大学短大専門学校案内」カテゴリーアーカイブ

大学案内研究:昭和音楽大学

昭和音楽大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
1930年に「総合的なオペラ教育」を理念に掲げ創立された下八川圭祐声楽研究所が母体となっている。1940年に東京声専音楽学校へと発展し、戦後大久保に校舎を移している。1969年に神奈川県厚木市に昭和音楽短期大学が開学し、1984年に4年制大学が開設されている。1998年に大学院が開設され、2007年には大学・短大・大学院全てが神奈川県川崎市の新百合ヶ丘駅周辺に移転している。
創立者の下八川氏がオペラで活躍した人物であり、オペラやミュージカル、バレエなどの舞台芸術に力を入れている。現在は作曲学科、器楽学科、声楽学科、音楽芸術運営学科の4学科で構成されており、それぞれに専門のコースが設置されている。また国内では珍しいオペラ研究所とバレエ研究所が設置かれ、音大なのにバレエダンサー養成コースや、アートマネージメント、舞台スタッフコースがなどが置かれている。

短大も同じようなコースが設置されているのだが、2013年度よりシニア層を対象とした音楽と社会コースが新設されている。短大の方は、2年間のカリキュラムを3年間または4年間で学ぶ長期履修学生制度が設けられており、総額2年分の学費で時間的にも経済的にもゆとりを持って学ぶことができるよう配慮されている。

大学のある川崎市とのコラボもあり、年間50回近いコンサートが開催されている。特に力の入っているオペラはS席4,500円もする本格的なものである。大学内にチケットセンターまで設けられている。教職課程などもあり一応大学という形をとっているのだが、舞台公演を支えていく養成所といった側面も有している。吹奏楽や管弦楽演奏会に加え、ジャズフェスティバルやミュージカルも開催しており、学生と施設の資源を有機的に活用した音楽事務所と称してもいいかもしれない。

500人近い顔が並んだ教員案内も添付されていた。前から疑問に思っていたのだが、なぜ音楽の世界では「師事」という語を使いたがるのであろうか。「師に事(つか)える」という意味なので、有名な演奏者からワンツーマンで指導されるという姿が見えやすい言葉である。音楽の世界は言葉での紹介が難しいため、華々しい経歴を披露することで、その人の技量を

大学案内研究:白百合女子大学

白百合女子大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
沿革を読むと、今から300年以上前の1696年シャルトル聖パウロ修道女会の活動から始まっている。1878年にフランス人修道女が函館に来日し修道院を創設し、1881年に東京神田に学校を新設、関東大震災後の1927年に九段に新校舎が建設され、1935年より現在の白百合学園中学・高等学校の前身にあたる白百合高等女学校と校名が改められている。1946年に白百合女子専門学校国文科が設立され、1950年に英文科と国文科からなる白百合短期大学となっている。1965年に現在地の調布に移転し4年制大学が開学されている。現在では国語国文科、フランス語フランス文学科、英語英文科、児童文学・文化専攻と発達心理学専攻からなる児童文学科の1学部4学科で構成されている。1学科定員100名、全学科で一学年400名の規模の小さい大学である。国文、仏文、英文の3学科は教員養成を前提としているようなカリキュラムとなっとおり、選考はあるもののどの学科に行っても、幼稚園教諭と小学校教諭の資格が取得可能となっている。

パンフレットは「お嬢様大学」と評されていることを意識しているのか、結婚式場のパンフレットかと思うような、緑に囲まれた教会のイメージで統一されている。偏差値的には日東駒専とちょうど同じレベルである。特に児童文学科児童文学・文化専攻が一番の看板学科となっており、幼稚園教諭・小学校教諭・司書資格が取得可能な上に、他大学にはない絵本やアニメを体系だって学ぶカリキュラムが整備されている。他学科と異なり修士課程も博士課程も定員を越えており人気ぶりが伺われる。

