本日の東京新聞朝刊に、防衛庁の「省」昇格について、帝京大教授の志方俊之氏と軍事ジャーナリスト前田哲男氏のコメントが載っていた。
志方氏が国際情勢に合わせて改憲せずとも自衛隊の活動範囲を拡げよと述べるのに対し、前田氏は憲法9条(専守防衛)の枠を越える自衛隊法の改悪は認められないと訴える。前田氏も指摘する通り、問題の根底は防衛庁か防衛省かという看板の掛け替えではなく、自衛隊に国際協調という美名の下で海外出勤のお墨付きを与えることなのである。
そこで、前田哲男『僕たちの軍隊:武装した日本を考える』(岩波新書 1988)をざっと読んでみた。
「僕たちの軍隊」とあるが、その実態は米軍の指揮下に入った自衛隊であり、自衛隊に軍事技術を売り込む三菱や日産といった企業である。1980年代後半の本であるが、「ソ連」脅威論を振りかざすことでレーガノミクスに追随し軍拡に走っていた当時に対する著者の警鐘に目が留まった。
ここで日本の急速な軍事化をうながすもう一つの原動力、つまり日米安保協力を「エンジン」とすれば「ガソリン」にもたとえられる「ソ連の脅威」について検証しておこう。それなしにいくら防衛庁が笛を吹いても軍拡マーチが鳴りひびくことはなく、逆にいえば、最近における軍拡マーチの高鳴りは「ソ連脅威」キャンペーンが国民の間にひろがった結果だと考えられるからである。軍事大国になるのはいやだが、ソ連の軍事力はもっとこわい—これがごくふつうの日本人の考え方ではなかろうか。「ソ連脅威」キャンペーンは、こうした「素朴な不安」につけこんだ形で展開されてきた。だがそれは正しいデータと情報にもとづいたものだろうか。国民をコントロールするための、誘導キャンペーンではないのか? 誇張された「脅威」がひとり歩きして「善良な市民の不安」を増幅させているのではないか?
(中略)問題は、あたかもそれ(ソ連の軍事力)が日本の国土に対する直接の侵略の脅威であるかのように描き、安保協力の推進と自衛隊増強によって対抗できると思い込ませる政府・防衛庁のやり方である。
上記の文章を読んで勘の良い人なら気付くであろうが、「ソ連」を「北朝鮮」に置き換えてみると、そっくりそのまま現在の防衛「省」昇格の議論につながっていくのである。前田氏は自衛隊の前身警察予備隊が創設された時も、「共産主義の洗脳を受けた赤軍師団が、北海道のすぐ先の樺太に集結している」との大嘘キャンペーンが展開されたことをも指摘している。タカ派の人間にとって、今回の防衛省昇格は「金正日」様々であろう。また、そうした「金正日」像を意図的に作り上げてきたマスコミの仕掛人にも足を向けて寝られないであろう。