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『大人はウザい!』

山脇由貴子『大人はウザい!』(ちくまプリマー新書,2010)を読む。
著者は臨床心理士として児童相談所で19年間勤務され、子どもの悩みや怒りに寄り添う中で、「子どもの問題は親の問題であり大人の問題である」との考えに至り、個人の心理オフィスを開設された方である。本書でも子どもからの相談事例を紹介しつつ、親や教員に対して子どもに向き合う心構えを説く。

ちょうど親として教員として、男としてハッとするような指摘もあった。教員の日常の服装について著者は次のように述べる。

外見というのは、やっぱり重要だ。子ども達は、大人のあらゆる部分を仔細に観察しており、身なりに気をつけているかどうかもその大人に対する評価をおおきく左右する。子どもに好かれるためとか気に入られるためとかではなく、大人というのはかっこいい憧れるべき存在なのだというのを子ども達に感じてもらうためにも、先生達には、舞台に立つくらいの感覚で、生徒達の前に立って欲しいと思う。(中略)

先生達というのは、子どもの大人全般へのイメージを作り、そしてこれから自分がなってゆく「大人」というものへの夢や希望を与える親に次いだ中心的存在なのだから。

また、次のようにも述べる。

私は特にお父さんにお願いしたい。お酒を飲みながら「勉強しろ」と言ってはいないだろうか。酔っ払いながら「ゲームばかりしてるなよ」と言ってはいないだろうか。やっぱりそれは説得力がないと思うのだ。勉強しなさい、と言うのなら一緒にやってみてはどうだろうか。

 

私たち大人同士だって、共感するのは大切だ。けれど大人同士でも、共感してあげることを忘れてしまうことがある。特に男性と女性の関係において起こりがちだ。
大人が子どもに正しいことを教えなくてはならないと思っているのと同様に、多くの男性は女と子どもには正しいことを教えなくてはならないと思っているように私は思う。奥さんが家に帰ってきて、「今日、会社ですごく嫌なことがあって」と愚痴を言い始めると、一通り聞き終わった時、男性というのは「それはお前も悪いんじゃないか」と言ってしまう。一緒に怒って欲しくて話したのだ。大事なあなただからこそ、聞いてくれると、分かってくれると思ったのだ。それがいきなりお説教されてしまったら、もう二度と話さないという気持ちになってしまう。

また、出会い系サイトにハマってしまう子どもの事例から次のように述べる。

人間の孤独というのは、一人でいる時に感じる孤独よりも、誰かといる時に感じる孤独の方がはるかに強い。子ども達は、友人と物理的には一緒にいても、心理的にはどうしようもない孤独を感じてしまっているのだ。
そんな時に、優しい言葉をかけられたら信じてしまう。最初はたかだかネット世界で知り合っただけの人間だから、ほんの少し暇つぶしが出来ればいいだけ、と思っていたはずなのに、たまたまネット世界で知り合っただけで、私は出会うべくして、出会う人に出会ったのだと、論理を逆転させる。その瞬間に学校やクラスという現実の人間関係と、インターネット世界という非現実の人間関係のリアリティと重要性が逆転する。私には、ネットの中に本当に理解者が、本当に私を大切に思ってくれている人がいるから、クラスに親友がいなくても大丈夫。そして現実の友人関係はますます希薄なものになってゆく。

最後に心理学の見地から次にように述べる。

いじめは集団ヒステリーである。集団ヒステリー状態の中では、人間は判断力が狂う。善と悪が逆転し、感情が鈍磨する。人を傷つけながら、その事に苦しみ続けたら、人間の心はバランスを崩してしまうからだ。集団ヒステリーは心の安全を守るためのメカニズムなのだ。この子ども社会の集団ヒステリーに、時には大人も巻き込まれる。だからマスコミの評論家が言ってしまうことがあるのだ。「いじめられる側にも問題はある」。こうした誹謗中傷の巧妙な点は、事実であっても本人が絶対に否定する内容であるという点である。だから本人が必死で否定すれば、「本当のことだからムキになってる」と言われ、否定など出来ないと諦めていると「本当のことだから何も言えない」と言われてしまう。

『道は自分で切りひらく』

広岡勲『道は自分で切りひらく:大リーガーたちのチャレンジ』(岩波ジュニア新書,2007)を半分ほど読む。
サブタイトルにある通り、刊行当時ヤンキースの広報を担当していた著者がサポートしていた松井秀喜や、日本球界を締め出された野茂英雄の活躍が、まるで歴史上の人物伝のように描かれる。また、障害を乗り越えてメジャーの投手となったジム・アボットや、黒人差別を乗り越えてメジャー入りしたジャッキー・ロビンソンなど、岩波ジュニア新書にうってつけの人物も紹介されている。

ジャッキーロビンソンは、現在大谷選手や山本選手が在籍し、昨日ワールドシリーズも制したドジャースで10年間プレーしている。ちなみに野茂英雄のデビューもドジャースである。ドジャースは元々オランダにルーツを持つ球団で、1958年にニューヨーク市ブルックリン区からロサンゼルスに移転している。伝統のヤンキースやロサンゼルス・ジャイアンツ(かつてはニューヨーク・ジャイアンツ)と人気・実力ともを争う球団である。

いずれにせよ日本人選手の大リーグでの記録も記憶も、、大谷選手によって書き換えられようとしている。

あと、この著者の経歴は華々しい。現在では江戸川大学の理事を務めている。

『スポーツが世界をつなぐ』

荻村伊智朗『スポーツが世界をつなぐ:いま卓球が元気』(岩波ジュニア新書,1993)を読む。
ブログで検索してみたところ、20年ほど前にも一度読んでいた。話のスケールが大きいので、さらっと読み流すつもりが、話に引き込まれていった。

