昼に子どもを公園やら「トイザらス」やらに連れ出して、さんざん疲れさせた揚げ句昼寝をした隙を狙って映画館へ出掛けた。
ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演『最高の人生の見つけ方』(2007 米)という作品を観た。
片や貧しいながらも妻や三人の子どもから愛され続けてきたモーガン・フリーマン演じるカーターと、4度結婚しながら家族も友達もいないジャック・ニコルソン演じるエドワードの老人二人がひょんなことから同じ病室に入院するところから物語は始まる。二人はそれぞれ余命6ヵ月と宣告されるも、死を受容することができない。そこで二人は死ぬまでにしたいことをメモ用紙に書きつけ、男の欲望を満たす旅に出る。スカイダイビングやカーレースに臨んだり、万里の長城でバイクをかっ飛ばしたり、美女と遊んだり銃をぶっぱなしたりと破天荒でスリリングな旅を続けるうちに、二人の間に友情が生まれ始める。やがて、人間にとっての一番の幸せとは、周囲の人たちに愛され、そして周囲を幸せにしようとする人生を全うすることだと二人は気付き始める。
まったくこれまでの生き方に接点のなかった二人が、病院を抜け出しピラミッドの頂上で人生について語り合うというありえない展開を踏むのだが、二人の演技が上手くて最後まで見入ってしまった。最後は少し涙腺が緩んだ気がした。久しぶりの映画鑑賞であったが、良い映画に出会えた。
私にとって良い映画とは日常をすっかり忘れてしまう作品である。だから映画館で、
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イチロー選手
本日の東京新聞朝刊のスポーツ面に、大リーグマリナーズのイチロー選手の「盗塁教室」の記事が載っていた。
イチロー選手が同僚の選手やコーチに盗塁のスタートをどう切るか説明したとのことだ。体重移動の際に「脚よりも骨盤。骨盤をいかにしっかり動かせるか。それによっていろんな(体の)動きが変わってくる」ことなどを詳しく話したという。
球技というよりも、まさに古武道の動きである。私自身も宇城憲治氏の著作に触れて以来、腰のひねりと重心の移動をここ最近の練習のテーマにしているので、機会があればイチローのレクチャーを受けてみたいと切に思った。
「大波小波」
本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」を興味深く読んだ。短い文章であるが、小論文としてお手本になるような小気味よいくらいの勢いで切り込んだような論理展開だった。
中国製冷凍ギョーザの中毒事件は、低価格を競う無制限な市場競争の制度疲労が現れたと言えよう。百円ショップの棚を見なさい。手間かけた中国製ざるやスリッパが並ぶ。流通経費が入ってこれだから、現地労働者の手取り賃金はいかばかりか。輸入国による植民地的収奪である。
本紙で清水美和論説委員はギョーザ事件について過酷な待遇に抗議する現地労働者の破壊活動説を示唆していた。本来、外国企業が進出したり、生産を委託したりして生じる雇用で現地労働者の生活は向上するはずである。ところが、賃金が上がると、企業は再び安い賃金を求めてよそに行きかねない。企業を引き止める過酷な労働はいつまでも続くことになる。
その賃金競争が日本にも還流して名だたる大企業が国際競争力維持を理由に不法な派遣労働、偽装請負、名だけの管理職といった労働力の買い叩きを行い、ワーキングプアーの土壌を支える。
一九九〇年代以降の国際的な競争政策はこうして内外の労働者に、低賃金をめぐるデスマッチを要求している。初期資本主義に先祖返りしたようなこの競争システムに歯止めをかけないと、安さの代償として深刻な事態が起きる気がする。
なにやらマルクスが『資本論』の冒頭、商品の流通過程から貨幣の流れ、そして労働力の本質を明らかにしていったように、ギョーザ−ギョーザのパッケージに空けられた小さな穴から進入した農薬であるが−という子どもでもつまむことができる小さな商品から、穴が空けられた背景に潜むグローバル資本主義の欠陥が抉り出している。
介護養成校への入学者
本日の東京新聞朝刊一面に、「コムスン」問題で表面化した劣悪待遇や景気回復などの要因から、介護養成校への入学者が昨年に比べ13%も減少したとのニュースが載っていた。
2000年度の介護保険導入や、昨年改定された「介護予防」により、介護報酬が引き下げられ、やめる人が増えて仕事はきつくなるのに、給与は減少するという悪循環に陥っているとのことだ。高齢社会をよくする女性の会の樋口会長は「嫁に押しつけられていた介護を、社会で担うものにした介護保険。しかしいま、介護従事者が『社会の嫁』にされている」と介護従事者の窮状を訴えている。
家族や親類の「介助」から社会全体の「支援」へと福祉の転換が行われている中、一部の福祉従事者の生活を破壊する形で負担がしわ寄せされている現状は看過できない。樋口会長の批判はその点で的を得ていると思った。
「村上春樹という不思議な存在」
本日の東京新聞夕刊の文化欄に先日行なわれた「村上春樹という不思議な存在」と題した討論会の様子が掲載されていた。横浜市立大学の鈴村和成氏、東大の藤井省三氏、評論家の川村湊、専修大の柘植光彦氏の4人の研究者がそれぞれ春樹研究の現在と展望について語り合っている。その中で柘植氏は「春樹は僧侶だった父親の影響を大きく受けている。彼が描く『別の世界』や『死後の世界』に、日本的無常観もあるのでは」と述べ、藤井氏は「伝記研究が決定的に欠けている。誰かがもう始めても良い」と指摘する。
まだ生きている50代の作家に対して、「伝記研究」をすべきだと称されるということは、彼が並外れてすっげー作家だということである。大学時代に卒論担当の教員から「生きている作家は評価が変わるし、本人が否定したらお終いだから、文学研究の対象にはならない」と注意を受けたが、こと村上春樹には通じない通説であるようだ。