日別アーカイブ: 1997年1月3日

1997正月手紙

新年あけましておめでとうございます

大変多忙?なため、ワープロのままで失礼します。
お元気でしょうか。ご無沙汰しています。前に自由ヶ丘であったのは何時だったでしょうか。思い出せません。

中山君も来年は暇になると云うことですが、学校は卒業するのでしょうか。私はといえば、卒業見込みも怪しいのに、今年就職活動でもしてみようかなとか、教育実習どうしようとか様々考えています。

今日は2日で、いまテレビを見ながらこの手紙を打っています。「筋肉バトル」という番組なのですが、「読売ジャイアンツ」の清原が出ていて「あ~そういえば、そうか」といった時代の流れを感じでています。

さて中山君は96-97の年越しの除夜の鐘はどこで聞いたのでしょうか。彼女と楽しく聞いたのでしょうか。
私は今冬は年末から年始にかけて渋谷駅周辺の野宿労働者(「ホームレス」と呼ばれている人々)とともに過ごしています。

31日の大晦日には宮下公園で、火を焚いて雑煮の炊き出しや餅つき、代々木公園のパトロールなどを行ない「先輩」達と交流を深めました。97年のカウントダウンは宮下公園で布を張って、プロジェクターでNHKを見ながら野宿労働者と一緒に乾杯をしました。
幸いなことに当日は暖かく過ごしやすかったのですが、今年は暖冬とはいえ28日にもハチ公前で一人亡くなっており、緊張は抜けなかったです。

昨年の新宿の西口4号街路の追い出し(テレビでもご覧になったでしょうか)に続いて、渋谷でもガード下からの締め出しが厳しくなってきています。新宿ではタカシマヤ進出に伴い、新宿区、京王電鉄によってダンボールハウスが次々と撤去されましたが、それとまったく同次元で、渋谷でも東急の駅ビルのオープンが近いためか、「環境浄化」を名目として、「駅をきれいにする」ために弱者である野宿労働者の生活にしわ寄せが来ています。「権力=資本」の力によって、デパートの売り上げが伸びていく一方で、野宿労働者のゆっくりと寝る場所すらも切り捨てられてきています。

私なども駅の地下道を歩いていて、最初は野宿労働者や外国人労働者に対して同情なり、時には嫌悪感などを感じていたのですが、そのうちに日常の光景として見慣れていくにつれて、視野に入らなくなり、その存在すらも忘れてしまってきています。見過ごしてしまう野宿労働者なのですが、使い捨ての「いのち」が実際の私たちの回りにあると云うことを中山君を含めいろんな人に分かってほしいです。

私も高校の時は「大学に入ったら駅の地下道でダンボールにくるまりながら『資本論』を読む」と云うのが夢でした。残念なことに『資本論』は無理でしたが、同じマル・エンの『ドイツ・イデオロギー』になってしまいましたが実現することが出来ました。来年は山谷で軒下で寝転がりながら『カール・リークプネヒトとローザルクセンブルクの書簡集』でも読んでみたいと思っています。

テレビ見ながら打ったのでまとまりのない文章失礼しました。
では。近いうちにでも会いましょう。

P.S.
「ホームレス」Pbに関しては、詳しくはinternet上のHPでもご覧ください。

渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会(いのけん)
WWW:http://www.ifnet.or.jp/~inoken/

 

中野重治
「雨の降る品川駅」

辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母の国にかえる

君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思いだす
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる

雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる

君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら 女の李

行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰かれていた水をしてほとばしらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで