読書」カテゴリーアーカイブ

『花宴』

あさのあつこ『花宴』(朝日新聞出版,2012)を読む。
江戸時代の物語である。武士の魂や当時の女性の恋愛なども交えながら話が展開していく。
『バッテリー』でも感じたが、著者は、小説の中で話の中心的な場面(試合や恋愛)はあまり描かず、回想シーンや前後のストーリーによって、事の重大さを表現しようとしている。時代も話題も全く違うが、『バッテリー』を読んでいるような感覚であった。

『国家の罠』

佐藤優『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社,2005)を少しだけ読む。
東京拘置所で512日勾留された著者が、拘置所の経験やそこへ至った外務省の内実を明らかにしている。著者が関わっていたゴルバチョフ、エリツィンからプーチンへと権力が移譲していく様子など、ロシア内部の政治が面白かった。勾留時代のメモをもとに執筆されたようだが、著者の行動力と記憶量の凄さに圧倒される。

『食卓から見た日本の食糧

河相一成『食卓から見た日本の食糧』(新日本新書,1986)を読む。
食糧自給率の低下とそれに伴う日本の農業の没落、そしてあるべき食生活について論じられている。当時はなかっただろうが、いわゆる「食糧安全保障」についての著書である。

日本の食糧自給率がどのように低下していったのかについての論が興味深かった。1954年3月に日本国とアメリカ合衆国との間で相互防衛援助協定(日米Mutual Security Act MSA協定)が締結されたが、実は同時に日本の経済の安定という名目で「MSA小麦協定」が結ばれていたのだ。この協定にそって、1955年、1956年にわたって米国の余剰農産物を受け入れることになる。受け入れ量は小麦が80万トン、大麦が15万5000トン、飼料が11万トン、綿花が27万5000俵となっている。

また、これに合わせて1954年に「学校給食法」が制定されている。その時の文部大臣の提案理由には「今後の国民食生活は粉食混合形態が必要だが、米食偏重是正はなかなか困難なため、学校給食により幼少時代に教育的に配慮された合理的な食事に慣れさせる」として、米飯からパン等への切り替えが強引になされた。

さらに1956年から数年間にわたって、厚生省の外郭団体のキッチンカーが全国隅々まで走り、主婦を集めて、パンやスパゲティ、ケーキなどを作ってみせて試食させる普及事業が展開された。また、「米を食べるとバカになる」「米を食べると美容に悪い」といった宣伝までまことしやかに流布された。著書は次のように述べる。

これらのキャンペーンの陰にアメリカの余剰小麦市場開拓の黒い意図があることを国民が知っていたなら、そう簡単に宣伝にのせられることはなかったのではないでしょうか。そういう意味でアメリカの小麦市場開拓の戦略は知能犯罪な完全犯罪を押し通したことになります。加えて、その完全犯罪に手を貸した日本政府や一部の学者は、共犯者としての罪を負うべきでしょう。

では、国内の小麦農家が増えたのかというと、そこにも巧妙な戦略が見え隠れする。当時の食糧管理制度のもとで、小麦の価格も政府が決めることになっていたが、この水準が低く抑えられ、麦作農民経営の採算に合わず、麦生産から農民は離れていくことになった。1960年には国内で380万トンの麦が生産されていたが、1984年にはわずか110万トンにまで激減することになった。いかに日本の農業が米国や日本政府によって歪められてきたのかという証しである。

良書であった。著者は4年前に亡くなっているが、晩年まで憲法9条や食糧問題について論じられている。

『若者のためのまちづくり』

服部圭郎『若者のためのまちづくり』(岩波ジュニア新書,2013)をパラパラと読む。
著者は東京大学工学部を卒業され、カリフォルニア大学で修士号、明治学院大学を教授を経て、現在は龍谷大学で教鞭を取られるエリートなのに、本書では自転車で移動できるコンパクトシティや自分の居場所であるサードプレイスなど、合理的な都市計画とは少し離れた都市のあり方を提案する。最後の項では、松本哉さんの高円寺商店街の「素人の乱」が取り上げられている。まだ大学を卒業(?)されたばかりの頃の松本さんが登場する。そうした若者のチャレンジに対し、著者は次のように評する。

ショッピングセンターは、それまでの商売の実績がないような人には店舗を貸してくれません。その結果、多くのショッピングセンターに入る店は、実績のあるチェーン店ばかりになってしまいます。しかし、商店街は、そこにしかないような店舗を出せたりするので、より多彩でユニークになります。そして、実績のない若者にビジネスチャンスを与えてくれるのは商店街なのです。

『語りつぐべきこと』

澤地久枝『澤地久枝対談集 語りつぐべきこと』(岩波書店,1988)を読む。
昭和5(1930)年生まれの澤地さんが、はっきりとした戦争経験を持つ明治・大正生まれの方々との対談を通して、昭和の時代の歴史と生活と戦争について語られている。
確かに昭和の時代を感じる話が多かった。『橋のない川』の住井すえは、女性の自立について次のように語る。

うちをほっていてね。女が外へ出るのは一つの流行なんですかね。

経済的自立という名につられて資本主義の奴隷になるのが現状ではないですか。資本主義の奴隷になって、ときには指を切ったりします。家の中にいることこそ自立かもしれませんよ。

女たちは何もする必要はないのです。まず、家庭を十分に守れば、それ以上に人類を守ることはないわけです。食卓にパック詰めを並べるようなことはしないで、料理をしたり子供の着るものを手縫いしていれば、時間は足りないくらいだと思います。

また、丸木美術館の丸木位里・丸木俊との対談で、丸木俊は人権教育について次のように語る。

まず、学校の先生も親ももっと一生懸命勉強しなきゃ。子どもに何を教えたらいいかということを考えなきゃね。試験勉強ばっかりさせないで、そういうことを教師も親もよく考えて、教えないと。