1998年度早稲田祭をめぐる動き

早稲田祭問題

1998年度 早稲田祭をめぐる動き

早大当局による早稲田祭の一方的中止決定に反対する早大生有志

はじめに

早大当局の一方的な中止決定によって、今年度も事実上早稲田祭は開催できなくなってしまった。「またか」と落胆された方も多いことだろう。特に、2年生(1997年度入学生)以下の方はこのまま一度も学祭を経験せずに卒業してしまうのではないかという危機感でいっぱいなのではないかと思う。しかし、早大当局が一方的な中止決定を下した理由を、そしてまた今年度の早稲田祭をめぐる動きを皆さんはどれだけ正確にご存知だろうか?

「どれだけ正確に」とわざわざ回りくどい言い方をしたのは、大学当局側も今年度早稲田祭を担おうとした各団体(早稲田祭準備委員会・早稲田祭組・民青同盟早大班・「自治六団体」(4.(1)で詳述)も自らの責任を棚上げして都合のよいことばかり述べているため、一般の学生はどの団体の言っていることを信じてよいのか分からず混乱してしまい、多くは事実とはかなりかけ離れた認識をしてしまっているからである。(そもそも、そのようなことに無関心の学生も多いが。)

今年度のような失敗を繰り返さず早稲田祭を開催するためには、今年度の早稲田祭をめぐる動きを知り、大学当局の横暴とも言える一方的中止決定に反対の声を上げていかなくてはならない。また、後の学生達にも語り継がなければならない????私たちはそう考え、今年度の早稲田祭をめぐる動きをまとめることにした。

 

1.「早稲田祭に向けての提言募集」

5月11日、「早稲田祭ゼロからの出発
新生早稲田祭に向けての提言募集!」と称する『早稲田ウィークリー号外』が学生部から発行される。

4月以降大学は、『早稲田ウィークリー』4/9・4/16・4/23・5/7号を通じて、昨年度早稲田祭中止の経緯およびその背景について説明し、大学の早稲田祭に対する考えを明らかにしてきました。特に5/7号で明らかにしたように、早稲田祭を担うのは、早稲田大学の学生自身であって、大学にお膳立てしてもらって開催するものではありません。早稲田祭をどうする!
早稲田祭がどうなる?
かは、ひとえに、早稲田の学生一人一人が自ら考える時期に至っています。

そこで皆さんの意見を明らかにしてもらう手段として、学生部では「新生早稲田祭に向けての提言」を募集します。早稲田祭を学生の手で作り上げたいと思う皆さんの「早稲田祭のあり方(何のための早稲田祭か)・担い手となる組織作りの考え方・運営に関する方針・財政に関する考え方」等を明らかにした意見を以下の要領にしたがって学生部に提出して下さい。

<早稲田ウィークリー1998.5.11号より>

 

この文章を読んで違和感を覚える人は多いのではないだろうか。「早稲田祭を担うのは、早稲田大学の学生自身であって、大学にお膳立てしてもらって開催するものでは」ないといっておきながらその提言を学生部が募集しているのである。本当にそう思っているのであれば、そもそも提言など募集せずに学生の自主的な動きに任せればよいではないか。これだけを見ても、学生に自主的な早稲田祭を開催させようという意志などさらさらないことがわかる。

そして、この「提言」に学生部から“特権”が与えられることになるのだ。

 

2.「提言団体」の“特権”

提言を出した団体・個人(以下、「提言団体」とする)は全部で8つ。6月15日付の『早稲田ウィークリー』でこれらの提言は公表されたが、このうち「自治六団体」(4.の(1)で詳述)の提出した提言は「特定の個人名を挙げて誹謗・中傷を行なって」いたため掲載されなかった。単にありきたりのことを書いているものから早稲田祭の運営方法や財政など細かく書かれているものまで、その内容にはかなりの差があった。

6月15日以降、水面下で提言団体ごとに一本化に向けた交渉が行なわれたが、失敗する。

6月23日、提言団体の中の早稲田祭準備委員会・早稲田祭組・日本民主青年同盟
早大班・早稲田大学留学生会の4団体(その地位は同等であった)で第1回意見交換会が2号館2F(1Fには学生生活課がある)で開かれる。これが上記した“特権”である。つまり、提言を出さなかった団体には「意見交換会」に参加する資格が与えられなかったのだ(「自治6団体」は提言を出したが、参加は認められなかった)。この会議が「大学にお膳立てしてもらって」開かれたものであるのは言うまでもないが、なんと紙屋学生部長・坂上学生生活課長が「オブザーバー」という形で参加している(学生部の職員は提言団体が一本化されるまで「オブザーバー」として参加し続けた。しかも、会議の内容をテープ録音することで学生を威圧した。)また、一般の学生にはこの日そのような会議があることは全く知らされていなかった。

何という学生の自主性無視だろう。「早稲田祭をどうする!
早稲田祭がどうなる?
かは、ひとえに、早稲田の学生一人一人が自ら考える時期に至っています」などと『早稲田ウィークリー』号外に書いておいてこのようなことを平気でするのが今の大学当局の現状なのだ。

 

3.「提言4団体」

6月23日の「意見交換会」以降、この会議に参加した4団体(以下、「提言4団体」とする)を中心に早稲田祭に向けての動きが本格化する。ここでその4団体について説明しよう。

(1)早稲田祭準備委員会(以下、「準備委員会」)

