市の福祉課に提出する小論文を書いた。久しぶりに文章を書いたのでえらく疲れてしまった。「障害者基本法」と市の「障害者計画」と「障害者福祉計画」をちょっと見ただけで書いたので、中身は600字程度の内容しかない。
しかし、書きながら、自分の作文能力は学生時代から全く進歩していないことに気付かされた。言い回しや言葉の使い方など文章はこなれたであろうが、表現を替えただけのくり返しや同じような言い回しなど冗長な部分が多すぎる。要はくどいのである。と書きつつこの文章もくどくなってしまうのである
障がいのある人の自立支援は
障害者基本法の文言の中に「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」「すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化そしてその他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる」「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」とあります。この文言に全てが集約されており、この理念を現実に積み上げていくことが障がいのある人の自立支援の根本です。
私は、基本法で謳われる「個人の尊厳」、「社会を構成する」ことの原点は働くことだと考えます。病院や施設に閉じこもってばかりでなく、清掃や分別、組立といった軽作業を通じて少しでも働く、そして社会と繋がっていると感じることが、障がいのある人にとって自立の第一歩ではないでしょうか。朝に家を出て、できるだけ他人の手を使わずに職場に向かい、勤務時間の開始と同時に仕事に没頭し、時には談笑などで気晴らしを楽しみ、休日には仕事で得た給料を使って自由な時間を満喫する日々。そうした健常者にとって当たり前の「平凡」な生活のリズムを作ることが、本当のノーマライゼーションだと考えます。
最近、日雇い派遣やネットカフェ難民など、雇用を巡る厳しい実態が度々ニュースにとり上げられます。仲間がいる職場において自分が必要であると実感する、実感させてもらえる、そして、実感させてあげられるような円滑な人間関係を築くことが、社会人にとって日々を生きていく大きな活力になります。障害のある人もない人も働く時間、場所、給料、そして将来が確保されて、初めて自立に向けて一歩踏み出すことができます。
10年以上前の話ですが、学生時代に水戸にある段ボール工場での知的障がい者に対する虐待事件の裁判を傍聴したことがあります。障がい者に対する暴行や強姦を隠蔽し、なおかつ障害者雇用助成金を詐取していたという腹立たしい事件でした。しかし、事件以上に、その裁判の席上「殴られても食事を与えられなくても、水戸ではここしか働く場所がないので、また働きたい」と涙ながらに訴える被害者の声が今でも私の頭の片隅に残っています。
この人間誰しもが切望する「働きたい」という気持ちをもっと大切にしていきたいと思います。尤も、私たちに障がいを治すことはできませんし、全ての障がい者が完全に働けるわけではありません。しかし、市町村自ら率先して障がい者雇用を促進したり、民間委託事業において障がい者雇用に独自のルールを設けるなど、市町村レベルの施策で、特に軽度の障がい者の就労支援はもっと改善していくだろうと思います。そうした市町村の計画を市民として応援することも障がい者の自立支援の一つだと考えます。