は全て上記の看板が設置され禁止されている。仕方なく6号線を真っ直ぐ進むと、まるで国境警備のように厳重な警戒態勢が敷かれている。浪江町から先は一切は踏み込めない土地なのである。
国道6号線に車を置いて、少しだけ浪江町の中心街を自転車で回ってみた。中心地は津波の被害は免れたようだが、3.11地震の被害の爪痕がそのまま残されていた。言葉は大変悪いが「ゴーストタウン」となっており、大量のカラスが我が物顔に住宅を行ったり来たりしていた。除染はこれから進んでいくようであるが、再建に向けて計画は長期にならざるを得ないであろう。