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「ホームレス襲撃 見過ごしてはならない」

本日の東京新聞朝刊のコラムに、「ホームレス襲撃」について、注意を換気する社説が掲載されていた。
「平和」や「民主主義」をお題目にした海外の戦争に加担する前に、国内で生活をする住民の安全を優先させる社会でありたいと心から思う。
野宿者に対する差別の根底には、自分と同じではない者を排除しようとする社会不安や孤独が背景にある。そして、そうした不安や不満の蓄積が大日本帝国を盲目的に賛美する戦争に繋がっていったという経緯も合わせて確認しておきたい。

 ホームレスへの襲撃は弱者を標的にした卑劣な暴力だ。その数の多い東京では約四割の野宿者が襲われた経験を持つ。痛み、屈辱はだれも同じはずだ。警察や行政当局は対策に動くべきだ。
 東京・上野公園の周辺で暮らしていた六十代の男性がこの夏、自ら命を絶った。二年前からこの男性に炊き出しを続けていたボランティアの石崎克雄さん(67)は、男性が亡くなる前日に知らない若者に金属バットで殴られ、頭から血を流しているのを見た。男性はこの半年間に何度か通行人に殴られたり、自転車を投げつけられていた。「疲れた」と話した翌朝、駅前で亡くなった。悲しすぎる。石崎さんは一度暴行の現場を目撃したが、犯人は逃げてしまった。男性を死に追い詰めたことを悔やんでいる。
 都内では一九九五年以降、野宿をしているというだけで襲われ、少なくとも十人が犠牲になった。二〇〇五年には墨田区で高校生に暴行され死亡する事件も起きた。無抵抗な人を襲う、理不尽な暴力は今もやんでいない。
 民間支援団体の調べでは、東京都内の駅や公園などで寝泊まりする野宿者の四割が暴力を振るわれた経験を持つ。台東や新宿など十数カ所で暮らす約三百五十人から聞き取った貴重なデータである。集団で石を投げられる。鉄パイプで殴られる。花火を打ち込まれる。暴行された後に「死ね」と言われた人もいる。
 見過ごせない犯罪だ。警察は団体の問題提起を受け止め、刑事事件として捜査すべきだ。行政も野宿者が危険に遭わないよう、生活再建や支援にもっと動くべきだ。加害者には若者や子どもが目立つという。ホームレスなら襲ってもいい。社会から追いだしていい。そんな心があるなら間違いだ。一方的に襲われて、どんなに怖いか。悔しいか。わが身に引き寄せて考えたい。
 墨田区で小中学生が野宿者について学び始めている。地元の支援団体の協力で、野宿者を教室に招いて境遇を語ってもらったりしている。自分と異なる立場の人を知り、子どもは一歩ずつ偏見や差別を乗り越えていくのではないか。
 加害者もまた、社会のどこかで傷つけられ、つまはじきにされている人たちかもしれない。地域の人々の無関心が弱者排除の連鎖を生みやすい。もう目をつぶるのはやめたい。

海外で武力行使 可能に

本日の東京新聞朝刊の一面は、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を変え、行使を認める新たな解釈を決定する自公協議を批判する論調の記事で埋め尽くされていた。集団的自衛権は自国が攻撃されていないのに、武力で他国を守る権利で、自衛隊は海外での武力行使が可能となり、専守防衛を基本方針としてきた日本の安全保障条約は大きく転換する。

少し気になった記事を残しておきたい。自衛隊の活動範囲が逸脱すると軌を一にして、通信傍受が拡大し、司法取引が導入されるという事態は正直怖い。ここ十数年、1930年代との類似から「戦争前夜」と言われ続けてきたが、いよいよ戦争開始直前にまで時計の針が進んでしまった。竹島や尖閣諸島の報道を見るに、いつでも韓国や中国に米軍と一体となって戦争を仕掛けるお膳立てが用意されたと言ってよい。

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埼玉新聞一面より

本日の埼玉新聞一面に、今月埼玉県上尾市にある聖学院大学の学長に就任した姜尚中氏のインタビュー記事が掲載されていた。
大変示唆深いコメントがあったので、掲載してみたい。

