『世界の歴史が分かる本:古代四大文明〜中世ヨーロッパ編』

綿引弘『世界の歴史が分かる本:古代四大文明〜中世ヨーロッパ編』(三笠書房 1993)を読む。
高校・浪人時代、古代史というと有名な王朝の名前と王様の業績を暗記することに終始していたが、改めて復習してみると歴史の流れが感じられて面白い。例えば筆者はアケメネス朝ペルシアとギリシアとのペルシア戦争でのギリシアの勝利を次のように評価する。

ヨーロッパでは、ギリシア時代の民主政治とその文化を、西洋文明の古典として過大に評価してきたという歴史があることも忘れてはならない。そのため専制的なベルシアの民主的ギリシアへの侵略というペルシア戦争の常識は、やがて専制的・暴力的・侵略的なアジアに対して、民主的で自由なヨーロッパという、ヨーロッパ人の立場からの世界史をとらえるヨーロッパ中心の歴史観形成の第一歩となったのである。そしてその考え方は大航海時代以降のヨーロッパのアジア侵略、植民地化を合理化する論拠となっていった。

またマケドニアのアレクサンダー大王の東方遠征については次のような評価を加えている。

アレクサンダー大王の遠征は、ギリシアの内部矛盾を東方遠征によって解消しようとしたものであったが、国内矛盾を外にそらすことは、古代から現代に至る世界史の重要な法則であると断言することができる。為政者は、自己の支配・統治に対する国民の不満が高まり、政権が危機に立たされたとき、その国民の不満を他に向けることを考えるものである。その際、他国、他民族と事をかまえると、いやおうなしに国内の結束が求められるし、愛国心や同胞意識に訴えやすいため、為政者への不満は外に向けられ、政治危機は遠のく、という図式が働くことになる。まして植民地獲得戦争に勝利するともなれば、ギリシア人の東方植民のように、国内では恵まれず不満をかかえていた人たちが新天地を求めて植民地に流出するし、植民地支配による利潤獲得にも与れることになり、為政者にとっては一挙三得であった。
ずっと後に、典型的な帝国主義者といわれるイギリスのセシル=ローズは「われわれ植民地政治家は過剰な人口を収容するために新領土を開拓しなければならない、彼らが内乱を欲しないならば、彼らは帝国主義者とならなければならない」と明確に主張している。また、第一次世界大戦にロシアは積極的に参戦したが、当時のロシアの内相マクラコフは「内乱の危機は、国をあげて武器をとること以外におさえる道はない。戦争こそ国内の敵よりのがれる唯一の道である」と語っている。

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