日別アーカイブ: 2006年4月4日

『世界の特殊教育〔改訂版〕』

石部元雄・溝上脩『世界の特殊教育〔改訂版〕』(福村出版 1982)を読む。
是非これから特殊教育に携わる人たちに読んでほしい本であった。20年以上前の内容ではあるが、アメリカ、イギリス、フランス、旧西ドイツ、東欧、北欧、旧ソ連、そして日本の特殊教育の当時の現状と課題が詳細にレポートされている。特に特殊教育の「特殊」や「障害」という概念が、各国の文化の違いで大きく異なる点が興味深かった。日本でも文科省のお偉いさんがさも自分たちが考案したように特別支援教育への転換を喧伝しているが、その中身はアメリカやイギリス、フランスの特殊教育の後追いに過ぎないということが分かった。

日本では特殊教育の対象者は学校教育法で「盲者(強度の弱視者を含む。以下同じ。)、聾者(強度の難聴者を含む。以下同じ。)又は知的障害者、肢体不自由者若しくは病弱者」(第71条)と規定され、普通教育についていけない障害者のみを対象としている。しかし、アメリカでは、「それぞれの子どもたちが固有に持っている援助の要求(needs)、そのような子どもの教育のために特別に訓練された教師、特別に計画された教育内容や教具、特別につくられた諸施設等こそが特殊教育たらしめて」おり、普通教育では物足りない英才児教育も含まれるという。日本では、エリート教育と障害児教育は水と油のように捉えがちだが、どちらも「一人ひとりの子どもの教育の必要性に注意が向けられ」、子どもたち一人ひとりに応じた教育プログラムを用意するという点では同じ発想の土台に立っているのである。

また、フランスでは家庭環境の欠如や愛情の欠如、また極度の経済的貧困などによって社会に対する拒否的態度を持った「社会的障害児」をも特殊教育の範疇に含めているそうだ。フランスという国柄が表れていて興味深い。また旧ソ連では、労働そのものが人間を発達させたというエンゲルスやマルクスの学説に立ち、特殊学校においても障害の度合いに応じて、生活や労働に参加させる職業訓練プログラムを組んでいたということだ。日本では北欧における社会福祉政策が共生の理念を先取りしているともてはやされているが、旧東欧圏や旧ソ連などの共産主義国家における特殊教育を学ぶ意義は大きいと思う。

日本に限らずどこの国でも、健常児と障害児が一緒に学ぶ統合教育の実践は大きな課題のようである。障害児を普通教育に従わせようとしたり、障害児の学習リズムによって健常児が迷惑を被ったり、安易な統合がかえって差別的な考えを子どもたちに植え付けてしまったりと功罪両面からの検討が必要であり、今もって結論の出ない永遠の課題である。

現在も横国で教鞭を執っている高山佳子さんの以下の当時の日本の特殊教育に対する認識と課題設定は、まさに20数年経って文科省が音頭をとって進める特別支援教育の内容そのものである。彼女の見通しが鋭かったのか、行政機関の対応が遅かったのか、白黒はっきりと判定することは容易でないが一読の価値はある。

障害児の後期中等教育はもはや準義務教育の観さえある今日、その教育目標や内容は大きな転換を迫られている。たとえば、従来の後期中等教育の大きな柱であった職業的自立といった目標はもはや多くの者に望めそうになくなってきている。というのは、高等部を卒業した段階において、一般就労が困難な者が確実に増加しており、全員就学に伴いこの傾向はいっそう強まることが予想されるからである。一般就労はもとより授産施設や更生援護施設などにも入所できず、卒業後在宅というケースも少なくない。
このように障害児の後期中等教育は、卒業後の進路問題と密接なかかわりをもっているだけに、労働および福祉的観点との関連ですすめられなければならない。
就学前から義務教育を経て後期中等教育に至る障害児の教育を広い視野からとらえ直し、文部、厚生、労働等関連諸機関の有機的な連携のもとに総合的な行政施策を打ち出すべき時期にきているように思われる。
(中略)障害児の”統合”の問題が、学校教育における交流だけにとどまるのではなく、社会的統合ヘと発展していくためには、障害者の労働と生活を保障していくことが鍵である。障害者の就労問題が深刻さを増している中で、生産性の低い障害者にも労働を保障していくということは非常にむずかしい課題である。おそらくはそれが可能となるためには、福祉作業所や授産施設における労働的な作業活動を、保護就労あるいは福祉的就労と規定し、一般就学と連続するものとして労働の範疇に含めていくという就労の概念の拡大が必要となってくるであろう。また、最近では、障害者の生活の場として、従来の施設収容から家庭へという動きがある。これは、重度・重複化に伴う障害者の在宅措置から一歩すすんで、障害者を地域社会に積極的に位置づけていこうという観点から、在宅の意義を改めて見直そうということである。
将来の方向として、今後ますます障害者の社会参加が志向されていくと考えられるが、その推進のためには、乳幼児期の療育から学校教育を経、卒業後の就労と社会生活に至る彼らのライフ・サイクルを、彼らが本来主体的に生活すべき地域社会の問題として把握していくことが大切になっていくであろう。