得てして進学実績の高い高校が郊外に作る大学は失敗が多いのだが、白百合女子大学はブランドに支えられ、大学のレベルを保っている。2013年度は定員400名のうち指定校推薦の合格者が179名となっている。全国各地に「白百合」と名のつく高校が7校あり、十分に指定校で数を稼ぐことができ、残りの220名枠を一般入試とAO入試に回すことになるため、2倍以上の倍率で受験者を選考することができる。

女子大全体が不人気で、資格取得の専門学校に近い形を進むのか、共学に変わるのかどちらかに舵を切らざるを得ない現在、「お嬢様」のブランドを全面に出す戦略は一定評価を得ているのであろう。都心からはいささか離れてはいるが、森の中のおしゃれな文学部というイメージが崩れてしまっては、京王線沿いの大学激戦区の中で他大との差別化を計るのは難しいであろう。

大学案内研究:桐蔭横浜大学

桐蔭横浜大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
パンフレットに大学の沿革が全く掲載されていない。ホームページで調べたところ、1964年に横浜の郊外に設立された桐蔭学園高校を出発点に、中学校、小学校、幼稚園と拡張されていき、併設の工業高等専門学校を母体にして、1988年に工学部が開設されている。その後、1993年に法学部が開設され、2005年に工学部を改組した医用工学部、2008年にスポーツ健康政策学部が開設されている。現在では法曹・公務員コース、警察官・消防官コース、企業ビジネスコースにオプション設定のスポーツ法学コースと教職課程を加えた5つの専攻からなる法学部と、生命医工学科と臨床工学科からなる医用工学部、スポーツ教育学科、スポーツテクノロジー学科、スポーツ健康政策学科の3学科からなるスポーツ健康政策学部の3学部で構成されている。受験生を集めやすい医療系の資格、公務員試験、小学校教諭、中高体育教諭の学科を集めた大学となっている。教員免許以外は「どこま〜でも♪」のCMでおなじみの「日本スクールオブビジネス」や「大原専門学校」とほぼコース設定である。埼玉県加須市にある「平成国際大学」と、都心からの位置や学部構成、法人の体質まで瓜二つである。
就職に結びつきやすい資格取得や国家試験合格のためのカリキュラム、6つの強化指定運動部、何度も行われるAO入試、困った時の小学校教員養成課程など、典型的な郊外型の大学となっている。
交通不便な場所にも関わらず、法学部を除いて定員を超えており、受験生のニーズを先読みして専門学校なみに学部学科を変容させていく商法は一定の評価を得ている。

大学案内研究:東洋学園大学

東洋学園大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
1917年に開校した明華女子歯科医学講習所を改組して、1926年に創立された東洋女子歯科医学専門学校が母体となっている。1950年に東洋女子短期大学(英語科)が東京・本郷に開学し、1967年に千葉県流山キャンパスが開設されている。1992年に短大をベースにして、武蔵野線南流山駅からスクールバスで5分という不便な場所に、4年制の東洋学園大学(人文学部英米言語学科・英米地域研究学科)が開学している。その後、コミュニケーション学科の開設や現代経営学部の開設など幾度か学部学科の改廃が行われるも、学生確保に苦労する状況が続く。2007年に本郷キャンパスを整備し、1・2年時は流山、3・4年時は本郷という形態をとるも、受験生からの評判は芳しくなかったようだ。2008年に大学院現代経営研究科現代経営専攻が開設され、さらに、2013年に人文学部をグローバル・コミュニケーション学部と人間科学部に再編し、2014年よりグローバル・コミュニケーション学部と現代経営学部は4年間本郷キャンパスで、人間科学部は4年間流山キャンパスで学ぶという大幅な改変が行われる。付属の高校や専門学校を持たない4年制大学のみを運営する法人なので、おそらく台所は火の車であろう。しかし、身軽な分だけ大学改革は積極的であり、来年度の受験に期待したいところである。

