読書」カテゴリーアーカイブ

『狂牛病』

中村靖彦『狂牛病:人類への警鐘』(岩波新書,2001)をパラパラと読む。
イギリスやフランス、ドイツで狂牛病が話題になっていた頃に刊行された本である。この後2003年にアメリカで狂牛病が広がり、吉野家が休業に追い込まれることになる。

狂牛病とは牛や羊のような反芻動物の屑肉かのら動物性飼料を、同じ反芻動物に与えることで脳細胞が海綿状に変性し、異常行動や運動失調を来たし、やがて死に至るという病気である。人間に感染すると変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を発症し、1年以内に100%死にいたる病気となる。
最後に著者は次にようにまとめる。

狂牛病の教訓の一つは、家畜飼育のあり方へん反省である。
まず餌については、共食いの危険と反芻動物への動物性飼料の問題が浮かび上がった。牛とか羊の反芻動物から製造した動物性飼料ー肉骨粉を、再び同じ反芻動物に与えるやり方は、明らかに共食いであった。(中略)牧草とかワラのような、繊維質の多い餌を与える方が、反芻動物の健康にはよいのであって、消化が良い肉骨粉は邪道である。どうしても屠畜場から出る屠肉や骨を再利用しなければならないとの思惑が先行した結果の肉骨粉であって、牛にとっては迷惑な話であった。

その肉骨粉は、液状にして生まれたばかりの子牛にも与えられた。母牛から引き離した後の母乳の代わりになったのである。(中略)(母牛の)生乳は収入源として出荷され、子牛には人口の動物性飼料を、というのは、いささか経済効率に偏り過ぎたやり方と言わざるを得ない。

人間でも共食いによって、脳が海綿状に変性するクールー病を発症することがあり、共食いの危険性、経済効率を追い求めた家畜のあり方について理解した。

『日本恐竜探検隊』

真鍋真・小林快次編著『日本恐竜探検隊』(岩波ジュニア新書,2004)をパラパラと読む。
タイトルにある通り、日本国内で発見された恐竜の化石について、地図入りで詳しく解説されている。特に1億5000万年前以降に堆積した、富山・石川・福井・岐阜の県境にまたがる手取層群については丁寧に説明されていた。

私はこの手の生物分化的な話が苦手なのだが、恐竜の系統や生息域、進化の話が続き、正直つまらなかった。生物学の学問としては正しいのだろうが、恐竜の持つ魅力が台無しになってしまわないか?

『新・いきいき体調トレーニング』

正木健雄『新・いきいき体調トレーニング』(岩波ジュニア新書,2003)をパラパラと読む。
著者は東京大学教育学部体育学科を卒業され、同大学院博士課程(体育学専攻)修了し、日本体育大学の教授を長らく務めた方で、本書も保健体育の授業の副読本のような内容となっている。若者の体力や生活リズム、体を支えるトレーニング方法、日常の姿勢、疲れのとりかた、睡眠前の理想的な過ごし方などが、根拠を示して丁寧に説明されている。

歩くというのは、単に体力向上だけでなく、大脳の活動を活発化させる効能がある。ギリシアの哲学者アリストテレスはぶらぶら歩きながら思索し、哲学を論じあったことから逍遥学派といわれている。実際に歩くスピードを変えながら計算問題を解く実験をしたところ、アリストテレスと同じように、ゆっくりと歩く方が計算のスピードが上がったそうだ。

やはり散歩やポタリングというのは、身体だけでなく、頭の回転にも良い運動なのだ。

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

村上春樹『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(TBSブリタニカ,1988)をパラパラと読む。
正直読みたいところのない作品であった。まずもって私は、村上春樹が私淑するフィッツジェラルドが好きではない。『グレート・ギャツビー』は読んだことないが、日常生活の違和感を描いた短編集があまりにつまらなかったので、興味が湧かなかった。そもそもフィッツジェラルドの作品(『グレート…』は読んだことないが)を本当に評価している人はいるのか?

『外国語としての日本語』

佐々木瑞枝『外国語としての日本語:その教え方・学び方』(講談社現代新書,1994)をパラパラと読む。
著者はカリフォルニアにある州立大学を卒業され、日本語学・日本語教育を専攻され、実際に横浜国立大学で留学生に日本語を教えている教授である。そのため、日本語の文法の説明に終始するだけでなく、留学生が勘違いしやすい言い回しや日本語の発音で躓きやすい語も丁寧に説明されている。外国人に日本語を教える際の参考書として最適である。

日本人は普段日本語を使う際に、自動詞と他動詞の違いをあまり意識しないが、ニュアンスは大きく変わってしまう。たとえば、バイト先でコップを洗っていて、何かの弾みで割れたとした時に、「あっ、すみません。コップを割ってしまいました」と「あっ、すみません。コップが割れてしまいました」では、その後の対応が大きく変わってしまう。

また、「〜ている」という文型も、改めてその違いの大きさに驚く。本書では次のような事例が紹介されている。1は英語と同じく「現在進行形」なので、日本人でも説明しやすいが、2以降を留学生に説明するのは難しい。

〔問題〕「次の『しています」はそれぞれどんな風に意味の違いがあるでしょう」

  1. 今、彼に手紙を書いています。
  2. ドアが開いていますよ。閉めていただけませんか。
  3. この道は、くねくねと曲がっています。
  4. ジムは去年、富士山に登っています。
  5. 家には毎日大工さんが来ています。