文化団体連合会(以下、「文連」)加盟サークルを中心に6月23日時点で60サークル、最終的には100サークル程の署名を集める。提言4団体の中で最大勢力である。

代表者うちの一人は昨年度の「第44回早稲田祭実行委員会」委員であり、署名サークルの中には1997年度早稲田祭自主開催をスローガンに掲げたイベントである「ワセダ・フェスタ」(文連加盟サークルを中心に、主に学芸・芸術系サークルが参加したイベント。ワセダ・フェスタの趣旨に賛同してコンサートを開く予定であった忌野清志郎は当局の圧力に屈してこれを中止し、警官隊や公安警察が校外で待機する中、ワセダ・フェスタを強行しようとする学生とそれを阻止しようとする教職員双方にケガ人が出たり、マスコミが多数駆けつけるなどして話題になった。当局側はこのイベントを阻止するため東京地方裁判所に仮処分を申請し、「第44回早稲田祭実行委員会」委員長に対して「自らまたは第三者をして、10月30日から11月4日の期間、大学の土地上にステージ等の工作物を設置もしくは建設してはならない。また、設置もしくは建設した工作物を利用して、演奏会、講演会、発表会等の一切の集会を開いてはならない」という仮処分がなされた。しかしこの仮処分の文言をよくよく考えてみれば「工作物を設置もしくは建設」せずに「一切の集会」を開けば良いという解釈ができる。また、そもそもこれはあくまでも仮処分なのだということを忘れてはならない。98年2月6日の学部長会はワセダ・フェスタに「主導的に参加」したとされる文連常任委員会に対して、97年8月5日の臨時学部長会決定(1997年度早稲田祭中止決定)に「違反」したとして期限付きで「施設・設備の貸与・利用の便宜供与を中止」を決定した)に参加していたサークルがいくつかあった。また、当局が言うところの「革マル派」系のサークルも署名しているといわれている。このことがその是非は別として当局の一方的中止決定の理由に大きく関わってくるのだが、準備委員会の会議は提言4団体が一本化される(4.で詳述)まで逐次行なわれていたし、一般サークルが意見を言えないというようなこともなかった。その意味では民主的な団体であったといえる。また、提言の内容も組織図や運営方法など細かいところまで書かれていた。

 

(2)早稲田祭組(以下、「祭組」)

6月23日の時点で38サークル、最終的には50サークル程度から署名を集めている。準備委員会と違って署名サークルの名前は原則非公開のため、どのようなサークルが署名しているのかわからず、署名サークルについて様々な憶測がとんだ。署名の信憑性を確保するためにも公表すべきではなかっただろうか。

祭組の中心人物の1人は昨年度学外で行なわれた「VIVA!WASEDA」というイベント(あまり一般学生は参加しなかったらしい。当初『ぴあ』で「早稲田祭開催決定!」と報じられた。「革マル派」といわれている人間からの妨害を阻止するという名目で大学職員がいたり、更には公安警察までも来ていたという。)を企画した人物である。また他の中心人物やスタッフの中には当局が毎年5月に主催するイベントである「オールワセダ文化週間」を手伝っている学生がいる。このため、「当局派の団体ではないか」という噂が流れた。

祭組が準備委員会と同じように会議を逐次行なっていたかどうかは、署名サークルが非公開なことを見ても明らかなようにかなり閉鎖的な団体であったため、よく分からない。提言の中身は4団体の中で1番長く、従来の早稲田祭とはかなり違って企業スポンサーに好意的なようだった。

 

(3)日本民主青年同盟 早大班(以下、「民青」)

賛同サークルはなし。単独で提言を出している。サークルに対して署名の呼びかけは行なっていなかったものと思われる。その意味で準備委員会や祭組のような大衆性のある団体とは言えない。民青とは日本共産党(以下、共産党)を相談相手とする青年団体。形式上は共産党の下部組織ではない。

民青の提言内容は上の2団体と比べるとかなりお粗末なものである。『「革マル派」の早稲田祭私物化』<民青の提言より引用>を許さない(革マル派と民青は数十年前の学生運動の時代からセクトとして対立し続けている)ということぐらいしか書かれていない。具体的な提案は全くなかった。

 

(4)早稲田大学留学生会(以下、留学生会)

国際交流
虹の会・国際学生友好会が連名で提言を出したもの。提言4団体の中でもっとも影の薄い団体。賛同サークルはなし。

提言内容は民青と同じように具体的な提案が何らなされていない。おそらく、「提言」というものがそれほど大きな意味を持つとは思ってなかったのだろう。

 

このように提言4団体にはそれぞれかなりの差がある。しかし、提言を出した団体だけに意見交換会への参加資格を与えて密室会議を行なうこと自体がおかしな話だが、それを抜きに考えてみると、その会議の参加資格に提言の内容の質は考慮されないのだろうかという疑問が生じる。これでは出した者勝ちである。また、賛同サークルを得ているかどうか(またはその数の多さ)という視点からも同様のことが言える。

民青や留学生会のような、賛同サークルもなく誰にでも書けそうな提言を出した団体と準備委員会や祭組を同じ1団体として扱ってしまったり、この会議への新たな参加は断ってしまう学生部ひいては大学当局はやはり論理性というものが欠如しているといわざるを得ない。

 

4.新早稲田祭準備委員会発足

6月23日以後、提言4団体の動きを時系列で少し詳しく追ってみよう。

 

