「ぴったり感」

本日の東京新聞朝刊に、女子少年院法務教官を勤めた魚住絹代さんの「ぴったり感」と題した思春期の子どもが使う言葉に関する話が載っていた。なるほどと頷くところも多く興味深かった。

子どもたちは本当に、深い意味なく「ノリ」で、「キモい」「うざい」「ムカつく」といった言葉を日常的に使う。黒板の字が見えないとき「うざ」。お弁当のおかずがこぼれたら「キモ」。携帯忘れたら「ヤバ、ムカつく」。
本来の言葉の意味や用途とは違うことに、子どもたちの言葉の感覚がまひしていると感じ、同時に、物事の受け止め方が両極端に単純化していることにも考えさせられる。子どもたちは、ちょっといいと思うと、「サイコー」「めっちゃイイ」と称賛するが、ちょっと違うと「キモイ」「サイアク」と全否定してしまうのだ。
基準は「自分」。自分の予想や思い、好きなこととぴったりであれば、「サイコー」と盛り上がるが、ちょっとでも自分と違うと違和感を覚え、切り捨ててしまう。さっきまでの「サイコー」「親友」も、瞬時に「キモい」「サイアク」「絶交」となってしまうのだ。そして、どちらでもない繊細なニュアンスは、ひとくくりに「微妙」という言葉で片付けられてしまう。

魚住さんは、そうした子どもたちの言葉の同調圧力の中で、大人以上に違いを許さない雰囲気が子どもたちの中に醸成され、居場所を見つけられない子どもがいると心配する。周囲に合わせてテンションを高くし、笑顔で周りの雰囲気を壊さないように必要以上に気を遣わざるを得ない子どもたちが増えていると指摘する。そして「安心して育ち、学び合える集団をつくるためにも、人との付き合い方、物事の受け止め方、気持ちの伝え方などのソーシャル・スキルを育む取り組みが必要である」と述べる。

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