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玉音放送 原盤公開

遅ればせながら、今月1日の東京新聞で紹介された、「大東亜戦争終結に関する詔書」、いわゆる玉音放送の原盤を聞いてみた。
ちょうど70年前の1945年8月14日に録音されたものであるが、かなり鮮明に聞くことができた。
文面は大変よく出来たものであり、朕自ら平和を希求するがゆえに戦争を終えるのだと読むこともできるし、「東邦ノ解放」に向けた戦争を継続したいが「戦局必ズシモ好転セズ」「新ニ残虐ナル爆弾」により仕方なく戦争を終えるのだと読むこともできる。読む側の受け取り方次第であろう。我田引水な解釈は避けたい。
どちらにせよ事は急いており、今後は過去を振り返ることなく、一層の信義を得るための祖国再建を目指せという趣旨である。戦争を思い出すという点に絞るならば、毎年聞いてもいいものであろう。


2015年8月1日付け 東京新聞より

昭和天皇は1945年8月15日正午から、ラジオで国民に敗戦を告げました。宮内庁は1日付で、放送に使われたレコードの原盤の写真と、原盤を再生してデジタル録音した音声を公開しました。また、昭和天皇は1946年5月24日、深刻な食糧不足を助け合って乗り切ろうと国民にラジオで呼び掛けました。この音声も玉音原盤と一緒に保管されていた原盤を宮内庁が再生、デジタル録音して公開しました。

「憲法9条改正案」

先週発売された「サンデー毎日」(2015/07/12)に憲法学者小林節氏の小論文が掲載されていた。
小林氏は、安保法制における「後方支援」という政府の言い分のデタラメさを指摘し、国際法上の集団的自衛権の行使が明白に違憲であると喝破し、憲法解釈の変更による新安保法制を「裏口入学」だと断じた上で、堂々と憲法改正を目指すべきだとし次のような新9条を提案している。

1項 わが国は第二次大戦の経験を反省し、二度と間違っても侵略戦争はいたしません。これを世界に誓います。
2項 ただし、わが国も独立主権国家である以上、わが国が侵略の対象とされた時には、堂々と自衛戦争を行う。
3項 そのために我々は自衛軍を持つ。
4項 この自衛軍を用いて、国際貢献を行うが、それは国連安全保障理事会の決議がある場合に限る。

かつての自民党や最近までの民主党の考え方に近いもので、「自衛戦争」や「自衛軍」という言葉に敏感に反応してしまうが、安倍総理のゴリ押しする、敵を作りテロを誘発し戦争を拡大するための新安保法制と照らし合わせると、極めて真っ当なものに感じる。
子どもがまだ小さく、国会前の反対闘争に馳せ参じることは難しいが、現場に出向いて声を上げること以外の「後方支援」を積極的に行っていきたい。

『ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎』

松本典久『ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎』(実業之日本社 2009)を読む。
山手線の車両の移り変わりや環状運転となった経緯、全29駅の乗降客数や開業した背景などがコンパクトにまとめられている。
池袋から赤羽まで沿線された歴史や、新橋駅の変遷、常磐線の起点が田端駅から上野駅に変わった理由など、鉄道オタクでなくとも通勤や通学の車窓からの風景が楽しくなる雑学ばかりであった。
タイムリーなことに、今日の夕刊は山手線の新型車両の記事であった。大正時代の木製の車両ホデ6100系から始まる山手線の「進化」に思いを馳せてみたい。

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小出裕章・京大助教 定年インタビュー

本日の東京新聞朝刊「こちら特報部」に、今月末で定年退職する京都大学原子炉実験所の小出裕章助教のインタビュー記事が載っていた。
小出氏は「人間には、未知の領域を知りたいという抑え難い欲求がある。研究者は国家や権力から独立し、真理探究に専念すべきだ」と述べた上で、自身が辿り着いた真理については「原子力は危険で破壊的であり、犠牲を押しつける差別の問題である」とする。さらに、「突き詰めれば原子力は軍事の問題。日本という国家は原子力を進め、核保有につなげたい。そのため、原子力研究は国家の思惑に左右される。研究者はこの状況を自覚して行動すべきだが、出世したい、給料を上げたいと考え、国家に抱え込まれていった」と述べる。

原子力は「差別の問題」であるという見解を、小出氏あちこちで話されているが、この問題の根は深いと考える。日本で一番根深い人権問題といっても過言ではない。環境問題や、格差の問題だけでなく、同和問題や労働問題まで含む「人権差別の総合商社」といっても言い過ぎではないだろう。
斯くなる上は、原発の息の根を止めるために広範囲な勢力の結集が大前提となるであろう。

同じく、東京新聞の朝刊1面には、原発や環太平洋連携協定(TPP)、労働法制など11の政治的テーマに関して普段は別々に活動している団体が共同で企画した「安倍政権NO!☆0322大行動」の模様が写真付きで紹介されていた。東京都千代田区の日比谷公園を出発した参加者1万4千人が国会を取り囲み、「戦争反対」「安保法制は認めない」と叫んだ。

