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「スポット派遣」

本日の東京新聞の特集に、「スポット派遣」労働者の雇用環境についての特集記事が載っていた。スポット派遣とは携帯電話などで前日に登録派遣会社から仕事を受け、倉庫作業などの日雇いの仕事をする業態のことである。ちょうど十数年前下落合にあった「ガクト」の携帯版といったところか。(分かる人には分かる)
東京新聞の解説によると、そうしたスポット派遣なるものは1999年の労働者派遣法で解禁され、全国で昼夜問わず1日7万回分の仕事が供給されているとのこと。しかし、雇用の不安定さや安い賃金から、漫画喫茶などで寝泊まりする「ネットカフェ難民」になる人びともおり、格差社会の象徴として問題視されているということだ。
先日読んだ三浦展著『下層社会』でも指摘されていたが、団塊ジュニア(現在36歳〜28歳くらい)世代は、学卒期がちょうど「失われた10年」の就職氷河期とぶつかっており、正社員として就職出来ないため、とりあえず派遣から就職していく者が多かった。私の友人にも不本意な就職をする者がいたが、未だに正社員として就職できず非常勤の仕事を続けている者も少なからずいる。

明後日に参院選を控えているが、格差を助長してきた自民党や、正社員や公務員の地位向上を訴える政党や候補者ではなく、不景気の煽りを食った底辺に位置する団塊ジュニア世代がきちんと「再チャレンジ」できる社会構造改革や施策のビジョンを具体的に持っているところに一票を投じたいと思う。

本日の東京新聞の精神科医斎藤学氏のコラムが興味をひいた。斎藤氏は高みに立って物を言う人物であまり好きではないが、下記の論は正鵠を得ている。

ここのところ日本社会は上流と下流に分極化しているそうだが、もっともあからさまな「格差社会」は政界だ。世間では通用しそうもない素朴なアナクロ中年が首相をつとめられるのもそのせいで、要するに人材払底ということではないか。その男は力み返って「戦後レジームの脱却」などと言っている。この人、妙に真面目で「祖父さんの志」を継ぐなどと言っているから怖い。
この祖父さんこそ戦前から続く日本の暗い部分を戦後社会に混入させた男だ。防衛庁を防衛省にし、自衛隊は軍隊にする。教育基本法は改定を重ねて教育勅語にまで持って行く。そういうことを目論む連中が一定数いて、現首相のような「半わかり」を担ぐのだ。

小渕首相の在任時も「真空総理」などと揶揄されたが、ブッシュ米国大統領の背後にいるネオコンや戦前の天皇の勅命を錦の旗にした軍部独走体制も同じで、訳の分からないトップの影に潜って蠢く集団というのが一番気持ちが悪い。

『軍事同盟—日米安保条約』

山本皓一・松本利秋『軍事同盟—日米安保条約』(クレスト社 1996)を読む。
長い間本棚に眠っていた本であるが、普天間基地移転の問題が浮上している今、もう一度沖縄基地問題を頭の中で整理したいと手に取ってみた。日米安保条約の条文を紹介しながら、日米安保と日米地域協定に縛られる沖縄住民と在日米軍の日常生活を写真を交えて描く。改めて日米安保を読み返す良い機会となった。
ニュースなどで何気なく「キャンプ・ハンセン」や「キャンプ・シュワブ」といった名前を聞くが、「ハンセン」や「シュワブ」という名は、沖縄の土地の名前ではなく、太平洋戦争時の沖縄攻略の戦功者の名前であったことを知った。沖縄の置かれている状況を象徴している。リポートをまとめた松本氏は、日米の二国間の安全保障問題として捉えるのではなく、米軍の世界—アジア展開の意図と軍事の実際から考えていく必要を説く。

本日の東京新聞夕刊で、カーター元大統領のコメントが記事になっていた。カーター元大統領は、現ブッシュ政権に対して、「米国の根本的な価値観を完全にひっくり返し、ニクソン、レーガン、(父親の)ブッシュら歴代大統領が築いた政策から急速に離脱した」と批評し、「世界に害毒をまき散らした史上最悪の政権」と痛烈にこき下ろしたそうだ。さらにブレア英首相に対しても「嫌悪感を抱かせるほどブッシュ大統領に追随した」と述べ、「ブッシュ大統領の浅はかなイラク政策を一貫して支持したばかりに、世界に大きな悲劇をもたらした」と酷評したとのことである。では、何の根拠も信念もないまま米国を盲信する小泉前総理、阿倍現総理の責任は果たしていかほどなのか。

「なんとなく改憲?」

本日の東京新聞夕刊に、作家高村薫さんの「なんとなく改憲?」と題したコラムが載っていた。
憲法は国民が主権者であることを保証したものであるで、改憲の権利も国民全体が握っていると述べる。しかし、一票の格差を放置した上で、米国に突き動かされた一部の議員の勢力だけで安易に憲法を変えることができる今回の国民投票法のからくりを批判する。

憲法は私たちとともにあり、時代や社会とともにあるのだから、私たちが欲すれば、変えることはできる。しかし私たちには、いま憲法を変えるような理由があるか。アメリカと一心同体にならなければ困るような状況が、どこかにあるか。阿倍政権は、美しい国を連呼するだけで、国民のために憲法改正を急ぐべきことの合理的な説明をしていない。そういう政権にそもそも憲法をいじる資格はない。

国民投票法案

本日の東京新聞朝刊に、政府が憲法改正の手続きを定める国民投票法案の成立の目処が立ったことに伴い、小・中・高校で主権者としての政治参加の重要性について理解させる「主権者教育」を充実させる方針を固めたとの記事が載っていた。
政府は、選挙権を20歳以上と定める公職選挙法を「18歳以上」に引き下げる改正案を提出するとのことである。選挙権が18歳以上に引き下げられれば、高校在学中に選挙権が行使できる生徒が出てくるため、小・中学校の社会や高校の「現代社会」「政治・経済」での教育内容を充実させ、早い段階から主権者意識を高める教育を目指すという。

ここ10数年、少年法や児童福祉法など18歳、19歳の少年少女の「保護」が取り払われ、義務や罰則など大人と同じ論理が導入されつつある。しかし、一方で選挙権は20歳以上に固定されたままで、権利と義務のバランスを著しく欠いていた状況が続いていた。国民投票法案云々の流れを全く抜きにして考えるに、いたずらな教育に対する政治介入をもたらさない限りは歓迎すべきことであると思う。