一昨日の日曜日に録画したフジテレビの「ノンフィクション」という番組を見た。今回のテーマは「年収200万円 正社員を目指す」というもので、大手電機メーカーを自己破産で退職を強いられ日雇い労働をしながら正社員採用を目指す35歳の男性や、大手レコードメーカーをリストラされうつ病に苦しむ38歳の女性の悲哀な生活が画面に映し出されていた。正社員として仕事をしていた同じ30代の人たちが明日をも知れぬ生活を続け、結婚も出産も諦めざるを得ない状況に追い込まれてしまっている現実に驚きと同時に恐怖を感じた。この驚きと恐怖は、自分がその立場に置かれたことに対するものと同時に、このような日本になってしまったバブル崩壊以降の「失われた10年」を押し進めた政府に対するものである。
「テレビ」カテゴリーアーカイブ
台風報道
一昨日辺りから台風9号が関東に影響を及ぼしている。今夜遅くから明日の未明にかけて、一時間に50〜70ミリの雨量と、最大瞬間風速50メートル強の風が関東をゆっくりと通過するとの予測である。まだ埼玉は暴風域に入っていないようだが、雨は数時間前からずっと降り続いている。明日の朝は湿気もろとも吹き飛ばしてカラッとスッキリ晴れてほしいものだ。
テレビを見ていると、アナウンサーが石廊崎や城ヶ島の海岸、箱根山中、大井川に掛かる橋の上など決して人口の多くない地点に立って、風雨に煽られよろめきながらながらカメラに向かって台風の危険性を連呼するという場面を目にする。確かに雨風の脅威はひしひしと伝わってくるが、何か遠くの世界の様子を見ているようで、いまいち実感が湧いてこない。
だらだら〜『五勺の酒』
雀の涙ほどしかない夏休みを満喫している。先週練習で腰を痛めたので、昨日、今日と運動を控え、読書や家の清掃に時間を使っている。たまにはこのようなだらだらした夏休みもよい。
昼はソファでだらっとしながらテレビのワイドショーを見るともなく見ていた。4チャンネルも6チャンネルも朝青龍関のモンゴル帰国について持ち切りであった。報道陣は朝青龍関を成田から延々と後を追い、果てはモンゴルのウランバートル郊外の草原まで疾走する車を追いつめていた。
確かに朝青龍関は横綱という看板を背負っている以上、マスコミにとやかく言われるのは仕方がない。しかし、彼とてモンゴルの田舎から単身出てきた26歳の青年である。子どもを抱えているので、たまには仕事をサボって保養することも、親方や理事会から叱られひねくれることもあろう。日本人であればすぐに田舎へ帰ることができるが、交通機関が整っていないモンゴルの草原にはおいそれと帰ることはできない。
とかくマスコミは国技だからという理由にもならない理由を持ち出し、横綱という「神格」を作り出し、封建的で窮屈な鋳型に無理に力士を押し込めようとする。報道を見ていると、日本の国技である相撲は全生活を犠牲にして精進すべきものであり、家族を優先する者や外国人には務まらないものだと言わんばかりである。彼の個人的資質はさておき何とも寂しい限りである。
かつて、文学者中野重治は『五勺の酒』という小説の中で、主人公に次のように言わしめている。
このことで僕は実に彼らに同情する。このことでといってきちんと限定はできぬが、要するに家庭という問題だ。つまりあそこには家庭がない。家族もない。どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ。羞恥を失ったものとしてしか行動できぬこと、これが彼等の最大のかなしみだ。個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にしたもっとも純粋な場合だ。
せめて笑いをしいるな。しいられるな。個として彼らを解放せよ。僕は共産党が、天皇で窒息している彼の個にどこまで同情するか、天皇の天皇制からの解放にどれだけ肉感的に同情と責任を持つか具体的に知りたいと思うのだ。
つまり、中野は天皇という制度こそを厭うべきであり、昭和天皇およびその家族を個人として共感できる気持ちがないと、真に天皇制度を解体していくことはできないと述べているのである。
現在の朝青龍問題を考える際においても、中野の指摘は考慮に置いて然るべきであろう。
中村紀洋内野手
ここ最近、中日ドラゴンズに育成選手枠として入団した中村紀洋内野手の活躍が新聞やテレビを賑わしている。
昨日は教育リーグで140mの満塁ホームランを打ったということだ。オリンピック日本代表やメジャーリーグを経て、オリックスバッファローズではわがままし放題であったあの中村選手が、若手に混じって丸坊主になってまでボールに食らいつく姿は、正直修まりが悪いものかもしれない。しかし、「1軍にちょっとすき間があれば入り込みたい」と、わずかな目標を確と見据え、裸一貫で自分が信じた道をあきらめずにもう一度歩もうとする姿は輝いて見える。ちょうど私と誕生日も数日しか違わない同級生である。33歳の彼の活躍を心から応援したい。
格闘技番組
年末の大晦日に録画した5時間もの格闘技番組を観た。
テレビで放映する格闘技番組は選手の意気込みのコメントやら練習風景やら「前フリ」がやたらめったら長いので、いつも録画してリモコン片手に観ることにしている。今回も過去のエキサイティングな試合やら「陸上界の韓流スター」やらの意味不明なネーミングの紹介シーンがかなり挿入されていた。しかし試合は懐かしい先輩の顔も発見してじっくり楽しむことができた。K1ルールにしても、総合ルールにしても試合における「定石」が確立してきたようで、アナウンスも解説もいたずらな気合い論を振りかざすようなものでなく、的確な落ち着いた実況で好感が持てる。途中、ゲストの歓声や谷川貞治氏のつまらない解説が入るが、画面に集中していればそうした雑音も耳に入らない。