卓球は元々欧州のスポーツだが、日本、中国、韓国の東アジアの国々の方が競技レベルが高い。ウィキペディアにも掲載されている「ピンポン外交」が興味を引いた。オリンピック加盟以前の国際卓球連盟では、憲章の中に「国旗・国歌は使わない」と謳っていた。1971年に名古屋の世界選手権では、国旗・国家を使わないということだったので、当時の中国代表の台湾だけでなく、中華人民共和国も招待されたのである。そして大会後、アメリカ選手団は名古屋から香港を経て、直接中華人民共和国に入り、卓球外交をすることができた。これが翌1972年の2月のニクソン訪中、米中国交回復へとつながっていったのである。

また、著者は今から30年以上前なのに、部活動に対して警鐘をならしている。ワークライフバランスや働き方改革にまで踏み込んでいる著者の先見の名が伺われる。以下引用してみたい。

授業が終わったあとも学校に残ってスポーツ活動をする国は、日本だけです。ヨーロッパにもないし、ほかにもほとんどありません。かなり特別な現象だと思います。
先生の生活も、部活を指導していても、家へ帰って先生としてのホームワークをしなければいけないという点は変わりませんから、かなり圧迫されています。先生の家庭生活のことも考えなければいけません。いろいろ考えると、競技スポーツの底辺としての部活は、だんだん少なくなっていくだろうと思うのです。

『歌のわかれ』

中野重治『歌のわかれ』(新潮文庫,1950)に収められた「歌のわかれ」を読む。
旧制四高の学生をモデルにした表題作の「歌のわかれ」のほか、「空想家とシナリオ」、「村の家」が収録されている。ブックオフの「100円」の値札が貼られており、おそらく学生時代に購入した古本であろう。

先ほど、旧制高校の教養に関する本を読んだばかりだったので、内容がすーっと入ってきた。男子だけの3年間のモラトリアムのような生活で、ドイツの影響を強く受けた講義内容や帝国大学に進学できずに選科(科目履修生)になる悲しさなどが描かれる。時代的に作者自身が四高の学生だった大正時代末ごろの1920年代前半が舞台となっている。

1940年(昭和15年)版の序文も掲載されており、「村の家」は昭和9年か10年の頃の作品であり、「歌のわかれ」は昭和14年のはじめ頃だと書かれている。大政翼賛会が発足し、思想弾圧が激化した頃である。なぜ、そんな頃に旧制高校の学生を描いたのか。ロシア革命や関東大震災によって日本が揺れていた頃である。そんな時代の中に入っていく旧制高校生の決意が最後の一文に象徴される。

彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、何となくこれで短歌ともお別れだという気がしてならなかった。短歌とのお別れということは、この際彼には短歌的なものとの別れということでもあった。それが何を意味するかは彼にも分からなかった。とにかく彼には、短歌の世界というものが、もはやある距離をおいたものに感じられ出していた。(中略)
彼は手で頬を撫でた。長い間彼を悩まして来たニキビがいつの間にか消えてしまって、今ではそこが一面の孔だらけになっていた。いつから孔だらけになったかは彼は知らなかった。しかし今となってはその孔だらけの顔の皮膚をさらして行く他はなかった。彼は凶暴なものに立ちむかって行きたいと思いはじめていた。

芥川の「羅生門」と同じように、大人になる前の青年の象徴として「ニキビ」が使われている。

『教養主義の没落』

竹内洋『教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』(中公新書,2003)を読む。
現在の旧帝国大学の教養課程(東大以外は明確な教養部はなくなったが)にあたる旧制高校に焦点を当てて、教養主義がどのように変遷してきたかを探る。

仕事がら旧制中学や新制大学は詳しいが、旧制高校となると分かったようで分かっていない存在であった。旧制高校は文系の学問が中心で、実利的な法学や経済学よりも、文学や歴史学、哲学が尊ばれるエリートが身に付けるべき教養が中心であった。その歴史は小学校や中学校に比べて短く、明治末頃までに現在の東京大学教養学部にあたる第一高等学校から、現名古屋大学の教養部にあたる第八高等学校まで整備され、以降は「地名+高等学校」の形で官立の高校20数校が開校され、成城高校や武蔵高校、甲南高校など私立の7年制の中学高校も作られている。

男女共学の新制高校とは雰囲気が異なり、男子のみ、寮生活が基本で、バンカラな雰囲気が漂う学校であった。ちなみに、Wikipediaによると、バンカラという言葉も第一高等学校の学生の弊衣破帽の流行がもとになっている。また、教養主義とマルクス主義は同根のものであり、イマドキの言葉でいうと、マルクス主義は教養主義の上位互換にあたる。知的青年が教養主義からマルクス主義に移行することによって、教養主義空間の中で、上昇感を得ることができたようだ。

しかし、こうしたエリートの教養主義に対する反感は昔から強く、その急先鋒が石原慎太郎である。石原慎太郎は旧制中学校に入学しながら、新制高校を卒業している。しかし、ちょうど学制改革の移行期で、1952年に入学した一橋大学では旧制高校出身者が羽振りをきかせている。そうした雰囲気に反発を感じた石原は、慶応大学に進学した裕次郎を旧制高校へのアンチとして活躍させる。

後半は岩波書店、岩波文庫の教養主義における立ち位置や、学生運動における旧来の教養主義への反発と憧憬などが説明されている。