渡辺淳一『鈍感力』(集英社 2007)を読む。
肉体的にも精神的にも鈍感であることが、ストレスフルな社会で生き抜く力であると説く。
(卓越した才能がありながらも、線が細く成功しなかった作家の友人を例に上げて)
人間が成功するかしないかは、必ずしも才能だけではないということです。いいかえると、才能どおりに成功する訳ではない、といってもいいでしょう。
こう書くと、才能より運、不運とか、タイミングなのかと思う人もいるかもしれません。しかし、文壇のような世界は、あくまで個人の力と才能だけで、運、不運などが通用する世界ではありません。
そういう世界で、改めて何が必要かということになると、いい意味で鈍さです。
むろん、その前に、それなりの才能が必要ですが、それを大きくして磨いていくのは、したたかで鈍い鈍感力です。
もし、あの頃の彼に鈍感力があったら、どれほど優れた作家になっていたか、しれません。
いや彼だけではありません。その後、一度登場して消えていった作家のなかにも、したたかさや鈍さに欠けた人もいるはずです。そしてこれは文学の世界だけではなく、芸能界やスポーツの世界で、そしていろいろな社会や企業で働くサラリーマンでも同じです。
それぞれの世界で、それなりの成功をおさめた人々は、才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での鈍感力を秘めているものです。
鈍感、それはまさしく才能であり、それを大きくしていく力でもあるのです。