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『子どもの脳が危ない』

福島章『子どもの脳が危ない』(PHP新書,2000)を読む。
著者は東京大学医学部の博士課程を修了し、病跡学の権威として知られ、犯罪者の脳を研究し、犯罪行為と脳の疾患の関係性を研究している。そしていたずらに犯罪と社会病理を結ぶ付けようとする風潮について次のように述べている。

(神戸小学生連続殺傷事件のような)重大で衝撃的な事件が起こると、マスメディアはよく「前代未聞の犯罪」という言葉を使い、「最近の少年犯罪は凶悪化した。昔とは違って、今の少年少女は何をするかわからない。この中学生は、その種のキレる少年の典型だ」というような論評がいっせいにあらわれる。
さらに必ず、社会的な意味での《犯人探し》が始まる。すなわち、このような事件が起こる背景としては、社会が悪い、親のしつけがなっていない、地域の絆が弱くなった、学校や教育が危機的な状況にある、といった指摘がなされ、関心と注目は、事件そのものからしだいに、その背景へと拡散してゆく。
しかし、私は神戸事件の詳細を聞くにしたがって、この異常な事件はけっしてふつうの少年によって起こされたものではなく、特異な資質をもった特異な少年による特異な事件であろうという確信を深めた。

そして、著者はそうした脳の異常を抱えた人たちに対して次のように述べる。

脳に異常のある人の場合には、ストレスに対する耐性が有意に高い確率で低かったり、感情が不安定だったり、適応能力が低かったりすることも事実であるから、そのような「症状」がある場合には科学的に妥当と考えられる合理的な援助や治療を行うことが必要であり親切でもある。

最後に、犯罪につながるような脳の疾患を抑えるために、環境ホルモンやダイオキシンへの注意や暴力的なテレビ番組への規制といった対策を提案している。

『進化とはなんだろうか』

長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書,1999)を半分ほど読む。
私の一番嫌いな動物の行動生態学に関する内容である。

冒頭から筆者は、生物の進化がダーウィンやラマルクの進化論のように昔の人が考えた世界観ではなく、現代生物学を統合する理論だと断じる。遺伝や自然淘汰、適応、最適化、ゲーム理論など生物学には様々な分野があるが、そうした進化生物学は最先端で流動的あり、中高の教科書にはあまり載っていないが、生物学の全ての分野を統合し、生命の意味について答えを出すことで、私たち自身や生命一般に対する見方も変わってくると結論付ける。

『先端医療革命』

米本昌平『先端医療革命:その技術・思想・制度』(中公新書,1988)を少しだけ読む。
80年代後半に話題になっていた脳死、臓器移植、人工臓器、体外受精、出生前診断、中絶と胎児、遺伝子治療といった先端医療と倫理を巡る問題について考察している。

ほとんど読んでいないが、ガン、心疾患、脳疾患が三大死因を占める国は間違いなく先進国であるという指摘は興味深かった。栄養不足や感染症が克服され、医学の課題の中心が急性疾患から成人病や遺伝病、先天異常といった慢性疾患へ移行した社会の証である。一方で、アフリカ地域の死亡原因は1位から、HIV/エイズ、下気道感染症、下痢性疾患、マラリア、脳卒中、早産による合併症と続き、多くの死因が感染症となっている。

医学の課題が急性疾患の時は生命倫理などは無縁である。病気から生命を守ることに対して議論はない。しかし、医学がより良く長く生きるための学問となってからは、患者の権利や宗教、文化、人生観が関わるようになり、根本から変わらざるを得なくなる。本書ではそうした医療思想革命が論じられているらしい。

『動物とふれあう仕事がしたい』

花園誠編著『動物とふれあう仕事がしたい』(岩波ジュニア新書,2003)を読む。
中高生向けに、獣医師や動物園_水族館の飼育員だけでなく、動物看護師や愛玩動物飼養管理士、ハンドラー、乗馬療法指導者など、畜産以外の動物に関わる仕事が紹介されている。

ちょうど刊行と同時期の2002年に、帝京科学大学にアニマルサイエンス学科が開設されている。帝京大学の教員も何本か執筆しており、「人間と動物の共生」を謳う帝京大学アニマル〜学科に設置されたコース(アニマルサイエンスコース、アニマルセラピーコース、野生動物コース、動物看護福祉コース)と本書の章立てが見事に一致している。

上野動物園や多摩動物園の飼育員になりたい場合は、東京都の「畜産職」枠での採用となるため、畜産や生物の知識が必要となる。東京都との令和6年度採用要項をみると、事務555人、土木65人などに対し、畜産は2人と狭き門となっている。

また、獣医学はアメリカが世界の最先端であり、世界中から優秀な獣医が集まって切磋琢磨している環境がある。

昨年より、ニューヨークでは警察犬の代わりにAIロボット犬が導入されている。「心の癒し」を提供する動物と冷静無比なAIとは真逆なものであるが、AIの発達によって犬のもつ組織的性格は代用されてしまうのであろうか。

『恋愛の国のアリス』

嶽本野ばら『恋愛の国のアリス』(朝日新聞社,2004)をパラパラと読む。
前半は朝日新聞に連載された恋愛に関するコラムがまとめられている。
後半は女性誌「KERA(ケラ!)マニアックス」に掲載された内容で、趣旨が分からなかった。
パラパラと読んだだけだが、興味を引いた内容があったので紹介しておきたい。

女子は(男子が恋愛で口にするような)「傷つけたくないから」なんてことは滅多に口にしません。それは傷付くことのリスクを承知で、常に恋愛しているからです。相手を傷付けることになっても、勝手に向こうが好きになってきて自爆して傷付いた場合でも、女子は自分の加害者としての立場を受け止めます。恋愛に於いて男子は何時も最後までいい訳するが、女子はどんな時でも最初から開き直っている。(中略)恋に堕ちてしまったならば、女子は狡いこともいっぱいしますが、基本的には特攻の精神で腹を括るのです。恋愛が修羅場になれば男子より女子の方が肝が据わるといわれますが、恋愛に突入した時点で既に女子はどういう結末になろうが全ての責任は自分にあると決めているのです(後略)

殆どの男子には気になる異性が現れても、外見的な変化が起こりません。(中略)男のコが、見違えるようになったと誉められるれるのは、人の意見をそのまま取り入れる場合に限られます。(中略)

女子は恋をしたならば、恋愛の情を栄養源にして自分で自分を磨いていけます。(中略)女のコの容姿や仕草が恋愛で磨かれる理由(中略)貴方の体内には貴方を映しだす鏡が存在するのです。恋をしていない時は、鏡の中の自分に興味を示さない。しかし、一度恋愛すると貴方は無意識にその鏡を眺め(中略)鏡と向き合い、ああでもない、こうでもないと試行錯誤するうち、自然と貴方は昨日の貴方よりも綺麗になっているのです。

この体内鏡を男のコは持っていません。(中略)これは女子は皆、オリジナルの美しさを手に出来るのに、男子はオリジナルのカッコ良さを得ることが難しいという男子には厳しい摂理を導き出します。