伊勢熊野高野山 (4/4)

40代最初の旅 伊勢〜熊野〜高野山 4日目

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朝7時前に目が覚める。一風呂浴びてたっぷり胃に食事を詰め込んで出発。少々遠いが「せっかく来たのだから。もう来れないかもしれない。」と自分に言い聞かせ、高野山を目指す。

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田辺市本宮町野竹地区の様子。

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隣の集落の武住地区の様子。
途中、先日本で読んだ本宮町の山村集落の野竹地区と武住地区を訪れた。限界集落の限界を超えており、野竹地区は2軒ほどの民家しかなく、武住地区も10軒ほどしか数えることができなかった。武住地区には廃校となった武住小学校が残されていたのだが、往時の賑わいが全く想像できないほど寂れていた。

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本宮町から田辺へと抜ける国道311号バイパスは旧国道と並走したり、交差したり、時には旧国道を潰して整備されたりしている。国道311号の

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小広王子跡の案内看板 向かいは日野武道研究所の施設であった。日野晃という風変わりな武道家の道場である。

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途中、「新高尾トンネル」というかなり立派なトンネルの前を通る。しかし、この前を通る道は旧国道にあたり、ほとんど往来のない道。地図を見る限り、このトンネルの奥は行き止まりの林道になっているため、一部の関係者以外全く通らないであろう。果たして山奥にこのような立派なトンネルが必要なのであろうか。
勿論、山の保全には林業関係者のための道路が欠かせない。林道が整備されていないばかりに放置されてしまう例もある。しかし、保全のための行き過ぎた公共投資のありようは、マスコミ等どこかで検証されねばならないであろう。

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中川王子跡

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旧国道を走っていたところ、野生の猿軍団に遭遇。栗の木に群がっていた。写真を撮ろうとしたが間に合わず。
猿が食い散らかした栗の皮の模様。

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1934年に、斎藤茂吉が自動車で熊野を移動中に、「野中の清水」で読んだ歌の碑。
「いにしへのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」

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比曽原王子跡

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中辺路から龍神温泉に向かう国道371号線の様子。全線開通しておらず、途中笠塔山付近から先は行き止まりであった。

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高野龍神スカイラインを行く。ワインディングが楽しく、関西のバイク乗りとすれ違ったり、抜かれたりすること多し。

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龍神温泉を一顧だにせず、高野龍神スカイラインを快調にとばす。途中、標高1372メートルの護摩壇山に立ち寄る。ごまさんスカイタワーに昇りしばし休憩。

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二の橋駐車場に車を停め、森閑とした杉木立に囲まれた奥之院、弘法大師を祀る御廟を散策した。下手くそな言い回しだが、「プロ使用の墓地」といった趣のところで、企業の物故者や戦争犠牲者、豊臣秀吉などの歴史の犠牲者が弔われている。

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高野山の中心となる金剛峰寺の写真。高野山は標高800メートルの高地に築かれ、広大な敷地内に役場や警察、消防署、学校まで置かれ、「宗教都市」という聞きなれない四字熟語が頭をよぎった。

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高野山の入口にあたる大門。両脇も金剛力士像は、江戸時代の仏師康意(阿形像)、運長(うん形像)の作である。

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南海電鉄高野線九度山駅の様子。

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すでに時刻は2時を回っている。明日は仕事があるので、大門を後にし東京を目指す。途中南海高野線の九土山の駅に立ち寄る。山の麓の駅という佇まいであった。その後橋本から国道24号線、京奈和自動車道、天理より国道25号線、亀山より東名阪自動車道、伊勢湾岸自動車道、新東名を経由して帰る。走行総距離1600キロを越える。