『いじめの光景』

保坂展人『いじめの光景』(集英社文庫 1994)を読む。
十数年前にマスコミを賑わせた東京中野の富士見中学2年生だった鹿川裕史君のいじめ自殺事件のルポや彼が主催していたいじめ電話相談室「トーキング・キッズ」にかかってきたいじめの被害者および加害者の声を採録したものだ。「子どもの権利条約」の日本政府の批准に保坂氏が一役買っていたことを初めて知った。
保坂氏は昨年7月31日の早大地下団体連帯集会でアピールを行ってもらった(詳しくはわせだじゃあなるのぺーじにて)。 写真のイメージよりも大柄で3号館地下をさっそうと歩き回っていた姿が印象的であった。社民党の現状を考えるに、保坂氏の次回の当選はかなり厳しいであろうが、持ち前の行動力を今後も発揮してほしいものである。それにしても私が選挙で投票する党は次から次へと消えていく運命なのか。私がこれまで投票してきた政党のすべてー社会党、憲法・緑・農の連帯、新党・護憲リベラル、平和・市民、新党護憲あかつき、新社会党(まだ潰れていないが)ーに続き、社民党までがピンチである。市民概念が崩れたところで、市民との絆や連携を訴えたところで効果は薄いのであろうが、環境、教育、労働現場での素朴な意見を実体化させていく回路は必要だろう。

先程大学入試のつまらないヨーロッパと日本の自然観比較の評論文の問題を解きながらふと考えたことがある。それはヨーロッパでの「緑の党」のことである。社会民主主義政党とエコロジー運動団体はヨーロッパでは比較的容易に連帯しているが、日本では民主党にしても社民、共産党にしてもうまく連帯しているという話は今ひとつ聞かない。
ヨーロッパでは「独占資本による開発の結果の自然破壊 VS 民主主義の発展による自然保護」という枠組みが見えやすい。しかし日本においては、「自由な民主主義の発展による自然開発 VS 「うさぎ恋し、かの山」といった懐旧趣味的故郷意識による自然保護」という意識が日本人の心理に深くはびこっているのではないか。ゆえに実体はともかく、保守的な思想の中に自然を大切にする意識が芽生え、革新的な思想の中からは形而上的な自然保護意識しか生まれないのだろうか。
ここしばらく疲れているので、これ以上書き進めることができない……。もう寝よう。

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