読書」カテゴリーアーカイブ

『間宮林蔵』

赤羽榮一『間宮林蔵:北方地理学の建設者』(清水書院,1974)をパラパラと読む。
間宮林蔵といっても「間宮海峡」の名前しか思いつかないが、茨城県の小貝川のほとりに生まれ、伊能忠敬との出会いやロシア兵との戦いなど色々と知ることができた。著者によると、シーボルト事件で有名なシーボルトは鳴滝塾などを作るなど名医という印象が強いが、手術の際に手が震えるなど、医師としてはアマチュアであったらしい。

『ゲノムハザード』

第15回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作、司城志朗『ゲノムハザード』(小学館文庫,2011)を読む。
1998年に刊行された単行本の文庫化である。
風邪でベッドでダウンしていたので、久しぶりにミステリー小説を最後までゆっくりと読んだ。
ダニエルキースの『アルジャーノンに花束を』を彷彿とさせる内容で、一人称である「私」の主体が変わっていく恐怖をモチーフとしている。一冊をじっくりと読み終えた満足感が大きかった。

『大学教授になる方法』

鷲田小彌太『大学教授になる方法』(青弓社,1991)を読む。
タイトルの通り、大学教授になるためのハウつー本である。著者が勤務する札幌大学の教員採用選考の過程まで具に公開し、かつては象牙の塔と思われていた大学の世界を顕にする。著者は最後に次のように述べる。

私は、大学は、未だ、エリート養成の大学から大衆大学へといたる過渡期を完了していない、と考えている。学生の方は、ほぼこの過程を完了しつつあるといってもよい。しかし、大学の組織や機能、とりわけ大学教員は、この過渡期のなかでもがいているというのが現状なのである。大衆大学への変貌を否定的にのみ見るのは、論外である。西部選がいったように、大学教員という「専門」人は大衆の原型である。私は、西部とは違って、それでよいと思っている。精神的貴族になりたい人はなればよいが、そんなことは希なのであって、希なことを大衆(多数)教育のなかにもちこむのは、邪道なのである。問題は、大衆にしかすぎない大学教授が、精神的貴族ぶっていることにこそある。これこそ、笑うべきことなのである。大学教員が、知的エリートたらんとすることを否定したいわけではない。しかし、ほとんど不可能に近いことを要求するに似ているのである。

全共闘の頃と問題意識が近い。
明治大学法学部社会学の栗本慎一郎教授にも触れられていた。栗本教授は学生時代からコピーライターのバイトをしていたようで、「やめられない、とまらない、カッパえびせん」のコピーを書いたとのこと。知らなかった〜〜。

『脳のはたらきがわかる本』

小長谷正明『脳のはたらきがわかる本』(岩波ジュニア新書,2006)をパラパラと読む。
専門用語の羅列が少なく、中高生にも読みやすい内容であった。ペンフィールドのホムンクルスも紹介され、脳の働きについて記憶や思考、行動、感情、睡眠などの観点から例を交えながら説明している。

じつは脳にも男女差があります。サイズこそ男性のほうが大きいのですが、女性のほうが相対的に前頭葉が広く、かつ神経細胞の密度が高いことが最近わかってきました。(中略)女性のほうが知性や考える場である前頭葉が広いというのは、男性が論理的で女性が感情的といわれていることとはニュアンスが異なります。でも、こまかい記憶をつなぎあわせてつぎつぎと論理を組み立てていき、頭と口の早い回転は前頭葉の機能がすぐれている証拠かもしれません。男性のほうは、ちみつな論理展開ができない結果、枝葉末節にとらわれないので、ものごとのアウトラインを把握しやすいのかもしれません。

『ヒトのからだ事典』

石浦章一『ヒトのからだ事典』(岩波ジュニア新書,1992)をパラパラと読む。
先日読んだ丸山工作著『筋肉はなぜ動く』よりは、まだ中高生に読ませるような工夫があったが、生化学という分野はどうも苦手である。私たち人間の体内の仕組みなのに、分子レベルの運搬や受け渡し、消化など、極めて無機的な印象が強く残る。十二指腸がちょうど指12本を並べた長さに由来するという説明しか印象に残らなかった。