姜氏は「埼玉の印象は」という記者の質問に対して次のように答えている。

県内でも、東京に近い所と離れた所で違いが大きいが、総じて東京の磁力が非常に強い。まるで(車輪の)スポークとハブのように、県内移動でも東京を経由した方が早い場合があるほど。東京の影響力が大きく、アイデンティティーが見失われやすい地域
やや飛躍するが、浦和レッズの件(差別的横断幕事件)も、「ジャパニーズオンリー」と書きたい気持ちの裏側には、埼玉という地域が固有のアイデンティティーを見いだし得ないもどかしさがあるのではなかろうか。

「地元」というアイディンティティーが壊れてしまった東京郊外において、一気にいびつな国家主義へと流れてしまう危険性が指摘されている。特に10代〜20代の若者はあらゆる場面において自己肯定感を与えていかないと、いわゆる「自分探しの旅」から巡り巡って偏狭なナショナリズムへと流れかねない。
ヘイトスピーチや四国での差別張り紙などの事件の記事を読むにつけて、若者のアイデンティティーを保障するような教育の必要性を感じる。先生との関係やクラスの友人、部活の先輩後輩関係、地域での年齢を超えた活動など、生徒の他者や社会、自己との「関係性」を育む教育を目指したい。

姜尚中氏は、「どんな大学を目指すか」という質問に対して、次のように答えている。

本大学の目玉の一つである人文学部の日本文化学科に「埼玉学」を開講するとともに市民講座も始める。埼玉にはさまざまな歴史、土地の記憶がうずもれており、急速に失われつつある。歴史、文化、芸術、国際関係など多様な視点から埼玉のアイディンティティーを掘り起こし、教育に反映させたい。

「在特会ヘイトスピーチを非難」

本日の東京新聞夕刊に、米国務省が公表した2013年版の人権報告書に、在日韓国・朝鮮人の排斥を訴える「在日特権を許さない市民の会(在特会)」のヘイトスピーチ(憎悪表現)に対する懸念が盛り込まれたとの記事が掲載されていた。
報告書は在特会のヘイトスピーチについて「極右団体が東京の在日韓国・朝鮮人が多い地域でデモ活動を行った。団体のメンバーは人種的に侮蔑する言葉を用いた」と非難し、在特会の会長らがヘイトスピーチに抗議する団体との衝突で逮捕されたことにも触れている。
また、報告書は日本に住むマイノリティーについて、在日韓国・朝鮮人に限らず、中国人やブラジル人、フィリピン人らも社会的差別を受けていると指摘している。

東京新聞では、「在特会」についてかなり丁寧な報道記事が載っているが、私もネット右翼を中心とした一部の過激な団体が新大久保周辺で騒いでいるだけだろうと思っていた。しかし、事は一部の勢力による一部の民族への反感という問題に留まらず、日本全体に排外主義が蔓延しつつあると、海外の目には映っているのである。少子化が進む日本は、今後移民に頼らなくては国が成り立たなくなる瀬戸際に立たされつつある。こうした多文化が進展しつつある中で、この排外主義の萌芽にはくれぐれも注意を払っていくべきであろう。

「大間」差し止め訴訟

本日の東京新聞朝刊に、津軽海峡に面する青森県大間市に建設中の大間原発建設の差し止めを求め、津軽海峡を挟んで半径30km圏内にある北海道函館市が電源開発社(Jパワー)と国に対して訴訟を起こすという特集記事が掲載されていた。

函館市は原発事故の防災重点地域の緊急防護措置区域に位置するにも関わらず、原発建設や稼働の同意手続きに関与できず、工藤函館市長は「再三再四、建設の凍結を求めてきたが、聞き入れられなかった。訴訟を起こすしかない」と憤りの述べている。また、大間原発の国の許可が福島原発事故の前の旧審査基準によって出されていることも問題視し、「原発事故前のいいかげんな審査指針で、(建設)許可が出されている。それに基づいて工事も再開している。そんな許可は無効だ」と述べる。

大間原発は使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜた混合化合物(MOX)燃料を100%使用する世界初のフルMOX原発である。プルトニウムを使用しているということは、一度事故を起こせば半径30kmの市町村のみならず、津軽海峡も全て汚染されるという結果を引き起こす。工藤市長は「津軽海峡は国際海峡で、ほかの地域と比べ、外国のゲリラ船も入りやすい。世界一危ないフルMOXで、世界一テロに弱い原発ができあがることになる」と危機感を募らせている。

小さい自治体の隣接区域をわざわざ探し出し、補助金の色分けなどによって、地域全体で反対の声がまとまらないように分断し、危険な原発を補助金行政に苦しむ地方に押し付ける国と電力会社の狡猾で強引な手法が露となっている。