(1)第1回意見交換会(6/23 18:00~ 2号館2F)

提言4団体それぞれの早稲田祭像を提示し合う。準備委員会は1996年3月27日付の「早稲田祭に関する改善策」(以下、「改善策」)にのっとって大学からの補助金を軸にしての早稲田祭運営を主張。これに対し祭組は、企業・地域との「コラボレーション」を重視する立場から、補助金よりも広告収入に重きを置くことを主張した。その際祭組は「オブザーバー」参加の坂上課長に、「98年度大学予算の中に早稲田祭関係の予算は用意されているのか」と質問をし、課長から「予算は用意されていない」という発言を引き出して物議をかもした。また、これ以外の問題では、例えば準備委員会は各サークルの参加という開かれた場のもとで早稲田祭に関する議論を行なうべきだといい、祭組は提言団体のみの参加で議論を進めていくべきだとするなど、この2団体の意見の相違が特に目立った。早稲田祭は学生の自治の祭典であるのだから、準備委員会の主張していることの方が正当であるといえよう。

もともと早稲田祭の運営方針がない民青は具体的な案は提示せず、「革マル派」系学生といわれている人たちを運営組織から排除することしか主張しなかった。留学生の会は発言すらほとんどしていない。

なお、意見交換会が開催されているという事実が判明したのは「自治六団体」(「第44回早稲田祭実行委員会」・文連常任委員会・社会科学部自治会・商学部自治会・第一文学部自治会・第二文学部自治会の6つの団体を指す言葉。文連と社会科学部自治会は大学当局公認の団体。「革マル派」系であるといわれている。なお「自治六団体」という呼称はこの会議で使われているものであって、一般ではあまり使われていない)の撒いた「密室会議を許さない」という内容のビラによってである。上述したように「自治六団体」は提言団体として認められなかったため、この会に参加できていなかった。その他の団体や個人も参加を要求したが、提言を出していないという理由で参加を認められていない。

また、複数のミニコミサークルも共同で取材要請をしたが、提言団体の話し合いによって却下されている(取材許可に否定的であったのは祭組と民青である)。

 

(2)第2回意見交換会(6/26 12:00~ 2号館2F)

祭組は「改善策」の「前年規模の予算を前提とする」という点には問題があり、「縮小するべきところは縮小すべき」と一時主張したものの、「改善策」にのっとって例年並みの財政規模で行ない、当局には補助金を要求することで最終的に合意が成立。しかし実行委員の選出方法をめぐっては、準備委員会は早稲田祭参加団体を母体として民主的に選出するべきであると主張したが、祭組は提言団体が集まる形での実行委員会的な組織作りを主張して合意には至らなかった。そして、対立点を残したままであるが、これまでの経過を一般学生に報告する公開報告会を6月29日に行なうことが決定された。

しかし、留学生会は第2回以降意見交換会に欠席している。無責任すぎるのではないか。

なお、この日学生担当教員会議(以下、学担会議)がおこなわれている。

 

(3)公開報告会(6/29 18:00~ 10号館109教室)

準備委員会・祭組・民青の3団体(以下、「提言3団体」)の代表者が壇上にのぼり、準備委員会委員長が議長を務めるという形式で行なわれる。

前半は、「『改善策』を厳守し、特定団体による利権あさりや暴力支配を許さない、提言団体による話し合いは引き続く行なうということで合意が成立した」という趣旨の報告が議長からあった。

後半部は実行委員選出方法などの相違点について3団体がそれぞれ報告。主に祭組と民青が報告を行なうときにヤジや非難が集中した。質疑応答の時間では、「民青は政治団体なのでサークル主体の早稲田祭にはふさわしくないのではないか」・「祭組の6月23日の会議における発言と今日の報告で示した態度が違っている」といった趣旨の質問が主に出され、これに対し祭組は「(早稲田祭を)企業祭にはしない」と明言した。「第44回早稲田祭実行委員会」委員長も質問を行なった。また、祭組の代表者を個人攻撃するような質問は議長が慌てて停止するという一幕もあった。

このような状況の中で準備委員会の代表者の1人が「この場で決をとろう」と発言。もともと準備委員会はこの報告会を「公開報告・討論会」と位置づけ、意見交換会の全容を報告するパンフレットやこの会に参加を呼びかけるビラなどを熱心に配布していた(この点はかなり評価されるべきだろう)が、決議を採択するということでは一致していなかったらしく、他団体の代表者ばかりでなく準備委員会の他の代表者も動揺し、一時会場は混乱した。結局、決議を採択するようなことはなく、今後も提言団体で話し合いを進めていくことを最後に確認して報告会は閉会した。

確かに一般学生に対して「報告」はなされたが、建設的な議論が全くなく文字どおり「報告会」になってしまった。おそらく、準備委員会以外の2団体は本当に報告するつもりだけだったのだろう。意見交換会での諸々の発言を考慮に入れればそう思われても仕方がない。準備委員会は報告会の位置づけを他団体に対しても徹底させておく必要があったのではないだろうか。

なお、大学当局は報告会の開催中に参加学生の写真やビデオを撮るなどして学生を威圧した。この大学には肖像権というものが存在しないのだろうか。人権侵害も甚だしい。報告会終了後、学生生活課職員に対して写真やビデオの撮影の抗議を一般学生が行なったところ「これはメモリアルビデオだから」という完全に学生をなめきった発言をして話をはぐらかした(また、ビデオテープの貸し出しを求めたところ貸し出すと明言した。しかし、口約束のため客観的な証拠がなく、今の大学当局の水準からいっておそらく反故にされるだろう)。こんなことがまかり通ってしまうのが早稲田大学の現状なのだ。

