学習・学び」カテゴリーアーカイブ

秩父~下仁田~大鹿村 中央構造線を巡る 後編

スクリーンショット 2014-08-15 00.00.28
2014-08-13 08.07.22
茅野市内のコンビニで車中泊した。
最初山の上の方で寝ていたのだが、寒くて目が覚めてしまった。
夜中にふもとまで下りてきて、また眠った。
目が覚めて、体の節々に強張りを感じたまま、一路南アルプスのジオバークを目指す。
写真は着替えたり顔を洗ったりした杖突峠の駐車場からの眺め。

2014-08-13 08.53.48
高藤城址公園の案内図

2014-08-13 09.05.50 2014-08-13 09.04.38
国道152号沿い、伊那市にある美和ダムの様子。長野県飯田市から静岡県浜松市に至る国道152号線は北は杖突街道、南は秋葉街道と呼ばれ、中央構造線に沿って道が延びている。

2014-08-13 09.36.31 2014-08-13 09.39.13

2014-08-13 09.39.31 2014-08-13 09.39.53

2014-08-13 09.42.14
伊那市にある中央構造線板山露頭に実際に手で触れる。中指を境に親指側と小指側で地層が異なる。わずか10数センチ親指と小指の距離であるが、断層をまたぐこのわずかの距離の中に、何十キロ、何千年という時間が流れているのだ。

2014-08-13 10.33.01 2014-08-13 10.37.18

2014-08-13 10.40.14 2014-08-13 10.42.08
美和湖を望む伊那市長谷中学校の裏手にあった、その名もずばりの中央構造線公園。
これまた、「発見」するのに苦労した。たまたま見つかったといっても過言ではない。信州のシュリーマンになった気分だ。

2014-08-13 11.17.51 2014-08-13 11.21.33

2014-08-13 11.28.40 2014-08-13 11.57.49
美和湖を後にして、黒川沿いの林道から、切り立った山が見える場所を目指すが、途中で道を間違えて、砂利道の林道を突っ走ることになった。昔のオフロードバイクの感覚で気持ちよく上って行ったのだが、勾配が険しくなった途端、ノーマルタイヤの1BOXカーで走ることに恐怖を感じた。あえなく道の途中でUターンして退散。

2014-08-13 12.31.24 2014-08-13 12.36.15
国道152号を南に下っていくと、山の峠の付近で丁度中央構造線とぶつかる。なにやら怪しげなのだが、

分杭峠付近に車を停めることができないので、少し離れたところに車を停めて、折りたたみ自転車でアプローチ

2014-08-13 12.55.35 2014-08-13 12.57.54

2014-08-13 12.59.57

2014-08-13 13.01.00 2014-08-13 13.01.28

2014-08-13 13.01.32 2014-08-13 13.03.07
中央構造線北川露頭
これは国道沿いに看板が出ていたのですぐに見つかった。

 

 

大鹿村歴史博物館

 

2014-08-13 15.20.37 2014-08-13 15.21.35 2014-08-13 15.22.54 2014-08-13 15.23.40 2014-08-13 15.23.43 2014-08-13 15.23.47 2014-08-13 15.23.53 2014-08-13 15.24.33 2014-08-13 15.25.21 2014-08-13 15.25.25 2014-08-13 15.26.28 2014-08-13 15.28.25 2014-08-13 16.03.56 2014-08-13 16.06.01 2014-08-13 16.07.04 2014-08-13 16.07.58 2014-08-13 16.08.07 2014-08-13 16.08.56 2014-08-13 16.09.43 2014-08-13 16.14.32 2014-08-13 16.16.39 2014-08-13 16.16.49

長瀞〜下仁田〜大鹿村 中央構造線を巡る 前編

中央構造線を巡る 長瀞〜下仁田〜大鹿村

先日、東京新聞日曜版で上掲の「ジオパーク」なるものが特集されていた。職場の机に張って、時折眺めては、日本の地形や地質に思いを馳せていた。

「ジオパーク」といっても聞き慣れない名称である。数年前に発足した日本ジオパーク委員会が認定する地質学上の価値の高い地域のことである。隠岐や洞爺湖有珠山、糸魚川など、現在では33の地域が同委員会のホームページに紹介されている。

  □日本ジオパークネットワーク[Japanese Geoparks Network]公式サイト

今年の夏も、2日間だけ妻より夏休みを貰ったので、車に着替えと毛布と冒険心だけを積んで地球の鼓動を調査・体感する行き当たりばったりの旅に出かけた。ジャンジャーン!!