とんちんかんな安倍政権はそのうち、プルトニウムをたんまりと溜め込み、「積極的平和外交」と喧伝してプルトニウムを海外へ転売していく時代錯誤なことをやりかねない。さてこの間違った方向性をどう止めていくか。自分は何をすれば良いのか。今の自分は何ができるのか。
とりあえず、リンクだけ張っておきます。

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Link: 安倍政権NO!☆0322大行動実行委員会
フライヤーのお取り寄せ

★チラシをダウンロードできます。配布のご協力を宜しくお願いします。

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週のはじめに考える 大学は何のためにある

本日の東京新聞朝刊の社説から。
「大学本来の姿」「かくあるべき研究」といったことあるごとに繰り返し語られてきたレトロな大学論となっている。戦前の帝国大学は「学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」と定められたが、エリート意識の裏返しのような普遍的大学論は少し飽きが来ている。大学大衆化がこれだけ進んでいるのだから、昔ながらの大学像を振りかざして現行の大学のあり方を批判するのではなく、大学そのもののあり方を壊していくような方向もどんどん検討されてよい。最近はそのように考えるようになった。

 卒業生を送り、四月には新入生を迎える大学に厳しい問いが突きつけられています。「大学は何のために存在するのか」。そこに生き残りもかかります。
 一八七七年、日本の近代国家建設の任務を背負わされて東京大学が設立されてから百四十年。大学は「エリート教育」から「ユニバーサル教育」と呼ばれる時代へと大きく変わりました。同年齢の大学・短大への進学率が50%を超えて、だれでもが大学へアクセスする時代という意味合いです。

◆ユニバーサル教育の時代
 日本の四年制大学は、国立八十六校、公立八十六校、私立六百三校の計七百七十五校、文部科学省の二〇一三年度の調査では四年制大学に二百八十六万九千人、短大、専門学校、高等専門学校を加えると高等教育機関の学生は三百六十五万五千にのぼりました。教員は十九万一千人です。
 大学大衆化時代だからといっておざなりな教育は許されません。少子化の時代、大学に特色や魅力がなければ学生は集まらず、私立大学は倒産の危機に瀕します。英文法be動詞活用や分数計算、化学の元素記号など中学程度の基礎的学力を身に付けさせるリメディアル教育も時には必要になります。創意工夫がなければ大学が淘汰される時代になりました。
 国立大学が法人化されたのは〇四年でした。大学自主運営の理想は遠く、着実に進められてきたのが国立大学への運営費交付金削減と文科省からの天下り。一五年度予算案の運営費交付金は一兆九百四十五億円ですが、毎年1%、十年前と比べて千三百億円もの削減となっています。
 容赦ない財政削減とともに安倍政権が進めているのは大学の選別と序列化、組織の統廃合にみえます。競争原理も導入されます。

◆進む選別と序列化
 昨年九月の「スーパーグローバル大学」の選定には、百四校が応募、その結果、世界大学ランキング百位以内を目指す「トップ型」に東大、京大、名大、早慶など十三校、「グローバルけん引型」に二十四校が選ばれました。
 トップ型には年最高四億二千万円の補助金が十年、けん引型には一億七千万円の支給。補助金は海外大学との連携、外国人教員の人件費、外国語授業などに充てられますが、選定にもれた他大学は放置されたままなのでしょうか。
 昨年八月の文科省の通達も国立大学の文科系学部関係者を震撼させました。教員養成系、人文社会科学系学部に「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促していたからです。
 「日本には文科系学部が多すぎる」「シェークスピア研究より英会話」は産業界からの強い声でした。自前で人材を育てる余力を失ってしまった企業が大学に求めたのは仕事に役立つ実学教育や即戦力人材の養成です。文科省通達は財界の要請を受け入れたもの。「国立大学から文系学部が消えるのか」の疑心暗鬼が広がりました。
 大学は何のためにあるのか。時代や社会の要請に応えるのも大切な役目の一つでしょう。大学大衆化時代にあっては学生が就職できるようにビジネス英語や簿記、会計を身に付けさせるべきかもしれません。しかし、大学はやはり「学術研究と教育の場」であるべきです。人知れずの黙々の研究がノーベル賞になったり、実生活と無縁にみえる数学や哲学、歴史研究が長い目では大いに役立つとの真理の逆説を知らせたり。学生には自ら課題をみつけ考えられるようにする。それが最重要の任務にも思えるのです。
 和歌山大学で六年間学長を務めた山本健慈学長ら国立六大学の学長が文科省で記者会見して運営費交付金の増額を訴えました。和歌山大学は地方創生の核ともいえる観光学部をつくり、学生を育て直し、生涯応援することを約束して社会に宣言、タイや地域の過疎地派遣で学生が活動的に変わることを目撃しました。「そんな努力にも限界がある」が学長たちの訴えでした。
 苦しくとも教育への投資が国を興します。いま、大切なのはその「米百俵」の精神。地道な努力に光を当てなければ。

◆訓練で自己を確立せよ
 学生は大学で何をすべきか。「学問のすゝめ」の福沢諭吉も「君たちはどう生きるか」の吉野源三郎も「二十一世紀に生きる君たちへ」の司馬遼太郎も、先人たちが語るのは同じにみえます。
 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。-自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を」は司馬遼太郎です。
 「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」は訓練で身に付けよと言っています。