30代最後の旅 赤岩〜輪島〜八尾 2日目
長野のビジネスホテルで、朝6時に目覚める。ホテルの1階で朝食を摂りながら、地図とにらめっこする。すると長野の西にある鬼無里、日影という地名が目に飛び込んできた。高校時代だったか、鬼無里村や日影村を舞台にした小説を読んだような気がしてきて、とりあえず進路を西にとることにした。
国道406号線の旧戸隠村の古道のトンネル。新しい真っ直ぐで便利な道よりも、こうした曲がりくねった道に郷愁を禁じ得ない。
鬼無里中学校の校門前。
鬼無里村日影地区の民家。
国道406号線、鬼無里村をずっと抜けて、長野県白馬村白馬駅に到着。白馬から来たアプスを抜けてさらに西へ行くことができるのかと、地図を辿ってみたものの、松本まで行き安房トンネルを抜けないと行けないことが判明。仕方なく国道148号線を北へ向かう。
昼近くになって疲れが出てきた。糸魚川インターチェンジの下をくぐるトンネルで一眠り。写真はトンネルから見たセメント工場の様子。
糸魚川インターから北陸自動車道で一気に富山へ。
富山県内の各地で北陸新幹線の工事が進んでいた。
富山駅の北にある富岩運河の写真。上流と下流の水面の約2.5メートルの高低差を克服するためにパナマ運河式の閘門設備を持っている。写真で高低差が分かるだろうか。
富山から石川へ向かう途中の新能町で撮影した万葉線の車両。
国道418号線沿いのパーキングから。
石川県氷見駅近くのオブジェ。
なぜハットリくんなのかと思ったら、漫画家の我孫子素雄さんが氷見出身ということである。10歳まで氷見にいて、高岡に転居したとのこと。
氷見駅前ロータリーの映画館。ここだけ昭和の様相。
ネットを調べると、昔ながらの映画館ではなく、新たに改装してできたようだ。
道の駅氷見にあるショッピングセンター。
有磯海の様子。遠く立山連峰が見える。
国道160号線を北上し、国道249号線に入る。七尾市の和倉温泉に立ち寄る。能登で一番有名な加賀屋旅館が遠く見える。
加賀屋の建物の横からパチリ。
中国の多重塔を見上げるような迫力。
のと七尾線の踏切の標識。機関車の絵は懐かしい。
国道249号線中島町から遠く能登島を望む。
のと七尾線の終着駅である穴水駅に停まっていた電車。
キューティーハニー、デビルマン、マジンガーゼットが描かれている。
能登空港にやってきた。空港よりも道の駅の方が案内標識が大きかった。
一日に2便だけ羽田空港との往復便が発着している。「一県一空港」の無駄使い政策の象徴のような存在の地方空港である。「搭乗率保証制度」により一定の黒字は出しているようだが、あまりに閑散としていた。
能登空港より県道一号線を真っ直ぐ行き、輪島に到着。とりあえず、道の駅の観光案内所でシングル一部屋を予約。この道の駅は10年前に廃止されたのと七尾線の輪島駅の跡地を活用して作られており、輪島駅の歩廊も残されている。
廃線跡が残されている筈だと付近の捜索活動に入る。
案の定、旧輪島駅に続くであろう真っ直ぐ伸びた空き地を発見。廃線になって10年経つが、まだ痕跡は残されている。
実は、今回の能登半島への旅は、テレビ東京の「土曜スペシャル」で穴水駅と珠洲市を結ぶのと鉄道能登線の廃線跡を辿るという番組を見たのがきっかけである。
電車マニアという訳ではないが、こうした昔の様子を想像しながら痕跡を発見するというのは楽しい。
夜は輪島市文化会館で行われた御陣乗太鼓のイベントに参加した。越後の上杉謙信勢が攻め入ってきた際、村の古老の指図に従い、樹の皮をもって仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ちならしつつ、上杉勢に逆襲し、戦いを勝利に導いたことに由来するそうだ。何百キロも走ってきて、一日の締めくくりとして聴く太鼓は腹の底に響くものであった。