といっても、どこへ行っていいのか分からなかったので、まずは、埼玉県長瀞にある「自然の博物館」に行った。10万分の1の地図を片手にテキトーに向かったので、鴻巣や東松山、熊谷周辺をうろうろした挙げ句に渋滞にハマって3時間近くかかってしまった。

ちょうど埼玉に生息していた恐竜の特別展示の時期だったので、小学生や家族連れがたくさん展示の前に集っていた。40過ぎのおじさんも負けじと石灰岩や秩父地域の土地の隆起のパネルを食い入るように眺めた。まだ断層についての知識がなかったので、埼玉から海の恐竜の化石が発見されていることや、埼玉が大昔海の底だった事実にビックリしただけであった。

  

  

展示を見ても、秩父地域から堆積岩が多数出土していますということだけで、今回の目的である中央構造線に関する説明は少なかった。そこで、秩父からほど近い下仁田に行くことにした。


埼玉県小鹿野町から群馬県神流町へと通じる国道299号線の志賀坂峠から。この場所から山地地溝帯といい、断層により土地が数十キロにわたって沈降している様子が伺えるとのことであったが、生憎の雨で周囲の様子すらガスってしまい見渡すことができなかった。頁岩、砂岩、礫岩などの白亜紀前期の地層が分布しており、同じ地層の群馬県からは4つの恐竜の化石が発見されており、埼玉県側からの発見が期待されている。

丁度日航機が墜落した御巣鷹山で慰霊祭が行われていた上野村の道の駅で昼食をとった後、群馬県下仁田村へ向かった。

廃校になった小学校を活用した下仁田町自然史館の外観。

□下仁田ジオパーク推進室|多様な大地の変動から古代人の足音まで

 
最初に15分ほど、地元の小学生対象の学習ビデオを拝見した。観客は一人。感嘆しても一人。
下仁田町自体が何十キロも土地が横ずれした中央構造線の真上にあり、町の各所にある中央構造線のスポットを紹介した観光ビデオともなっている。

 


自然史館の道路はさんで向かいにある「跡倉クリッペ」の様子。
中央構造線の断層が山の横を走っており、山頂とふもとで断層のつながりがない根なし山といわれている。
写真では左下から右上に走る境目がすべり面にあたり、上部は恐竜時代の海の地層である。

 

 
鏑川と南牧川の合流点にある青い石畳の青岩公園。火山岩、堆積岩、深成岩の全てが一箇所に揃った珍しい公園である。
雨がぱらついており誰もいない中で、地層の形成過程に思いを馳せる。

 

ここからがオリエンテーリング状態であった。全くの田舎に突然、最近になってあらたに案内看板だけが新設されただけなので、地図にも全く載っておらず、見つけるだけで精一杯であった。しかし、終わってみると良い思い出となった。

 

 
川井の断層
左右で地層が全く異なる中央構造線が地表に露呈した場所で、関東地方で最もよく観察できる場所である。
三重県に特別警報が発令された大型の台風11号の影響のためか、道もぐちゃぐちゃで、久しぶりにズポッと足が取られる感覚を味わった。近づくための手すりもなく、1メートルほどの岩を昇ってようやく到達することできた。
帰りに足元が滑って手をついたところ、手の掌を少し切るアクシデントもあった。

 


大桑原の褶曲
これまた地図にも載っておらず、自然史館で貰ったパンフレットにも詳細なポイントは明記されておらず、「発見」するのに大変苦労した。周囲を車で何度もグルグル回った挙げ句、普通の民家の裏手に隠されているかのごとく案内版がある。見つけたときは本当に文字通り「小躍り」してしまった。
くりっぺを構成する地層が、移動時の運動によってV字型に大きく折れ曲がった様子が確認できる。

