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自民党議員 野中広務

本日の東京新聞の特集で自民党議員野中広務の戦争に関するインタビュー記事が載っていた。最近は小泉首相の郵政改革に対する牽制役といったイメージでしか報道されないが、自民党内護憲派としてなかなかまっとうなことをいうと思った。少し長いが引用し紹介したい。

戦後日本が平和と民主主義得たというのは非常に大きかった。しかし、それが本当に健全にその道をたどってくることができたのかどうか常に考えていかなくてはならない。過去をおろそかにすれば未来はないのだと常に思いながら。戦争を知らない人にしたら「年取った人間が何をいつまでも過去をひきずっているのか」という気持ちもあるかと思う。しかし、多くの有能な人材があの戦争で亡くなったという過去を風化させてはならない。そのために私はかたくなだと言われても、頑固に生きていく。時にはブレーキを踏む勇気を失ってはならないという使命感のようなものを持っている。

日中関係でいろいろ言う人はいるが、わが国は中国本土に軍を進めたわけですよ。そのことを厳粛に考えて過去の歴史に忠実であってもらわないと。今の風潮は、自衛隊が海外に出ていかないことが自衛隊としての責任をまっとうできないような風潮があることを、私は恐いと思う。その意味で自衛隊が他国に軍事力を行使しないことが、むしろ自衛隊としての最高の誉れであると思ってほしい。

家族に思いを残しながら戦争に行った者と戦争を計画した者はきちっと仕分けされるべきだと思う。昭和53年にA級戦犯を祭って以来、昭和天皇はお参りになっていないとか。そういうことなどを考えると靖国の持つ問題とは、戦争に敗れた後に総括されていないことにつながる。A級戦犯が合祀されたことで戦争責任をあいまいにしてしまった。やはり大変な戦争の責任をきちっとしておくことは必要だと思う。そうでないとこのまま不幸な議論を引き継いでいくことになってしまうという切羽詰まった気持ちが私にはある。

われわれの少年時代は「欲しがりません勝つまでは」と、貧困に耐え、戦争遂行のためにすべてを犠牲にしてきた。今、われわれは衣食住はどうにか確保されている。やはり過去の中から今日があるということをよく考え、過去をおろそかにしないで将来に目を向けてほしいと痛切に思う.繰り返し言うが、過去に目をふさいだらいけない。

ちょうどドイツのヴァイツゼッカー大統領が言った言葉を思い出させる。彼自身の政治活動についてこれまで注目してこなかったが、彼のいう「切羽詰まった気持ち」がどのような行動につながっていくのか期待したい。

フセイン大統領のテレビ演説

本日の東京新聞で紹介されていた、フセイン大統領のテレビ演説の一言が、「前後の文脈は抜きにすると」正論を貫いていて格好良かった。
イラン・イラク戦争終結記念日における演説で、彼は次の言葉で米国の姿勢を警告したそうだ。ただ、原文を探したが見つからないので、正確な意図は不明である。

脅しで民衆を奴隷にしたがるごう慢な乱暴者が、自分の国の人々の平穏を望んでいるのなら、国際法に基づいた対等な対話によって他の国の人々を尊重しなければならない

話は変わるが、ここ数年のフセイン大統領による対アメリカ外交政策はかなりの部分でうまくいっていると思う。あれほどの侵略戦争を仕掛けておきながら、今回もアラブやヨーロッパの支持を十分に取り付けている。今後何度も国際政治の舞台に出てくる政治家であろう。残念なのは、日本におけるサダムフセイン像があまりにアメリカ寄りの「悪の大将軍」というイメージに固定化されていることだ。別にサダムフセインをかばうつもりはないが、ステレオタイプなイラクの国家像から早く脱しないと、中東を見る判断力を誤るであろう。

本日の新聞より

今日の東京新聞の一面は、中田宏横浜市長による住民基本台帳ネットワーク市民選択制の発表の記事だった。既に福島県矢祭町、杉並区、国分寺市が表明している住基ネット「不参加」ではなく、「市民選択制」とした点に対する評価が集まっている。「選択制」は言葉の上では好印象であるが、実施段階でうまく機能するのか不明である。しかしいずれにせよ345万人を抱える横浜市のトップが総務省に反対の意を表わしたことは評価したい。

