『蓮如』

五木寛之『蓮如』(岩波新書 1994)を読む。
多分に小説的なタッチで蓮如を描いているが、その分実直な親鸞との対比が見えてきて楽しく読めた。この手の本にありがちな「ある個人を歴史を動かす巨大な司祭のように見なす」ことを作者はきっぱりと否定している。ものの本には蓮如の活躍のおかげで加賀の一向一揆が誕生したと書かれており、偉大な宗教家ひいては歴史上のヒーローを想像しがちである。しかしある一個人が歴史をつくったという思想はファシズム的な発想につながり危険であることは言うまでもない。五木氏も次のように述べる。

蓮如が北陸の地に渦巻く雑民のエネルギーに翻弄されたのだとは考えられないでしょうか。そこではスーパーマンのように見える蓮如も、一個のシンボルにすぎません。北陸の地底からまさに噴火しようとしていた地下のエネルギーが、近江から蓮如を招きよせ、そして蓮如を核として巨大な増殖がおこなわれ、疲労しつくした蓮如を破れた旗のように再び投げ返した、こういう想像は大胆すぎるでしょうか。
私にはどうしても一個人の力が一方的に歴史を創り出すとは思えないです。蓮如の権謀術策の実力を、私たちはあまりにも過大評価しすぎているのではないか。蓮如もまた時代の登場人物のひとりにすぎないのですから。

この本を読みながら浄土真宗の歴史的位置付けについて考えた。浄土真宗は別名「一向宗」とも呼ばれ、身分体制の序列を固定化する封建体制を覆す「過激」な思想である。しかしこの宗教は日本の思想史においてどのように位置づけられるのだろうか。適当な参考書を探してみようと思う。

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