学習・学び」カテゴリーアーカイブ

会議と講演会

日教組本部主催の会議と講演会に参加した。
公教育を巡る動きについて理解できた。
講演会は泉南市での子どもの人権教育の実践報告であった。
講演をよりも泉南市の方が気になって調べてみた。泉南市には天理教から分かれた「ほんみち」という宗教の本部があり、高校進学率が極めて低いというデータが気になった。

磐梯山 ジオパーク

少し時間があったので、ふらっと会津若松まで車で出かけた。


高速道路も味気なかったので、栃木県・今市から国道で尾瀬高原を越えて会津若松へ向かった。
車に乗ってばかりだったので、鶴ヶ城(若松城)の周囲を自転車で走ってみた。1868年の戊辰戦争では、官軍側が包囲する中で、幕府側の会津勢が立て籠もった城である。一部は復元されているが、ほとんどは1611年の震度6強とも7とも推定される大地震によって崩壊している。城壁はその地震の被害も乗り越えたのであろうか、立派なものであった。


鶴ヶ城に隣接された福島県立博物館に立ち寄った。同県猪苗代町出身の野口英世が1000円札の顔から退役したので、その感謝状が展示されていた。


その後、磐梯山の麓にある磐梯山噴火記念館に赴いた。山体崩壊を招くほどの1888(明治21)年の噴火の様子が詳細に展示されていた。

時間がなかったので、猪苗代湖の近くまで行って、家に直行した。猪苗代湖から眺めた磐梯山であるがスキー場で中腹部の森林は伐採され、景観としてはいまいちであった。

見物海岸を見物

千葉県館山市の見物海岸を訪れた。海岸段丘が2段になっているが、上段は1703年の元禄地震で離水した面、下段は1923年の大正関東地震で離水した面である。地震の被害の一端であるが、大地震で地面が隆起した姿を見るに、そのエネルギーの大きさに驚かされる。

鋸山の凝灰岩〜養老川の川廻し

房総半島の地形に関して、凝灰岩や川廻しを実際に見てみようと思い出かけた。


川崎のうみほたる経由で鋸南町まで走った。鋸山の駐車場に行く狭い道で脱輪した。後方確認が不十分なままで、バックしたのが原因である。ロードサービスをお願いし、引き上げてもらった。しかし、他の作業が立て込んでいたようで、作業終了まで3時間半近く外で待つことになった。

鋸山ロープウェーで山頂まで上がった。房州石(凝灰岩)の実際の肌触りや色合いを確かめることができた。1980年には切り出しは終了したとのこと。写真にもあるが早稲田大学の11号館の裏あたり(?)にも設置されていた。ただし、車のトラブルで時間がなくなったので、石仏や有名な地獄覗きも見ることはできなかった。


千葉県は東日本一の早場米の産地である。「ふさおとめ」や「ふさこがね」といった地元のブランド米も有名である。たわわに実っていたので、「令和の米騒動」も無事に終了する見込みである。


最後に養老川の川廻し新田を確認しにいった。車で走っているとなかなか分かりにくかったが、馬立駅(『更級日記』で菅原孝標女が門出で立ち寄った場所とも言われている)付近の川廻しは用水路としてはっきりと残っており分かりやすかった。