香山リカ『セックスがこわい:精神科で語られる愛と性の話』(筑摩書房 2008)を読む。
精神科医の視点からセックスレスが語られる。セックスというと、すぐに性欲と結びつけて語られがちだが、女性にとっては自分自身が求められていることによる自己確認作業の意味合いが強い。また、男性にとってもいつまでもセックスができるという能力が自己の存在意義とイコールで結ばれる。セックスレスはメ性欲のあり方ではなく、社会的病理だということが分かる。
おそらく多くの女性にとって、社会での評価は本当の自分の価値や意義の確認に繋がっていないのだろう。いや、それどころか、もしかすると仕事の場で「すごいですね」とその働きぶりが褒められるほど、「これは職場に限ってのことで、私自身は人間として女性として、本当はダメなのではないか」とむしろ自分への疑問が大きくなる、とさえ言えるかもしれない。
もちろん、その社会的評価と反比例して目減りする女性の自信は、セックスによってすべて回復する訳ではない。とはいえ、肩書きも資格もスキルもすべて取っ払ったところで、文字通り、”裸の自分”として男性に求められるセックスという体験は、女性にとって仕事とは対極に位置づけられる行為であろう。男性の場合、「いい女とセックスできるのは、地位やカネがある証拠」と社会的評価はセックスや自分への自信に直結しているのだが、女性はその逆なのだ。
妻が「セックスレスなんです」と悩むときには、その「セックス」は単なる性交ではなくて、”心のふれあい”やスキンシップを意味する場合も多いが、夫の「EDなんです」という悩みには、セックスもふれあいやスキンシップも、妻や恋人などの異性さえもかかわっておらず、単純な「勃起力」しか意味していないことがある。
あくまで、相手との関係性の中でセックスをとらえる女性。自己完結する身体的な問題としてしかセックスをとらえられない男性。この辺りにも、女性と男性との深刻な意識のギャップが表れている。