 

(4)第4回意見交換会(7/1 18:10~ 2号館2F)

公開報告会の反省をした後、実行委員の選出方法について話し合いがもたれ、実行委員の選出は参加団体から行なうことで合意が成立。また、準備委員会から祭組との妥協案として今年度に限り準備委員会と祭組が「部局長」(早稲田祭の運営組織は準備委員会が出した提言を軸に基本的に合意がなされた。その組織案では7つの部があり、部局長よりも上のポストは実行委員長と副委員長があるが、これは後の会議で部局長が兼任してもよいということで合意が成立した。要するに、この案では部局長が実行委員会内の事実上の最高位となるわけである)を務めるという提案がされたがこれに民青が猛反発して議論が紛糾した。妥協案の是非は別として、準備委員会や祭組は少ない数ではあるが賛同サークルがあり、ある程度大衆性があるといえるが、大衆性のない団体が部局長ポストを握ることはどう考えても危険である。結局、この問題については結論を出すことができず、次の日に持ち越しとなった。

また、この日から各団体の賛同サークルの「オブザーバー」参加が認められたが、ほとんど準備委員会側のサークルしか参加していない。

 

(5)第5回意見交換会(7/2 17:30~ 2号館2F)

この日からミニコミサークルに「各サークル1名、発言権なし」という条件付きで取材が許可される。また、早稲田祭開催までの動きを映画に撮っている学生にも撮影が許可されたが、複数の人間が顔を取られることを拒否した。

懸案であった部局長ポストの配分について、7つのポストのうち準備委員会が3・祭組が3・公募(実行委員による互選)が1という案に祭組の説得によって民青が同意。その妥協案として実行委員会の不正を監視する監査委員会は各提言団体から2名ずつ選出されることとなった。またいわゆる「革マル派」系の学生をどのようにして実行委員から除外するかという問題(この問題については後で詳述)では「自治六団体」の正副委員長を実行委員選出から除外することも合意し、基本事項について完全な合意がなされ、提言団体が一本化された。新しい団体名は「新早稲田祭準備委員会」。(以下、「(新)準備委員会」。また、(新)準備委員会と区別するため、これ以後は早稲田祭準備委員会を「(旧)準備委員会」と表記する)

これで早稲田祭が開催できる--あの時その場にいた学生全てがそう思ったことだろう。基本合意がなされるやいなや、7月3日に行なわれる学部長会(早稲田祭の開催決定権を持つ)に対し、提言4団体の連名で合意文書を提出することや7月6日に(新)準備委員会を正式に結成げすることなど早稲田祭に向けての具体的なスケジュールが話し合われ、実現に向けての動きが一気に本格化した。(なお、これで形式的には(新)準備委員会として各団体は統一されたわけであるが、(新)準備委員会結成後も派閥として事実上存在することになる)

しかし、会議の冒頭にあった紙屋学生部長の発言がその後の流れを暗示していた。紙屋学生部長は同日行なわれた教職委員側の早稲田祭委員会で「『自治六団体』のビラで(旧)準備委員会が批判されてないことや6月29日の報告会で祭組や民青ばかりにヤジや批判が集中していたこと、(旧)準備委員会が6月29日の公開報告会を『公開報告・討論会』としたこと、公開報告会の事前の折衝(6・29
12:00~
2号館2F)で『第44回早稲田祭実行委員会』を壇上にのせることを(旧)準備委員会の代表者の1人が要請したこと、報告会の中で(旧)準備委員会の代表者の1人が『ここで決を採ろう』と発言したこと、報告会の中で『革マル的手法』(この言葉は後に当局または(旧)準備委員会以外の提言団体が多用する言葉である)を持ち込んだることを考えると(旧)準備委員会は『革マル派』に操られているという疑念が生じた」という趣旨の発言をした。この発言に対し、(旧)準備委員会や「オブザーバー」参加のサークルが反発し、祭組や民青もある程度発言を非難した。

この発言も踏まえて「『自治六団体』及び大学当局からの非難・攻撃に対しては(新)準備委員会として共同して立ち向かう」ことで合意が成立した。この合意が実践されたならば早稲田祭は中止にならなかったかもしれない。

 

会議終了後、紙屋学生部長に「オブザーバー」参加の一般サークルが「紙屋発言は後々大きな意味を持つことになるのではないか」と危惧し、抗議しようとしたところ、祭組の代表者の1人が「7月3日の学部長会に提出する合意文書で抗議するからここでは抗議しないでほしい」と、抗議をとめてしまった。しかし合意文書での「抗議」内容は、「提言団体は旧来の対立から抜け出した新生早稲田祭の実現を目指す団体であることを理解していただけたいと思います。そのことを合意事項によって、学生側も確認している以上、大学、学生双方が、更なる信頼関係を築いていけるよう努力していければと考えます」(合意文書より引用)という、およそ抗議とは呼べないものだった。このような弱腰な対応がのちのち禍根を残すことになるのだ。

 

