『鳥の歌』

五木寛之『鳥の歌』(講談社文庫 1984)を十数年ぶりに読み返す。
確か高校1、2年生の頃に読んで以来である。高校時代に実家近くの駅前の古本屋で買ったものである。2冊セットで300円ほどで、ビニールに包まれており、開封する際にべりっと表紙のインクが剥がれてしまった代物である。

マスコミや警察が一体となってすすめる管理社会国家に真向から背を向けて、日本国内を放浪しながら日本語とは異なる文字と言葉を持つ全く新しい共同体を築こうとする《鳥の会》との出会いを転機として、新しい生き方に向かう人々を暖かく描く。ラジオ局で働く主人公の谷昌平の以下のセリフが印象的であった。

ぼくらは鳥籠の中の鳥みたいな存在じゃないだろうか。つまり、管理社会というか、組織社会というか、まあひとつ網目の中で限られた空間の中を、定められた飛び方でみんなが一斉に動いている、いや、飛んでるんじゃないんだ。羽を切られてぴょんぴょんはねているだけかもしれない。そんな世の中になってしまっていながら、ぼくら自身はそのことに気づいていない—まあ、そういう意味さ

五木氏は80年代の激化する管理社会に対して、声を挙げて反対するよりも、人間の素朴な心情を原理とするアナーキズムにも通じるようなオルターナティブな生活基盤を構築することを示唆する。
高校時代よりも深く読めたような気がする。

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