パンフレットの中身であるが、3学部、4学科、18コースほとんど同じレイアウトのページがずっと続くので読む気をなくしてしまう。それぞれのページを開くと、専門科目やゼミの紹介、コースの特徴、学びの流れ、学生の様子など分かりやすく書かれているのだが、全ページを見比べてみようという気持ちにはならない。教養教育と英語教育に重きが置かれ、4年間にわたって、英語表現科目と人文科学・社会科学全般を網羅した科目が設置されている。専門科目の方は細かくコース設定がなされいるものの、体系立てたリキュラムになっておらず、選択科目から自由に選ぶだけのアラカルト式である。また、国際交流プログラムも業者任せのありきたりな内容である。定員割れが続いているので、学生のニーズに応じて丁寧にコース設定をしなくてはいけない、一方で、小規模大学故にあまり細分化してしまうと、受講者が一定人数集まらず開講できなくなってしまう、痛し痒しの状態である。

しかし、東洋学園大学の圧倒的な欠点は就職率であろう。2012年度においては、483人の卒業生に対し、就職者271人、進学者3人である。就職希望者の内訳は無視して、ざっと計算してみて就職率は56%に留まっている。定員に満たないので就職が悪いのか、就職が悪いので定員に満たないのか、これまた解法の見つけにくい課題である。あと数年すれば教員団も一気に若返るので、40代の若手の教員の采配が問われるところであろう。

大学案内研究:作新学院大学

1885年船田兵吾が創立した私立英下野学校が母体となっている。1988年に中国の古典『大学』にある「作新民」という言葉を借用して、私立作新館と改称されている。戦後は中学校と高校と理容美容専門学校の3校から出発している。1953年に幼稚園、1954年に小学校、そして1967年に幼児科短大と次々に開学している。学院創立100周年記念事業なのだろうか、1989年に経営学部の4年制大学を発足させている。そして、2000年に地域発展学部、2002年に人間文化学部が開設されている。さらに、1993年に大学院経営学修士課程、95年に博士課程、2006年に心理学研究科(修士課程)が開設している。しかし、学生の評判は芳しくなく、早くも2005年には地域発展学部を改組し、総合政策学部と看板を付け替えたものの、学生は集まらず、2010年に募集を停止している。また人間文化学部だけでは苦しいので、2012年に受験生を呼びこめる小学校教員養成課程を設置して挽回を期している。
2014年度は、経営学科に加え新たにスポーツマネジメント学科の開設が予定されている経営学部と、言語文化・心理・社会について横断的に学ぶ人間文化専攻と、小学校教諭養成に特化した発達教育専攻からなる人間文化学部の2学部体制となっている。

典型的な親族経営の大学で、創立者船田兵吾の長男の船田中が ○○議員、孫の船田穣が栃木県知事、曾孫にあたる船田元氏は法人の理事長職であると同時に、現在栃木1区選出の自民党の衆議院議員○期目を務めている。
宇都宮駅からバスで25分という不便な場所にある。また、宇都宮から東京都心の大学に通うこともできるためか、学生募集は苦労している。2013年度は定員○○名に対し、入学者は○○名となっている。

パンフレットも郊外型の新興大学にありがちな内容となっている。資格取得や就職支援、国立よりも安くなる奨学金、美しいキャンパス風景、さらに遊びと両立したキャンパスライフや就職即結のプロジェクトの立ち上げ、学外業者一任の海外留学、楽しいイベントなど、授業内容や教育課程以外は盛り沢山の内容である。硬式野球部と陸上競技部、サッカー部が強化指定部となっており、大学の宣伝に一役買っている。

パンフレットにあった次の宣伝文句が格好良かったので、引用してみたい。

古代ヨーロッパの人々が泉に集い、そこから文明が生まれたように……
古代ギリシャの学者たちが集い、学問の扉が大きく開いたように……
今、水を湛えた作大キャンパスに学生たちが集い、書物を手に取り、語り合い、自らの未来を見つめています。