5.定例学部長会の対応

7月3日の定例学部長会に前日まとまった合意文書が提言4団体連名で提出された。合意文書の主な内容は上述したような基本事項と具体的な組織図などが記されていた。

提言4団体(より正確に言えば留学生会は途中から会議を欠席したため3団体)はこの日の学部長会までに提言をまとめようと必死になって話し合いを重ねてきた。時期的にいってこの学部長会で早稲田祭の開催決定がなされると考えたからである。しかし、「今後を見守りたい」として、学部長会は結論を先延ばしてしまう。思えば、早稲田祭をやりたいという学生の気持ちを全く考えない彼らの態度はこのときからはっきりしていた。

 

6.参加予定団体総会に向けて

7月11日に初めての早稲田祭参加予定団体総会が行なわれることが決まり、大急ぎで作業が進む。11日までの会議では実行委員会規約の作成に関すること以外では早稲田祭の中身を左右するような話し合いはあまり行なわれていないので、簡単にまとめることにする。

 

(1)第1回(新)準備委員会会議(7/6 10:00~
第2学生会館701号室)

今後のスケジュールの確認などを行なう。ちなみに、この会議から2号館は使わなくなり、第2学生会館(以下、「2学」)を使うようになる。「オブザーバー」として参加していた紙屋部長と坂上課長らも出席しなくなった。その出発から「大学にお膳立てしてもらって」できたものであったにせよ、この日からやっと学生だけの会議がもてるようになったのである。早稲田祭の開催に熱心な一部の学生も個人としてこの会議に加わり始めた(以下、このような人々を「個人有志」とする)。しかし、依然として一般学生には(新)準備委員会の会合がいつ・どこで・どのように開かれているかということはほとんど告知されなかった。学生主体ではあっても、一部の特権的な学生達だけの密室会議ではあまり意味がない。

 

(2)第2回(新)準備委員会会議(7/713:30~
2学603号室)

実行委員の選出開始の確認や、参加予定団体総会に向けての宣伝体制の強化、早稲田祭実行委員会規約作成委員会(以下、「規約作成委員会」)のメンバー決定などが行なわれる。

 

(3)第3回(新)準備委員会会議(7/9 15:00~
2学703号室)

参加予定団体総会の仕事の割り振りや当日のレポート作成者の決定などが行なわれる。また、この日第1回目の規約作成委員会が17:30から同じ場所で開かれた。

なお、早稲田祭実行委員会の部屋である2学の703号室を(新)準備委員会に引き渡すよう「第44回早稲田祭実行委員会」に要求し、この日から使用することができるようになった。

 

(4)第4回(新)準備委員会会議(7・10 13:00~
2学703号室)

総会のレポートの検討や宣伝体制の確認など次の日の参加予定団体総会に向けて最終的な打ち合わせをする。第2回規約作成委員会も行なわれた。

また、この日当局側では理事会と学坦会議が開かれている。

11日の総会に向けてほとんど毎日会議を行ない、何とか開催できるところまでこぎつけたのである。
そのような学生の努力を無視して、当局は信じられない告示を出す。

 

7.「7/11 緊急告示」

参加予定団体総会の開かれる7月11日に当局は次のような「緊急告示」を出した。

学生諸君へ

早稲田祭に関する緊急告示

 

大学は、これまで、新生早稲田祭に向けての提言をを寄せた団体による話し合いを見守ってきた。この間、提言4団体(早稲田祭準備委員会、日本民青同盟早大班、早大留学生会、早稲田祭組)は、5回の意見交換会を行った。

学生部長は意見交換会に先立ち、新生早稲田祭は、1997年8月1日の臨時学部長会決定および1998年2月6日の学部長会決定、すなわち「革マル派に操られた学生達が早稲田祭を実施・運営することは認められない。」という趣旨が、厳正に履行されることが大前提である旨を言明した。

提言4団体は、7月3日、合意が成立した徒渉する文章を発表したが、これは、昨年10月31日・11月1日の「ワセダ・フェスタ」なる違法なイベントに参加したサークルが主導する早稲田祭準備委員会の言動を安易に許容し、妥協したものと判断せざるを得ない。また、「新早稲田祭準備委員会」は未だ何ら正規の信任を得ていないにもかかわらず、実行委員選出の挙に出ている。これは、正当な手続きを欠くものである。

したがって、「新早稲田祭準備委員会」は、上述の学部長会決定に則った真に新生早稲田祭の実現に責任を負える団体とは認められない。大学はいささかなりといえども学部長会決定に背く行為は認められない。学生諸君はこのことをよく理解し、安易な妥協をせず行動してほしい。

 

以上

1998年7月11日

早稲田大学

 

(新)準備委員会のメンバーにとってはまさに寝耳に水の告示であった。

緊急告示を受けての(新)準備委員会の動きを時系列で追うことにする。

 

(1)第5回(新)準備委員会会議(12:00~
2学703号室)

緊急告示を受けてどう対応するか意見がかわされる。その中で、予定していた総会の内容は大幅に変更され「緊急説明会」となり、事実経過の報告と緊急告示への対応について参加者から意見を聞くのみとなった。(旧)準備委員会の一部や個人有志などから「緊急告示に対して断固抗議するべきだ」という至極当たり前の意見も出されたが、「抗議すること自体が『革マル的』だ」という意見(このような発言を民青、特に祭組が繰り返す。この「革マル的」という言葉が今の早稲田大学の異常といえる現状を端的に表しているのだが、そのことについては10.(1)で詳述する)が特に祭組から出て議論が紛糾した。結局この会議で結論は出ず、参加予定団体総会終了後もう1回話し合うことにした。このため、緊急告示について「緊急説明会」で(新)準備委員会が配布する文書は次のようなものとなってしまった。

