『硝子戸の中』

夏目漱石『硝子戸の中』(新潮文庫1952)を読む。
1915年の1月から2月にかけて朝日新聞に連載された小品文を集めた作品である。ちょうど早稲田南町7番地に住んでいた頃の作品である。ちなみに私は学生時代に早稲田南町5番地にあった双台荘という家賃2万5千円のアパートに住んでいたことがあり、現在は漱石公園となっている漱石の旧家跡にバイクを停めていた。明治末の当時から猫が多い土地であったそうだが、私の学生時分も猫が多かったと記憶している。しかし現在では完全な都心の住宅地になっているが、当時は東京の中心から遠く離れた田舎そのものであったらしい。

当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするときには、どうしても人家のない茶畠とか、竹薮とか又は長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていた(中略)矢来の坂を上がって寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終暗かった。あの土手の上に二抱えも三抱えもあろう大木が、何本となく並んで、その隙間々々をまた大きな竹薮が塞いでいたのだから、日の目を拝む時間と云ったら、一日のうちに恐らくただの一刻もなかったのだろう。下町へ行こうと思って、日和下駄などを穿いて出ようものなら、きっと非道い目にあうに極っていた。あすこの霜融は雨よりも雪よりも恐ろしいもののように私の頭には染み込んでいる。

恐らくは現在の外苑東通り付近を描いているのだろう。現在では全く緑のない入り組んだ住宅地になってしまっており、隔世の感は否めない。その他漱石の家紋に由来する喜久井町や、夏目坂などに対する漱石のコメントが面白かった。

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