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再現【総合読解】

再現【総合読解】(細かいところは覚えていないが、だいたいの流れはほぼ変わらないはず。反省としては、駄文の一言に尽きる。)

 著者は「学ぶことの喜びが教育の原点」であると述べ、子どもたちが自由に自己を表現する場が授業であり、教師はその表現を支える演出家に徹するべきだと主張する。
 教師は生徒の困った様子を見るとつい答えを教えすぎてしまう。しかし答えが分かりきった勉強ほどつまらないものはなく、生徒の動機は半減してしまう。真の授業は答えを教える場ではなく、問いを投げかける場である。そしてその問いは教室内で自己完結するものではなく、教室の枠を超えて、人間的、普遍的なテーマにまで掘り下げなければならない。国語であれば、文法や古典常識に拘泥せずに、紫式部の恋愛観や吉田兼好の生きることの苦しみといった生徒が扱いに困ってしまうような生きていくことの悩みを提示していきたい。
 文章の指示内容の理解に終わることなく、文章から浮かび上がっていく世界をまず私が味わい、生徒に迷い込んでいくことの楽しさを伝え、文学を味わうことの楽しみを共有したい。

高校生向けの夏休み人権関係推薦図書

高校生向けの夏休み人権関係推薦図書

書名 著者名 出版社 発行年月
だから、あなたも生きぬいて 大平 光代 講談社文庫 2003.05
生きるこだま 岡部 伊都子 岩波現代文庫 2000.09
GO 金城 一紀 講談社文庫 2003.03
哲学ってなんだ:自分と社会を知る 竹田 青嗣 岩波ジュニア新書 2002.11
いじめを考える なだいなだ 岩波ジュニア新書 1996.06
あなたは私の手になれますか: 小山内 美智子 中央法規出版 1997.03
ハンドブック 子どもの権利条約 中野 光 岩波ジュニア新書 1996.05
ぼくたちの言葉を奪わないで!:ろう児の人権宣言 全国ろう児をもつ親の会 明石書店 2003.05
平和と平等をあきらめない 高橋 哲哉 晶文社 2004.05
国際協力と平和を考える50話 森 英樹 岩波ジュニア新書 2004.02
ことばと人権 人権学習ブックレット 中川 喜代子 明石書店 2002.11
ドメスティック・バイオレンス  新版 草柳 和之 岩波ブックレット 2004.07
自殺 柳美里 文春文庫 1999.12
“It(それ)”と呼ばれた子 デイヴ・ペルザー 青山出版社 1998.04
ひきこもれ:ひとりの時間をもつというこ 吉本隆明 大和書房 2002.11
学校では絶対教えてくれない「どうして勉強しなくちゃいけないの?」 藤田 徳人 PHP研究所 2004.05

「『である』ことと『する』こと」問題

以下は先日私が作成した丸山真男の「『である』ことと『する』こと」についての定期考査の問題である。

問五 本文の論旨と一致するものを、次の1〜4の中から一つ選べ。

  1.  国家や自治体を収めていくためには、民主主義をより一層発展させていくことが大切であり、「である」社会のモラルを徹底させていかねばならない。
  2.  現在私たちが自明のものと考えている主権や自由、民主主義といったものは、国民のさまざまな階層の立場の人たちが政治に参画し、不断の努力をすることで守られるものである。
  3.  民主主義や権利の研究に従事する学者は、「する」原理に基づいて社会の変革の一端を担わなければならない。
  4.  保守的な考えを持つ政治家には国家についてのあるべき哲学が、革新的立場に依拠する政治家には歴史に裏付けされた理論があり、保守と革新の統一こそが現在の政治に一番求められる。

法政大学文学部B方式

さっき法政のホームページで文学部B方式昨年の問題を見てみました。漱石の『草枕』からの出題でした。作中の主人公と作者の両面で問題が構成されています。昨年の傾向からするに、あらかじめ設問を予測して、解答案を数枚用意して臨むと良いでしょう。

さて、『光と風と夢』は私も読んだことがなく、今日ぱらぱらと読んでみました。解説など読む限り、作者中島敦は主人公のスチーブンソンに植民地政策批判をさせるという形をとりながら、暗に当時の日本の軍部独走による植民地政策への不満を描いています。中島敦の作品は全体像がつかみにくいので、「ここは」と思うポイントに線を引いておくとよいです。ネット上に次のような記載がありました。

「宝島」「ジキル博士とハイド氏」の作者である。ロバート・ルイス・スチーブンソンの晩年を描いた伝記的作品です。喘息の発作に悩まされていたスチーブンソンは、療養のため、南洋のサモアに移り住みます。そこで見聞した風俗・習慣、現地人との交流。また、西欧諸国の殖民地的搾取を目の当たりにしての憤慨などをモチーフとしながら、著者は、スチーブンソンの口を借りる形で、政治的発言や、自らの芸術哲学を語っています。軍部による、検閲が厳しさをますなかでの、痛烈な殖民地政策批判を語り、また、芸術とは、人間とはを問い掛ける中島の渾身の力作です。主人公のスチーブンソンは、喘息の為め若死していますが、中島も、三十三歳という若さで亡くなってしまいました。

この解説を読む限り、ポイントは次の3点が狙われそうです。1:スチーブンソンのサモア住民に対する見方がどのように変化したのか、2:不自由な南洋に移り住んで、人間の本質に対する見方がどのように変わったか、3:イギリスの植民地政策を批判している箇所、などを抜き出すとよいでしょう。そして、それらのポイントとこの作品が書かれた1942年という時代を作者中島敦がどのように捉えていたのかという時代観とを合わせてまとめてみると良いのでは?

憶測で書きました。不明な点ありましたら、連絡ください。

高校教育相談研究会

埼玉県東部地区の高校教育相談研究会の研修に参加した。時間の都合で午後の都留文科大学教授の河村茂雄氏の講演会のほんの一部しか聞けなかったが、学校現場に共通する教員同士の連繋の難しさと生徒指導のタイミングについて的確に問題点を指摘していた。

現在の学校現場では「教員-生徒」という縦の関係をごり押しすると生徒は離れていく。同じ人間だという横の関係を大切にしなくてはならない。しかし「触れ合い」は容易に「馴れ合い」へと変容してしまい、そのうちに厳しくしても優しくしても生徒は動かなくなり、ルールが無くなってきてクラスの締まりが壊れていくという話であった。そうなると「察してくれよ」という教員の思いは伝わらなくなる。そうした「触れ合い」から「馴れ合い」に移行するのは1~2ヶ月だという。その間に「先生はすごいんだ」ということを生徒に見せないと、人間の本能で生徒は勝手な評価(厳しい先生、優しい先生……)をつけ始める。そしてその評価のベクトルから外れた時(優しいと評価した先生が起こった場合)、「逆ギレ」されたと捉えられてしまう。

10年前だったら、熱心だとか、教え方がうまい、受験に精通しているというだけで、生徒から「先生はやはりすごい」という評価を得る事が出来たが、現在はそれだけでは通用せず、特に教育困難校ではますます生徒の学校離れが加速していく。現在は教員が自分を語ることが大切である。なぜ教員を志したのか、どういう気持ちで教壇に立っているのかと。今の生徒は「生きる力」がないのではなく、具体的な行動に結びついていく「生きる目標」が見出せない時代に生きている。だからこそ生徒よりも長く生きている教員が自分を語ることが大切だと河村氏は述べていた。