 

7月11日の早稲田祭に関する緊急告示について

早稲田大学名の早稲田祭に関する緊急告示について大きな誤解があることを私たち提言団体(早稲田祭準備委員会、日本民主青年同盟早大班、早大留学生会、早稲田祭組)は主張したいと思います。

私たち提言団体は、「サークル主体の早稲田祭を実現したい」(準備委員会)とか「地域に開かれた早稲田祭を実現したい」(早稲田祭組)とか「暴力支配や利権あさりのない早稲田祭を実現したい」(民主青年同盟)とか「明朗会計を保障する早稲田祭にしたい」(留学生会)という理念を現実のものとするために、話し合いを続けてきました。そして学部長会決定を考慮しながら、「革マル派に操られた学生達が早稲田祭を実施・運営することは認められない」ためのシステムをどう作るか現在規約作成委員会で話し合っています。また昨年中止の原因となった「改善策」違反を繰り返さないためにどうするか話し合いを続けてきました。

私たちは今までの早稲田祭の負の部分を清算するために話し合いを続けてきているのです。その話し合いを通じて新生早稲田祭にふさわしい合意を作ることができたのではないかと考えていました。それは96年に合意された「改善策」合意を遵守し、また早稲田祭発展のため支出項目の無駄を減らし、明朗会計を行なうというものや、サークル中心の早稲田祭を実現するためそれにふさわしい形で実行委員の選出を進めていったり、実行委員を監査する監査委員を新たに設けたりするものというものです。

しかし残念ながら告示では「提言4団体」が「早稲田祭委員会の言動を安易に許容し、妥協した」と書かれていますが、これは上に述べた事実経緯を誤って認識していると提言4団体は思います。

私たちは早稲田祭の新生を目指して、勇気ある提言を行いその実現のために話し合いを行っているのです。そのために大学側の誤った認識を変えてもらうように努力したいと思います。ぜひ集まったサークルの皆さんのご支持をお願いします。

 

(2)「緊急説明会」(18:00~ 大隈小講堂)

この会には、多くのサークル・個人からの参加があったが、(新)準備委員会の会議の閉鎖性や(新)準備委員会に一本化されるまでの動きや現時点での状況についてのこれまでの説明不足が理由で、緊急告示のことを報告してもよく理解できていない人が多かった。

今回の告示に対してどう対応するべきか参加団体に意見を求めたところ、建設的な意見も多く出されたが、具体的な方針は出された意見を持ち帰って決定することにしたため、またしてもただの「説明会」に終わってしまう。いきなりの緊急告示に動揺してしまったのはわかるが、それにしてもだらしのない対応である。これでは署名サークルに見放されてしまうのも、時間の問題であったかもしれない。

しかし、会の終わりのほうで一般サークルから「せっかく合意が成立したのだから提言4団体は絶対に統一を維持して行動してほしい」という発言があったとき会場から拍手が送られたことは、いかに(新)準備委員会への期待が大きいかということを物語っていたといえよう。

 

(3)第6回(新)準備委員会(20:00~2学703教室)

「緊急報告会」で出された意見や(新)準備委員会のメンバーが持っている意見を各自が持ち帰って考えをまとめ、14日の会議で今後の対応を決めることを確認して閉会。また、14日に坂上課長へ告示の真意を聞きに代表者が行くこと(「大勢で聞きに行くと『革マル的』だから」という意見が特に祭組から出され、少数で穏便に聞きに行くということになってしまった)も決定された。

この日の時点で明確に抗議の意志を示すことができなかったことが、今年度の一方的な中止決定がなされてしまったことと大きく関係している。特に、「緊急説明会」ではなく「参加予定団体総会」という会をもった上で緊急告示に対する抗議文書を採択し、抗議行動をすれば当局の横暴を止められたかもしれない。

なお、7月11日付告示の出所であるが、7月10日に理事会が開かれていることを考えるとおそらく理事会だろう。一般にこの種の告示が出せるのは早稲田大学においては理事会だけであるし、学生生活課職員も「(出所は)たぶん、理事会だろう」と発言している。理事会が出した告示だとすれば、これは早稲田大学の組織上かなり問題のある告示である。理事会は学部長会よりも下位機関なのだ。また、上述したように早稲田祭の開催決定権は学部長会にあるのであって理事会にはない。決定権のない機関が勝手に告示を出したばかりか、上位機関の決定(結論先延ばし)を下位機関が覆したのである。この件について坂上課長は「理事会の決定は学生担当教員会議の発議の結果。学担会議は、各学部の教員が出席するものであり、学部長会議のネゴシエーション組織である。更に、学生部も出席しているものなので、学部長会議と匹敵しうる」と述べている。こんな規則の改竄といっても過言ではない解釈を認めていたらおよそ組織というものは成り立たない。しかし、今の早稲田大学ではそれが許されてしまうのだ。

 

