本日の東京新聞夕刊の文化欄に、早稲田大学教授の石原千秋氏の「ギャップイヤーは日本には不向き」と題したコラムが掲載されていた。
東京大学主導で検討され始めた秋入学は、入学前と卒業後の半年の2回を基本としている。つまり大学は4年制から実質5年制になるのである。この前後合わせて1年間ものギャップイヤーを謳歌できる経済的なゆとりのある学生は、保護者の収入が全国で一番高い東大などの一部の大学に限られてしまう。また石原氏は、「この大学、この学部でよかったのか」と、自分探しを始める若者が多く出ると予想する。悩むこと自体は悪くないが、出直しのためにさらに一年間を空費しなければならず、やり直しの機会を逆に遠ざけるシステムだと指摘する。また、学費収入がない期間を設けることで、体力のない私立大学は淘汰され、有力大学を選別する機能を果たすことになると述べる。
石原氏は、こうした様々な事態を避けるためには、莫大な費用をかけてでも、幼稚園から大学院、さらには企業の秋採用まで含めて、国家規模で一気に秋入学を導入するしかない、それが日本に見合ったやり方であると結論づける。
確かに、東大を頂点として序列化された日本の公教育においては、ゆとり教育が「東大教育学部ー文科省・中教審」の連携から実施されたように、東大主導でしか変わらないという現実がある。しかし、入学後すぐに学校生活を中断してしまうゴールデンウイークや、ここ数年の酷暑を考えると、9月入学7月卒業というのは日本の教育にすぐ馴染んでしまう気がする。
石原氏は「国家規模で一気に導入するしかない」と皮肉るが、教育関連の法規の改定も絡んでくるので、やはり国家事業として導入するしかないだろう。
秋入学に対する一番の抵抗者は、卒業式、入学式を彩る出会いと別れの象徴である桜に思いを寄せる日本人の感性となるかもしれない。
私は秋入学に反対もしていませんし、皮肉ってもいません。ギャップイヤーは日本の現状にはあわないと言っているだけです。あなたの読解力を疑います。
ご指摘ありがとうございます。
秋入学の国家レベルの導入と、大学入学前の空白期間(ギャップイヤー)の国家規模での解消を読み違えていたかもしれません。
16日付の新聞を古紙回収に出してしまったので、現在、取り寄せをしております。本文を確認次第、改めて内容を訂正したいと思います。
2月28日付で、内容を改めました。
2月28日付の記事を確認しました。訂正のお手数をおかけしました。ありがとうございます。