黒川利明『ソフトウェアの話」(岩波新書 1992)を読んだ。
プログラミング言語の歴史を簡単に紹介し、それに強引な結論を加えただけの読みにくい内容だった。その結論を引用してみたい。
それは「プログラミングの美学」といものである。日本においては、日常生活の文化の中に一種の美学を見出すのが常である。茶道もそうなら、和歌や俳句といったものもそうであろう。一昔前は庭を含めた建築もそのようなものであった。
プログラミングが単に日本の産業を担うだけでなく、日本の文化の中でささやかな地位を占めるとしたらそれは「美しいプログラミング」というものによってではないかと、私は思っている。
そのような「プログラミングの美学」が同時に「プログラマの論理学」につながれば、ある種の「プログラミングにおける武士道」のようなものが実現できるのではないだろうか。
上記のようないい加減な結論は本論の内容にほとんど関係がない。そもそも日本の技術関係の本の最後には「結局扱うのは人間だから最後はアナログ的な感性が必要になってくる」といったまとまりのない結論が入ってくることが多いが、日本の文化水準の貧困さがかいま見られるよい象徴だ。いまだにアナログとデジタル、ロゴスとパトス、人工と自然といった対立項に物事を当てはめ、その二項の調和に結論を求めるといった短絡的な考察スタイルから脱する必要があるだろう。