8.「7/17 臨時学部長会決定」

7月14日・17日の(新)準備委員会では今後の方針が決められるはずであった。しかし、坂上課長へ告示の真意を聞きに行った学生から、課長からは具体的な回答が引き出せなかった(6月29日の公開報告会の様子から考えると7月2日に合意したというのは「合意」ではなく「妥協」ではないかという意見が理事会や学担会議で噴出し、学生部はそれに有効な反論は出来なかったという趣旨の回答を坂上課長は行なっている)ことを知ると、主に祭組のメンバーが意気消沈してしまい、会議など成り立たない雰囲気となってしまう。(旧)準備委員会は提言4団体の枠を維持して何としても今年の開催に向けて努力するという考えであったが、断固抗議をするべきだという当然な意見を口にする人はほとんどいなくなってしまった。祭組は「(抗議などの行動をしたら)大学に『革マル』だと思われて来年度以降も早稲田祭が開催できなくなってしまう」とし、今年度の開催はあきらめ何も行動せず、来年度に向けて後進を育てるという余りにも無責任なことを言い出す。署名したサークルの多くは今年度の開催を望んでいるのである。民青は(旧)準備委員会代表者の1人(公開報告会の時「決をとろう」と発言した人物。昨年度「第44回早稲田祭実行委員会」委員)に問題があるとし、その人物に「考え直して欲しい」と辞任を示唆した。3団体とも大学当局の不当な認識に対して抗議し、早稲田祭開催を要求するという学生にとって当たり前の行動が取れないばかりか、民青や祭組に至っては合意文書に署名したのにもかかわらず他団体や個人を非難するようなことを言い始め、(新)準備委員会として統一した行動を組むことは難しくなる。この両日で決まったことといえば早稲田祭の開催に向けて、各自が各自の責任において行動すること(要するに(新)準備委員会としての行動はしないということ)、提言4団体の話し合いは維持するということのみであった。

そして7月17日の学部長会で一方的に早稲田祭の中止が決まる。

 

学生の皆さんへ

1998年度早稲田祭について

 

1997年度の早稲田祭は、前年度第43回早稲田祭実行委員会による早稲田大学新聞会への「広告収入横流し」という不正な会計処理の疑惑が晴れず、8月1日の臨時学部長会で中止が決定されました。その後大学は、革マル派に操られた学生たちの介入を許さない形で、新生早稲田祭が学生間の自主的な話し合いによって実現されることを期待し、その動向を見守ってきました。

新生早稲田祭に向けての提言を寄せた4団体(早稲田祭準備委員会、日本民青同盟早大班、早大留学生会、早稲田祭組)は、5回の意見交換会を経て7月3日、合意が成立したと称する文書を発表しました。しかしそれは、7月11日付の「早稲田祭に関する緊急告示」で述べたように、昨年、革マル派に操られた学生たちが主催した、10月31日・11月1日の「ワセダ・フェスタ」なる違法なイベントに参加したサークルが主導する早稲田祭準備委員会の言動を安易に許容し、妥協したものと判断せざるを得えないものでした。

さらに、提言4団体が新たに結成した「新早稲田祭準備委員会」は、未だ学生の間ですら何等正規の信任を得ていないにもかかわらず、実行委員選出の挙に出ました。これは正当な手続きを欠くばかりでなく、大学に対し早稲田祭の開催決定を強要するために既成事実化を謀ったものと思われます。このことからも「新早稲田祭準備委員会」は、新生早稲田祭の実現に責任を負える団体とは認められません。

上述のように、今日なお、昨年の臨時学部長会決定および本年2月6日の学部長会決定の趣旨、すなわち「革マル派に操られた学生たちが早稲田祭を実施・運営することは認めない」に則った運営組織が形成されるに至っていません。

 

以上の状況を踏まえ、7月17日開催の臨時学部長会において慎重に審議した結果、「本年度の早稲田祭は開催しないこととし、通常どおり授業を行う。」ことが決定されました。

なお、「理工展・専門展」は、すでにお知らせしてあるように、予定どおり11月1日~3日に実施されます。

以 上

1998年7月17日

早 稲 田 大 学

 

9.7/11・7/17付告示の批判

しかし考えてみていただきたい。いかにこれらの告示が目茶苦茶なものであるか分かるだろう。まず、そもそも『早稲田ウィークリー』で提言を募集したのは大学当局なのである。自ら「お膳立てして」新早稲田祭準備委員会を結成させた以上責任の一端は当局にもあるのだ。それを全くあやふやにしておいてこのような告示を恥も外聞もなく平気で出す大学はまさに異常というほかない。

更に告示内容自体がかなり問題である。このような告示が許されるのであれば、当局側の言う「革マル派」「革マル派に操られた学生達」「革マル的手法」が非常に恣意的(今回のような、「革マル派」と対立している民青が加わっている組織であっても潰されてしまった)な概念である以上、早稲田祭を運営していこうという人たちが新しく現れたとしても、大学が気に入らなければその人たちを「革マル派に操られた学生達」として、「新生早稲田祭の実現に責任を負える団体とは認められ」ないとしてしまうことができるようになってしまう。「思想信条の自由」は日本国憲法において保証されている。まして、「学問の自由」を絶対とする大学において思想弾圧にも似た行為が許されるはずがない。

「学の独立」など、この大学には存在しないのだろうか。

 