 

 
宮室の逆転層
これも工事で車の通行ができない橋を越えると突然案内が表れる。この地点は駐車場も用意されているのだが、そこからの誘導掲示が全くないので、たどりつけない人が続出するであろう。
クリッペj形成時の大きな大地の力によって地層が逆転し、上下さかさまになっている様子が見られる。

 
すでに日も傾きかけていたが、世界遺産に登録されたばかりの荒船風穴を目指した。途中、看板を見落としてしまい、裏道の神津牧場から延々と山道を走ることになった。ここでも観客は一人。遺産一人。

 

 

 
荒船2号風穴の様子。
荒船風穴とは、1905年(明治38年)から39年(昭和4年)まで下仁田南野牧にあった蚕種の貯蔵施設のことである。荒船山の北麓、標高900m近い場所にあり、夏でも岩の隙間から2、3度の冷風が吹き出す「天然の冷蔵庫」を活用し、繭の生産増に大きく貢献した。

 


一番奥にある1号風穴の様子。温度計が設置されており、3、4度しかなく、不思議な感覚であった。

 


入り口付近のバスの折り返し場に冷風体験のコーナーがあった。本当にクーラーのように冷風が吹き出しているのが体験できる。気圧差によるものであろうが、山の持つ自然の力をたっぷりと実感した。

これからの20年に向けて

昨年の夏、20年に一度の遷宮の年にあたる伊勢神宮を訪れた。
そこで、20年前の自分の思いを振り返り、20年後の自分の姿を思い浮かべた。
私の人生に合わせたかのように、20歳、40歳、60歳と節目の年に、伊勢神宮は遷宮を繰り返す。

今年は人生後半戦のスタートの年である。

年末に原発で立ち入りが制限されてきた飯館村や南相馬市、浪江町を訪れ、国道や電車が寸断され「ゴーストタウン」に近い状態となった町をずーっと見て回った。
ハンドルを握りながら、「教え子を再び戦場に送るな」とのスローガンのもとの「反戦教育」ではないが、「教え子を再び原発の恐怖に曝すな」といった風の「反原発教育」が必要なのではないかという思いが頭をグルグル回り続けた。

東北を回ってすぐに、これまで経験したことのない肺炎にかかり、1週間近く寝込んでしまい、復帰後も仕事でバタバタしているうちに、あっという間に一ヶ月が経ってしまった。

人生の正解は分からないが、今日創価大学通信教育部に願書を提出してきた。気分的には今日から学生である。地歴の免許を取るだけの科目等履修生なので、学生証はない。地歴科教育法を含む24単位の登録である。数学や地学を含め、幅広く本を読んでいきたい。

40歳を過ぎてから勉強を始めていくことにいささかの恥ずかしさを感じることもある。しかし、江戸時代に終わりに日本初の測量地図を作製した伊能忠敬は、50歳を過ぎてから天文学や算術を学び、56歳で全国を回り始めている。伊能忠敬に比べ10歳も若い自分が尻込みをする理由は見当たらないであろう。

この一年間の取り組みがこれからの10年間を大きく左右するであろう。そして、浪人生のように、勉強しなければただ日常繰り返される些事に流されるだけの生活に溺れてしまうという警戒感を保っていきたい。

また、ネットで世界遺産の本もたくさん注文した。ちょうど映画『ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~ 』も来月に公開が予定されている。世界に対する驚きから初めてみようか。

そういえば、私の高校2年の終わりから3年生にかけての夢は、当時テレビで放映されていた『新世界紀行』という番組の制作に携わることであった。あのワクワクした気持ちをもう一度自分の心の中に育んでいきたい。そして伝えていきたい。