昨日の夕刊の文化欄に、ジャーナリスト櫻井よしこさんが、「住基ネットの嘘」という文章を寄せている。

 米国では昨年の九月十一日のテロ事件以来、国民への監視も必要だとして番号制の導入の法案が出された。しかし、議会はこれを否決した。危険人物の特定も必要だが、行き過ぎた監視は民主主義と人の心を抑圧するという理由からだ。政治家が真に国民の代表であるなら、国民の個人情報を一元管理し、個人情報を危機に晒すことはやめるべきだ。見えない力で国民を抑圧する仕組みには断固反対すべきだ。しかもこの仕組みは国民への偽りの説明の中から生まれてきた。個人情報と民主主義、そして自由な精神を、こんな偽りの仕組みの前に屈服させることになってはならないのだ。誰もが闊達に生きるためにも、住基ネットは止めさせなければならないと思う。

櫻井よしこさんと言うとこれまであまりいい印象はなかったが、こと個人やメディアが民主主義を守るといった自由主義的な観点から一貫した発言をしているのは評価に値する。

しかしこの住基ネットの持つ悪点を過小評価している気がしてならない。そもそもこの住基ネット構想は有事法体制を補完するものとして生まれてきているのだ。例えば朝鮮有事の際、米国部隊が軍事展開を行う際、見分けのつきにくい、日本人と韓国・朝鮮人の区分を明確にする等に用いられるのだ。昨日2002年版防衛白書が発表になったが、依然朝鮮半島での有事を

東京新聞朝刊より

本日の東京新聞の朝刊に分かりやすい良い投稿が載っていた。こうした分かりやすさが大切な気がする。

 「歴史は繰り返される」(ローマの歴史学者クルティウス・ルフス)の有名な言葉がある。今、日本がその言葉の岐路に立たされている気がしてならない。小泉首相が性急に進めている「有事法制関連三法案」がそれだ。最近はテロ事件や侵略戦争が続く国際情勢であるが、国民生活の自由を束縛し、憲法の精神を逸脱した政府の軍事優先の姿勢には理解しがたい。政治家は過去の重い戦争の歴史を忘れてはいないか。
「十二月八日」はまだしも、「八月十五日」がどういう日か知らない学生が多いという。戦後五十七年、戦無派が大多数となった幸せな時代であるが、あの戦争の真相や原因を知識として学ぶことの必要性を感じる。
物事が行き詰まったら「歴史に学べ」とよくいわれる。今の政治、社会、教育のさまざまな難題を考える時、歴史特に、明治維新からの近現代史を世界史的視野で学ぶことが大切だ。昔から歴史の授業は時間がなくなり”しり切れとんぼ”のケースが多い。実はそのしっぽが肝心なのである。
私は戦中派で苦い体験をしてきたので、このしっぽに特別な思いがある。昔、生徒に歴史を教える立場だったので何とか太平洋戦争まではと思っていたが、駆け足になり今でも悔いを残している。最近は、学校も休日が増え、四月からの授業は三割減になった。高校生の孫に歴史はどこまでやったか、と聞くと「大正の初めまで」の答えだった。
やはりそうか…。最も大事なしっぽの部分が欠落したままで終わってしまったようだ。昭和史を含む近現代史をしっかり学べば、今の政治問題の手助けになるだろう。憲法だって戦前戦後の対比をすれば改憲論議の是非も、戦前の富国強兵は貧民強兵の飾り言葉にすぎなかったことも理解できよう。そして日本特有の天皇制と政党制、国民の義務と責任。一国のリーダーの品質、教育と倫理の重要さも分かろう。
歴史の個々の事実は一つだが、無数の事実の中から多角的に歴史を見る目(歴史観)が大切だ。特に近現代史を学ぶことによって今政府が向かおうとする道が将来の確かな道か判断できるのではないか。
(埼玉県秩父市 無職 宮前昇 79)

金大中離党

先日、韓国大統領の金大中が息子の不正疑惑や側近の逮捕に関して、与党新千年民主党を離党したが、日韓ワールドカップ開催が近いというのに、日本ではあまり大きく報道されていない。韓国では盧泰愚元大統領と金泳三前大統領も政権末期に与党離党を余儀なくされているが、大統領制の韓国政治は議院内閣制の日本の感覚ではやはり理解が難しい。小泉総理も郵政民営化論に関して、「自民党が小泉政権を潰す」と息巻いているが、議院内閣制のもとでは小泉内閣は政権与党自民党を母体とするしかない。小泉総理の発言は制度的には齟齬を来しているのだが、手垢のついた「改革派vs抵抗勢力」の構図に当てはめてみれば理解しやすいのだろう。