10.「7.17学部長会決定」後の(新)準備委員会

(1)夏休み前

中止決定後の(新)準備委員会は非公式なものはあるが公式な会議は1度も行なっていない。非公式な会議は夏休み前まで成立していた。その中で民青に名指しで辞任を示唆された(旧)準備委員会の代表者が今後は一切早稲田祭関係に関わらないと辞意を表明。祭組は14・17日にあったような問題発言がエスカレートし、代表者の1人は「(旧)準備委員会のメンバーなどの中には『革マル菌』に冒されている人がいる。彼らに自覚症状はないが、『革マル的』な考え方や行動をしてしまい問題である」という信じられない発言をする。そればかりか「『革マル菌』に冒されている人」を名指しまでしたのだ。そのなかには(新)準備委員会結成後会議に参加した個人有志など全く関係のない人間まで含まれていた。名指しされた一部の人間は猛反発し、発言の撤回を求める。彼は一応謝罪した(が、その後すぐに「俺は早稲田祭のためなら人を殺せる」・「早稲田祭のためなら自分の血を流す」とも発言する。しかし今現在に至るまで彼が「早稲田祭のため」に「人を殺」したり[これは犯罪である。そんな事をしてまでして早稲田祭はやりたくない]、「血を流」したということなど聞いたこともない。彼は7月2日の合意が成立した時にも「これで早稲田祭ができなかったらストをやる」と発言していたが結局実行しなかった。また、「『自治六団体』及び大学当局からの非難・攻撃に対しては(新)準備委員会として共同して立ち向かう」という合意事項すら実践していない。祭組という団体を旗揚げして早稲田祭を担おうとした以上、最後まで自分の言葉に責任を負うべきではないだろうか。今からでも遅くはない)。それにしても「革マル的」とか「革マル菌」などという言葉をまさしく「安易に」使ってその行動を学生自ら規制してしまっているのは問題である。抗議が「革マル的」だということであれば『週刊現代』の「早稲田は3流大学になってしまったのか?」という記事内容に抗議した早稲田大学も「革マル的」ということになってしまう。抗議すること自体は当たり前のことなのだ。抗議などはほんの一例に過ぎないが、「革マル的」などというムードやイメージだけの具体性のない非論理的な言葉に囚われて、正当な学生生活が送れなくなってしまうとは、何と悲しいことだろうか。

 

(2)夏休み明け

夏休みが明け、非公式な会議も行なわれなくなり(新)準備委員会が事実上崩壊しているなか、(旧)準備委員会は9月29日に単独で(旧)準備委員会の解散を事務局で決定してしまう。提言4団体で合意してできた(新)準備委員会が解散していないのに(旧)準備委員会が先に解散してしまうのは順序が逆なのではないか。(新)準備委員会に関して責任逃れをしたといわれても仕方のない無責任ぶりである。

民青は夏休み明け「革マル派の『もぐり込み策動』が、早稲田祭を中止に追いやった」とするビラを撒く。その中で前述の(旧)準備委員会の代表者を一部で実名を挙げて批判している。結局彼らは「革マル派」を追い出すことができれば何でも良かったのだ。本当に早稲田祭の開催を願っていたのかどうかも疑わしい。具体的な提案を何一つしなかった理由もそこにあるのだろう。とにかく、民青に都合の良いことばかりしか書かれたきわめて独善的な内容のビラであった。

さらに、民生は「来年度早稲田祭の提言募集」を目的とした立看を学内に出したが、噴飯ものである。

祭組が単独で何か活動しているかどうかは現段階では分からない。もともとサークルの連合団体というよりは友人関係で成り立っている団体であったといわれており、おそらく団体として行動する必要はないのだろう。今回の早稲田祭中止までの動きを周囲にどう説明しているのか気がかりである。

 

(3)新準備委員会委員会への批判

1998年10月30日の時点で(新)準備委員会は未だ正式に解散していない。一体何を考えているのだろう。賛同サークルや「緊急説明会」に集まったサークル・個人に対して、さらには一般の早大生に対しても自らを総括する場として解散会のようなものを開くべきではないだろうか。また、「『自治六団体』及び大学当局からの非難・攻撃に対しては(新)準備委員会として共同して立ち向かう」という合意事項(9月の段階でも民青はこの合意事項が存在したことを認めている。また夏休み前に祭組の代表者の1人もこれを認めている)に基づいて当局に対して抗議を行なうべきであることは言うまでもない。これができなければ「真に新生早稲田祭の実現に責任を負える団体とは認められない」という判断を一般学生からもなされるだろう。それにあの告示に対して抗議しないということは「革マル派に操られた学生たち」であると自ら認めたことになってしまう。それが不本意であるならば抗議しなければならないのは当然である。

今後早稲田祭が開催されるかどうかはこれからの(新)準備委員会の行動にかかっているのだ。そのことを自覚して責任を全うして欲しい。

 

終わりに

書き終えてみてやはり思ったのだが、大学当局側も提言団体も無責任なところは共通している。しかし、一般の学生もまた責められるべきなのかもしれない。早稲田祭は開かれるものではなく学生が自ら開くものなのだ。当局が一方的に中止決定を下しても学生の意識が高ければ、自主的に早稲田祭を開くことだって可能なはずである。

一体、早稲田祭とは何なのか。

「革マル的」などという言葉に惑わされることなく、早稲田祭について私たちひとりひとりが真剣に考える時が来ている。

1998.12.15

早大当局による早稲田祭の一方的中止決定に反対する早大生有志


補足
90年代後半の早大再編について、以下を参照ください。

巨大情報システムを考える会編『学問が情報と呼ばれる日:インターネットで大学が変わる!』より、「早大再編の現状」(社会評論社,1996)