2014年度 センター試験【国語】

本日、今年度のセンター試験の国語を解いた。
職場でまとめた分析を掲載したい。

1、評論文
 昨年は往年の評論家小林秀雄の刀の鐔に関する読みにくい文章であった。今年は江戸時代の士族階級の漢文素養に関する文章であり、これまた話の背景が掴みにくい内容であった。設問自体はオーソドックスであったが、全体の表現や構成に関する問題に時間を取られた生徒が多かった。一方、日本史や倫理を選択している生徒は比較的読みやすかったとの感想を漏らしていた。
 「国語」と「社会」はお互いがお互いを土台にしており、不可分な教科である。理系文系・受験科目の有無を問わず、日本史や世界史、政経倫理といった分野の授業を大切にしてもらいたい。

2、小説
 岡本かの子の小説「快走」の全文が掲載されており、本文だけで8ページもある読み応えのある内容であった。これまでのように小説の一部が切り取って出題され、リード文にヒントがあるという形ではなくなり、大きく傾向が変わったのでとまどった生徒も多かった。ただし、戦時下における時代背景が読めれば、話のテーマは掴みやすく、問題も平易であった。
 ジャンルを問わず、幅広い読書体験が問われる出題であった。ライトノベルや漫画で構わないので、どっぷりと物語の世界に慣れ親しんでいこう。

3、古文
 センター試験本試験初の『源氏物語』からの出題であった。教科書や問題集ではほぼ出題されない場面であり、『源氏物語』のあらすじを押さえただけでは話の流れが理解できなかったと思われる。但し、古文単語や文法の基礎知識を試す所謂「問1、問2」は例年通りの傾向であった。「なめし」「らうたし」「きこゆ」「いざ、たまへ」などの「さくらさく」レベルの単語や、助動詞「なり」「す・さす」「き」などの基本文法が分かっていれば20点は取れたはずである。
 古典文法に苦手意識を持っているものは多いと思うが、普段の授業で学んでいる古文単語、助詞、助動詞を含んだ短文を丁寧に訳す練習が、好結果につながるということを声を大にして伝えたい。

4、漢文
 「荘子」の思想「無用の用」を帰納的に説明する文章なのだが、白文の解釈についての出題が3つもあり、例年以上に難解な出題であった。文章全体の内容を理解できた生徒は少数であったと思う。但し、設問は基本的な漢字や漢文基本語順への当てはめといった傾向は変わらず、読みにくいながらも、再読文字「猶」や二重否定「莫不」の句形の暗記ができていれば、2択まで絞り込めることができた。
 センター漢文は暗記科目と割り切り、まずは、句形100、重要漢字100の詰め込みに努めたい。2年生は授業で使っている漢文ノートを大事にしてほしい。

被災地を巡る|33ヶ月後(南相馬市〜山元町〜仙台空港)Part.3

スクリーンショット 2014-01-01 03.03.25

DSC_4267 DSC_4269

DSC_4271 DSC_4272

DSC_4273 DSC_4274

DSC_4275 DSC_4276

DSC_4278 DSC_4281

DSC_4282 DSC_4283

DSC_4285 DSC_4286

DSC_4287 DSC_4290

DSC_4291 DSC_4292

DSC_4293 DSC_4294

南相馬市小高地区の様子。浪江町から意図的に海岸沿いの道を選びながら仙台を目指した。復旧は進んでおらず、防潮堤も整備されていないため、今度津波が来たらひとたまりもないであろう。

DSC_4295 DSC_4296

DSC_4297

相馬市松川浦の様子。津波で壊滅的な被害を受けた港である。

DSC_4298 DSC_4300

DSC_4301 DSC_4302

DSC_4303

宮城県山元町にあった常磐線坂本駅付近。津波で跡形もなく流されてしまった地域である。往時の写真が残されていた。

DSC_4304 DSC_4305

宮城県亘理町に入った。亘理町も海沿いは大きな被害を受けているのだが、瓦礫もなく、すっかりと更地に生まれ変わっていた。

DSC_4306 DSC_4308

DSC_4309 DSC_4310

最後に3.11のニュース映像で海と化した仙台空港に立ち寄った。すっかり復旧しており、「普通」の地方空港となっていた。